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契約結婚の初夜、旦那様は花束ではなく帳簿を持ってきました 〜愛のない政略夫婦、傾いた灯り工房を二人で立て直します〜  作者: 雪乃フィオナ


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第9話:買われた審査

 品評会の会場は、皮肉なことに連合会館の大広間だった。


 出品は三十二点。名のある工房の飾り灯が壁際にずらりと並び、中央の一等地には連合の重鎮の工房の品が据えられている。うちの席は、いちばん奥の隅だった。


「隅で結構」レナールは平然としていた。「月は、暗いところで昇るものです」


 見物席には、工房の全員が来ていた。ガストンは一張羅の上着の襟を何度も直し、ミレットは徹夜の目のまま、髪だけはきっちり編み直していた。千粒をいちばん近くで磨いた手が、柵を握って白くなっている。


「代表夫人、あの、あたし、心臓が」


「大丈夫。あなたの玉に、割れる筋はひとつもないもの」


「そういう意味じゃないですけど、そういう意味でも、はい」


 開場の鐘とともに、布を引いた。


 千粒の月が、順々に灯る。


 どよめきは、波のように広がった。近くの出品者が振り返り、見物の職人たちが柵際に集まり、誰かが「おい、月の粒が降ってやがる」と言った。壁際の飾り灯たちが、急に昼間の蝋燭みたいに見えた。


 手前味噌は承知で言う。あの日のあの会場で、あれは確かに、いちばんの灯りだった。


 見物席の後ろで、よその工房の親方がひとり、帽子を取るのが見えた。ガストンが、黙って目礼を返した。続いてもうひとり、若い職人が柵から身を乗り出して、係に注意されていた。


「見ろ、客の目は正直だ」ガストンの声が、珍しく弾んでいた。「品はもう、勝ってる」


「ええ、親方。品は」


 レナールの相槌の、その区切り方が、少しだけ気になった。


「じきに審査です」


 審査員は五人。壇上の審査席から降りて、順に出品を見て回る。


 最初の違和感は、歩く速さだった。


 重鎮の工房の品の前では、五人はたっぷり時間をかけた。頷き、書き込み、談笑さえした。うちの千粒の月の前に来たとき、五人のうち三人は、足も止めなかった。


 止まった二人のうち一人が、ダルモン子爵だった。ユーグと同じ粘る目で、彼は灯りではなく、私を見た。


「……ほう。これはこれは」


 それだけ言って、何も書かずに行ってしまった。


 最後の一人は、手元の採点紙から目を上げもしなかった。その紙に、離れた私の位置からでも分かるほど、もう字が並んでいた。


「代表夫人」


 ミレットが、袖を引いた。顔が白い。


「あたし、さっき掃除口から審査席の後ろを通ったんです。……あの採点紙、うちの月にまだ布が掛かってるうちから、書いてありました。全部の欄」


 布の掛かった月に、書き終わった採点紙。それが何を意味するかを、私は考えないようにした。考えたら、審査の前に、審査を疑ったことになる。まだ、疑いたくなかった。


 結果の発表は、夕刻だった。


 壇上に審査長が立ち、巻紙を開く。会場のざわめきが引いて、ミレットが私の袖を握った。


 一席、連合理事の工房。二席も、連合理事の工房。三席、ダルモン子爵の推す工房。


 うちの名は、入賞にも佳作にもなかった。代わりに、出品席に木の札がひとつ掛けられた。


『選外。講評──奇矯にして実用に適さず。量産の見込みなく、規格外』


 ミレットが札を二度読んで、それから千粒の月を見上げて、「どうして」と小さく言った。どうして。会場中の目が答えを知っていて、壇の上だけが知らないふりをしている。ガストンは一張羅の袖で見習いの頭をくしゃりと撫でて、何も言わなかった。


 規格外。


 また、その三文字だった。二十年前に母へ打たれたのと同じ焼印が、母の重ねを継いだ千粒の月に、同じ会館で掛けられた。


 見物席はざわついていた。「あれが選外?」という声も、確かに聞こえた。けれど声は声のままで、札は札のままだった。壇上ではゴーティエが立ち上がり、上機嫌で閉会の挨拶を始めている。


「──いやいや、今年も良い品評会でした。若い工房の挑戦も、結構。実に結構。ですが品評とは、目の肥えた者が行うものでしてな」


 柔らかい笑い声が、重鎮たちの席から上がった。


 挨拶の締めに、ゴーティエの目がちらりと奥の隅を──うちの席を見た。血色のいい笑顔のまま、彼はほんの少しだけ顎を引いた。会釈、だったのだと思う。ご丁寧なことに。


 帰り道のことは、あまり書きたくない。


 荷馬車の上で、千粒の月は毛布にくるまれて、ひと粒も欠けずに揺れていた。欠けていないことが、いっそうこたえた。壊されたのなら、まだ怒れたのに。


 レナールは、荷台の反対側で黙っていた。行きの馬車ではあれほど段取りを喋っていた人が、帰りはひと言も喋らない。慰めの言葉の在庫がないのは知っている。それでも、この人の声がしない荷台は、思っていたより、ずっと寒かった。


 工房に着いても、誰も窯に火を入れなかった。ミレットは物陰で泣いていたし、それを叱るはずのガストンは、火の落ちた一番窯の前から動かなかった。


「……二十年前と、同じだ」


 親方の広い背中が、ぽつりと言った。


「会場中がどよめいて、誰が見たって入賞で、それで『規格外』だ。先生のときと寸分違わねえ。……変わってねえんだ、あの会館は。何ひとつ」


 返す言葉を、私は持っていなかった。


 規格の抜け道は見つけた。出品作は会場一だった。工房の全員が、四日眠らずに千の月を磨いた。それでも届かなかった。相手は腕でも品でもなく、最初から書いてある採点紙なのだ。そして四日後には規格審査が来る。品評会に落ちた今、あれはもう審査ではなく、宣告だ。


 母さん。あなたが二十年前に立っていたのは、こういう場所だったのね。


 悔しい、という言葉では足りなかった。悔しさなら、窯の火で焼き直しがきく。これはもっと、底のほうが冷えるやつだ。腕を上げても、品で勝っても、皆で寝ずに磨いても、届いた先に秤そのものが置かれていないという、あの冷え方。母はこれを、二十年前に、たったひとりで浴びたのだ。


 夜更け。事務室の灯りだけが、点いていた。


 覗くと、レナールが机に着いていた。うなだれている──のではなかった。机の上には品評会の規程と、大判の王都の地図と、書きかけの文が一通。


「レナール様。……何を、していらっしゃるの」


「決算です」彼は顔も上げずに言った。「本日の品評会の。支出──出品料、材料費、工房全員の四日分の徹夜。収入──会場中のどよめき、よその親方が帽子を取ったこと。それから、確かな学習がひとつ」


「学習?」


「数字は嘘をつきませんが、審査は嘘をつく。今日、この目で確かめました」


 こつ、こつ、と帳簿が二度鳴った。こんな夜にまで、この人の指は、納得したときにしか動かない。


「エステル様。あの月は、審査員五人には過ぎた品でした。ですから──」


 彼はようやく顔を上げて、まっすぐに私を見た。


「審査がだめなら、審査の外で勝ちましょう」


書いていて胃の痛い回でした。買われた審査に、夫は「審査の外」で勝つつもりです。次話、大聖堂に月が昇ります。

苦しい回までお付き合いくださった方のブックマークと☆評価が、反撃の資金になります。

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