第20話 焼きそばパン教授、就任
到着ゲートの事務所は、すぐに混乱した。
未登録乗客が、12A席に実体化した。
しかも発券記録がない。
出発地は、ありうべき分岐第三十六系統。
入国区分は、教育用危険物関連の自主来訪。
入管担当者は、端末を見て頭を抱えた。
「自主来訪って何ですか」
「自分で来たんじゃないですか」
「それは日本語の説明です。制度の説明をしてください」
「制度が追いついてない場合は?」
「追いついてないことを認める制度がありません」
少女は事務所の椅子に座り、配られた温かいお茶を両手で持っていた。
「これは、予定表にありません」
「お茶?」
「はい」
「予定がなくても飲んでいい」
「それが、寄り道ですか」
「かなり小さい寄り道だけど」
少女はお茶を飲み、熱かったらしく目を丸くした。
「痛いです」
「それは寄り道じゃなくて火傷」
「火傷は、予定外です。では、これは寄り道です」
少女は少しだけ笑った。
ぎこちない笑いだった。
人間の表情を真似しているというより、いくつもの未来から笑顔の平均値を取っているような笑いだった。
◇
少女は、鞄から紙片を取り出した。
紙片に見えたが、表面には文字ではなく、微細な光の枝が走っていた。
「私たちは、剪定された側です」
「剪定」
「あなたたちが、教育用危険物として保管したテンプレート。あれは、私たちの世界の住民登録票でした」
三日前、火星航路の因果負債をめぐる騒ぎがあった。
高梨琴音という複雑性鍛冶師が、サポート終了した時空テンプレートを商用利用させず、教育用危険物として封印したらしい。
現場通達は短かった。
旧版時空テンプレートは、拾わないこと。売らないこと。教育目的でも安易に再生しないこと。
最後に、特に瀬尾関連のものは上長へ報告すること、とあった。
「住民登録票ってことは」
ミナトは言った。
「君たちは、消えかけてたのか」
「はい。ほぼ、定刻通りに」
少女は静かに言った。
「私たちの世界では、航路は遅れませんでした。事故も、失業率も、都市計画の誤差も、きれいに低下しました」
「いい世界に聞こえるな」
「はい。いい世界でした」
少女は窓の外を見た。
「ただ、誰も、待ちませんでした」
ミナトは黙った。
「遅れないので、待つ必要がない。迷わないので、迎えに行く必要がない。間違えないので、謝る必要がない。すべてが予定表どおりに来るので、予定表の外にいる人は、だんだん人ではなくなりました」
ラフマニが帽子を脱いだ。
いつもの軽口は出なかった。
「あなたたちは、私たちを危険物として保存しました」
少女は言った。
「それで、消えずにすみました」
「危険物扱いで?」
「はい。危険物は、捨てられません。記録されます。隔離されます。名前が残ります」
ミナトは、胸の奥にまた重さを感じた。
この重さは、たぶん名前だ。
捨てられなかった名前の重さだ。
「お礼を言いに来たのか」
「それもあります」
「他には?」
「教わりに来ました」
「何を」
「ばかな寄り道の仕方を」
ラフマニがミナトを見た。
「お前、得意そうだな」
「うるさい」
「備考欄に変なこと書くし」
「うるさい」
少女は首を傾げた。
「備考欄とは、祈りの一種ですか」
「違うと思う」
ミナトは答えた。
「でも、たまに届く」
◇
事務所の端末が一斉に白く光った。
NOTICE
未確定分岐第三十六系統より、教育目的来訪申請を受理しました。
現地指導担当者を暫定指定します。
対象:水野湊
職位:未確定残滓対応班
資格:現場備考提出者
「俺?」
「先生」
ラフマニが肩を叩いた。
「やめろ」
「寄り道の先生」
「やめろ」
「焼きそばパン教授」
「絶対やめろ」
少女は立ち上がり、深く頭を下げた。
「よろしくお願いします、先生」
ミナトは天井を見た。
宇宙は、どうしてこう、肩書きを雑に配るのか。
受付端末の待ち人数が更新された。綺麗な数字で増えていく。
待機中:2400
待機中:4800
待機中:9600
「弁当、何個分だ」
ラフマニが乾いた声で言った。
ミナトは答えなかった。
少女が、窓の外を見た。
まだ誰もいないはずの到着ロビーで、待合室の床だけが、青く光り始めていた。




