第19話 未到着の方が、到着しました
着岸完了のチャイムは鳴らなかった。
代わりに、低い警告音が三回鳴った。
港で長く働く人間は、警告音の長さでだいたいの面倒を見積もれる。
一回なら遅延。
二回なら機材。
三回なら書類。
「三回だ」
ラフマニが言った。
「最悪だな」
「宇宙事故より?」
「宇宙事故にも書類はついてくる」
三〇二便は接岸している。
誘導灯も青い。
係留アームもロックしている。
だが、到着判定だけが下りない。
到着処理:保留
原因:12A席の未到着乗客
推奨:待機
「推奨って言われると、従いたくなくなる」
「上からの命令じゃないだけ優しい」
「宇宙に優しくされても困る」
乗客の降機は、通常より六分遅れて始まった。
ビジネスマン。
月面帰りの作業員。
火星留学に向かう学生。
幼い子どもを連れた夫婦。
全員、少し眠そうで、少し浮いているように歩く。
ラグ航路のあと、人間は数分だけ、自分の輪郭に追いついていない顔をする。
最後の乗客が降りたあと、清掃班が船内に入った。
12A席は、空席だった。
だが、座面がわずかにへこんでいた。
人が座っていたように。
あるいは、これから座るはずの人を、先に席が覚えてしまったように。
「ラフマニ」
「何」
「12A席、触るな」
「もう触らん。見た目が嫌だ」
「お前にも見える?」
「見える。へこんでる。あと、待ってる」
「席が?」
「いや」
ラフマニは眉を寄せた。
「席じゃない。誰かが、待たれてる」
12A席の前に立つと、胸の奥が少し沈んだ。
重力が一段だけ増えたような感覚。
腰ではなく、記憶にくる重さだった。
駅のベンチ。
冷めた肉まん。
母の「ごめんね、待った?」という声。
12A席は、誰かを待っている。
いや、違う。
誰かに、待たれている。
端末が更新された。
待機質量:11.6kg
「十一キロ」
「弁当二十個分」
「さっき六つだったろ」
「怖いから小さめに刻んで考えたい」
そのとき、機内スピーカーが、誰も触れていないのに鳴った。
『12A席のお客様、到着準備をお願いします』
空席のシートベルトが、かち、と外れた。
◇
ミナトは端末に備考を入力した。
12A席、待機質量あり。
未確定乗客の残留ではなく、到着前の期待圧と推定。
通常清掃を延期。
座席状態を「空席」ではなく「遅延中」に変更申請。
ラフマニが覗き込んだ。
「期待圧って何だ」
「今考えた」
「現場語を増やすな」
「じゃあ何て書く?」
「待たれてる圧」
「そっちの方が雑だろ」
「でも正確」
ミナトは少し迷い、最後に一行を足した。
備考:待ち合わせには、遅延許容量が必要。
送信。
端末は一瞬だけ固まった。
「落ちた?」
「やめろ。宇宙相手にその言葉は縁起が悪い」
画面に表示が出た。
LOCAL FIELD NOTE ACCEPTED.
現場備考を受理しました。
「受理された」
「どこに?」
「知らん」
「知らんものに備考を送るな」
「宇宙が先に俺の勤務表へ送ってきた」
その瞬間、12A席の上の空気が揺れた。
陽炎のような歪み。
淡い干渉縞。
古いブラウン管の画面が一瞬だけ乱れるような、薄い光。
座席のへこみが深くなる。
誰かが、そこに座った。
灰色のコート。
膝に置かれた小さな鞄。
左右で少しだけずれた瞬き。
少女だった。
少女は、12A席からゆっくり顔を上げた。
「ここは、遅れても、いい世界ですか」
ミナトは答えられなかった。
代わりにラフマニが言った。
「港としては、あまり良くない」
「でも、人としては、まあ、ある」
ミナトが続けた。
少女は、その答えを吟味するように瞬きをした。
「では、私は、たぶん、着きました」
到着判定のチャイムが、ようやく鳴った。
同時に、端末へ新しい表示が出た。
乗客名:欠席
状態:到着
備考:欠席者は、待たれていたため到着しました。




