表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
重力はラグでした。物理準備室で宇宙を処理落ちさせたら、国立研究所と黒服が来た件  作者: みんとす
第二章 宇宙OSとサポート終了した時空テンプレート ——または、火星航路の因果負債について
PR
17/36

第17話 住民登録票

 そのとき。


 ノックの音はなかった。


 ただ、廊下と物理準備室の境に、いつのまにか、ひとりの影が立っていた。


 灰色の旅装。

 革の鞄。

 顔だけが妙に整っていて、それでいて、左右非対称だった。

 まばたきが、左右で、わずかにずれていた。


 琴音は、ゆっくり立ち上がった。


「……どなた、ですか」


「失礼します」


 声は、正しい日本語だった。

 ただし、句読点が多すぎた。


「私、ありうべき分岐、第三十七系統、より、参りました」


 黒瀬が、サングラスの奥で目を細めた。


「ありうべき分岐?」


「はい。実現しなかった、けれど、実現する手前まで、行った、未来です」


 琴音は息を呑んだ。


「実現しなかった……?」


「本日、皆さんが、教育用危険物として、保管された、テンプレート」


 訪問者は、丁寧に頭を下げた。


「あれは、私たちの世界の、住民登録票でした」


 琴音は、口を、半分開いたまま、止まった。


「住民登録票」


「はい。私たちは、剪定された側、です。あなたたちの『ばかな寄り道』の、削られていた方、の住民です」


「それは——」


「ご安心ください。本日の手続きで、私たちの登録票は、危険物として、永久保管、されました。私たちは、これで、消されずに、すみます」


 訪問者は、まばたきをした。

 今度は左右、ほぼ同時だった。


「お礼に、伺いました」


 琴音は、椅子に手をついた。

 膝の力が、少しだけ抜けていた。


「……礼って」


「はい。礼です。それから、ご連絡、です」


「連絡?」


「私たちの方からも、申請、出します」


「申請」


「教育用危険物として、保管された、私たちの登録票。あれを、教材として、使うのは、御社の自由、です。ただし、教材には、生徒が、必要です」


「生徒……?」


「はい」


 訪問者は、にっこり笑った。

 その笑顔は、地球の表情筋では、たぶん、出ない角度をしていた。


「私たちが、教わりに、参ります」


 琴音は固まった。


 瀬尾も固まった。


「教わるって、何を」


「ばかな寄り道、の、仕方を、です」


「……教えるんですか、私たちが」


「はい。本日の議事録に、書いてありました。『人類は、ばかな寄り道をする権利を留保する』。留保された権利は、教えられる権利、でもあります」


 訪問者は、深く、頭を下げた。


「これより、随時、各分岐より、生徒が、参ります。よろしく、お願い、いたします」


 琴音は、何も、言えなかった。


 訪問者は、もう一度、頭を下げた。

 そして、最後に、ひとつ、付け加えた。


「ところで」


「……はい」


「あなたたちが『ラグ』と、呼んでいる現象、ですが」


 琴音は、顔を上げた。


「あれには、まだ、未説明の成分が、あります」


「未説明、ですか」


「宇宙の処理遅延。そう説明しても、間違いでは、ありません」


「ありません、ですか」


「ただし、処理を待っているのは、宇宙だけでは、ありません」


「——」


「私たちも、待っていました」


 訪問者は、左右で少しだけずれた瞬きをした。


「六年前から、ずっと」


 メトロノームが、カチ、と鳴った。

 今度の遅れは、わずかではなかった。


 遅れた一拍の向こうで、廊下の奥から、まだ来ていないはずの足音が、いくつも聞こえた。

第二章 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ