第18話 12A席は搭乗済み、ただし
> 宇宙外部ネットワーク利用規約 第十一条
> 未確定分岐に属する乗客、貨物、思い出、約束その他これに類する情報体は、
> 到着をもって存在を確定する。
> なお、到着前に待たれていた場合、その待機時間は質量に準じて扱われる。
火星航路三〇二便は、予定より三分遅れていた。
ミナトは休憩室の電子レンジの前で、焼きそばパンを温めながら、その表示を見ていた。
遅延理由:因果混雑のため
「また因果か」
電子レンジが、ぴー、と鳴った。
表示には、あたため完了、と出ている。
だが焼きそばパンは冷たかった。
「お前も因果混雑か」
向かいでカップ味噌汁をすすっていたラフマニが顔を上げた。
「レンジに話しかけ始めたら、現場長に報告する規定あるぞ」
「レンジが先に俺を裏切った」
「レンジは誰の味方でもない。中立機関だ」
「火星航路より信用できる」
「それはレンジを褒めすぎだな」
壁のモニターには、三〇二便の到着情報が出ていた。
地球低軌道港発、月面経由、火星都市アレシア行き。
使用航法、ラグ・ドライブ。
遅延、三分。
たった三分。
だが港で働く人間にとって、航路の三分はただの三分ではない。
清掃班の開始がずれ、荷物搬出ロボットが待機で熱を持ち、乗り継ぎ案内が更新され、更新された表示を見た客が怒り、怒った客をなだめる担当者の昼休みが消える。
三分の遅れは、現場では二時間分の不機嫌になる。
「三〇二便、今日うちだよな」
「うちだな」
「12A席、空席扱い?」
「いや。未確定」
ミナトは手を止めた。
「未確定?」
ラフマニが端末を投げてよこした。
座席:12A
乗客名:未表示
状態:到着前確定待ち
備考:待機質量あり
「待機質量って何だ」
「知らん。新しい嫌な言葉だ」
「現場に新しい嫌な言葉を増やすな」
「宇宙に言え」
◇
六年前、宇宙OSはニュースだった。
どこかの高校の物理準備室でメトロノームが遅れた。局所的な時間遅延。ラグ場。規約同意画面。
ミナトには関係ない話だった。
当時の宇宙は、母が深夜に見ていた求人サイトの向こう側にあった。
母は、湾岸宇宙港ターミナルに入っていたオービタル・キッチンの清掃スタッフに応募した。
宇宙港といっても、まだ半分は記者会見場で、半分は工事現場だった。
時給がよかった。
深夜手当もついた。
打ち上げ延期の日は、なぜか弁当が余るらしかった。
標語は、よい航路は、よい台所から。
「航路がないのに台所だけあるんだ」
「台所が先にあるから、帰ってくる場所になるんだって」
母は宇宙開発を信じていなかった。
ただ、深夜手当とまかない制度は信じていた。
三年後、放課後号が飛び、オービタル・キッチンはラグランジュ・キッチンになった。
台所の会社だったものが、航路会計ノードと港湾食堂をまとめて運用する、妙に生活臭い宇宙インフラ企業になった。
母は低軌道ホテルへ転属し、半年後には月面港の夜勤に入った。
最初の帰宅の日、航路は三分遅れた。
入国手続きと人工重力酔いと時刻同期のずれで、三分は二時間になった。
駅のベンチで待っていたミナトに、母は昔と同じ顔で言った。
「ごめんね、待った?」
「待ってない」
嘘だった。
母は肉まんを二つ買っていた。
ひとつは冷めて、ひとつは少し潰れていた。
そのころから、宇宙OSはニュースではなくなった。
母の勤務表になり、家計簿になり、冷めた肉まんになり、今ではミナトのシフト表になった。
◇
ミナトが働いているのは、地球低軌道港の到着後環境復旧課だった。
正式名称は、軌道交通施設維持管理局到着後環境復旧課未確定残滓対応班。
ラフマニは、これを「宇宙の忘れ物係」と呼んでいる。
ミナトは「だいたい合ってる」と思っている。
ラグ・ドライブを使った船は、到着後に変なものを残す。
乗客の影が、座席より一秒遅れて立ち上がる。
閉めたはずの荷物棚から、まだ開いていない可能性の匂いがする。
飲まれなかったコーヒーが、紙コップの底にだけ熱を持つ。
理論家はそれを、未確定分岐の残留情報と呼ぶ。
現場では、まとめて「あと味」と呼んでいる。
「12A席、センサー反応あり」
三〇二便はまだ着岸していない。
窓の外では、白い船体がゆっくり近づいていた。
船はまだそこにない。
だが、そこにあることになりつつある。
ミナトは端末を見た。
座席質量の基準値から、三・二キログラム増えている。
「三キロって、忘れ物にしては重いな」
「弁当六つ分」
「ラフマニ、お前は全部を弁当で換算するな」
「宇宙よりわかりやすい」
その瞬間、三〇二便の遅延表示が変わった。
遅延、三分。
遅延、十一分。
遅延、未定。
『火星航路三〇二便は、到着処理を一時保留しています。お迎えのお客様は、到着ロビーにてお待ちください』
ミナトの端末が、警告音を出した。
座席:12A
待機質量:3.2kg
待機質量:4.8kg
待機質量:8.0kg
「増えてる」
「誰か乗ったか」
「まだ着いてない船に?」
「宇宙は最近、そういうことをする」
端末の最後の行が更新された。
12A席:搭乗済み
ただし、乗客は未到着




