第7話:規格の抜け道
工房に戻って、共同代表会議である。議題、規格審査にどう勝つか。
「正面から受ければ、確実に落ちます。基準が量産灯用に書かれている以上、月光灯は構造的に『規格外』です」
「作り替えは論外ですわよ。百基おなじ月なんて、それはもう月ではありませんもの」
「同感です。であれば──ルールそのものを読みましょう」
レナールが卓に積み上げたのは、革表紙の分厚い綴りが七冊。『王都生産ギルド連合規約』全巻の写しだった。
「よく手に入りましたわね、こんなもの」
「うちは連合共済金庫の債務者です。債務者には規約の閲覧と書写の権利がある。──借金も、たまには役に立ちます」
その夜から、条文の海に潜った。
昼は窯場と帳場、夜は事務室。蝋燭一本の灯りの下、二人で一冊ずつ、声に出して読み合わせる。灯り屋のくせに蝋燭なのは、月光灯が全部売り物だからだ。世知辛い。
連合規約は、それはもう見事に退屈だった。煙突の高さ、荷車の幅、徒弟の年季、罰金、罰金、また罰金。二冊目の途中で、私は世界でいちばん眠くなる読み物を知った。
「レナール様は、平気ですの」
「帳簿で鍛えてありますので。それに──退屈な条文ほど、抜け道の隠し場所には向いています。人が読まない場所にこそ、掘り出し物が埋まっている」
「古着屋の棚みたいにおっしゃるのね」
「似たようなものです。掘りましょう」
夜半にはミレットが湯気の立つ鍋を運んでくる。「差し入れです! 寝ないでくださいね、でも、ちゃんと寝てくださいね!」──どっちだ。
抜け道の候補は、二日で三つ見つかり、三つとも潰れた。教会納めの特例は「常設の灯り」に限られ、王宮納品の別規定は推挙状が要り、審査への異議申立ては──申立て先が、当の連合だった。
「振り出しですわね」
「いえ。外れ籤を三本引いたぶん、当たりが近くなっています」
この人の算術は、ときどき算術ではなく、ただの意地でできている。嫌いではない。
「第百十二条。『量産品目とは、同一の型により年に百基以上を製する品目を指す』──レナール様、月光灯はそもそも量産品目ではなくてよ?」
「私も最初にそこへ行きました。ですが分類を決める権限は連合側にあります。第百十五条。争えば、審査より先に分類のほうで握り潰される」
「……意地悪にできていますのね、この規約」
「ええ。書いた人間の顔が見えるようです」
三日目の夜。蝋燭が一本きりだから、綴りを挟んで肩が触れる距離になる。それは仕方のないことで、本当に仕方のないことなのだが、私は同じ行を三度読み間違えた。
「エステル様。第二百八十条は、もう三度目です」
「……蝋燭が、暗いのですわ」
「では明日から、二本にしましょう」
「結構よ。目が慣れましたの」
即答してから、自分の即答の速さについて、私は少し考え込んだ。
「お疲れですね。今夜はここまでに」
「いいえ、あと一冊だけ。……古い巻ですわね、これ。字体が先々代の頃のものだわ」
その最後の一冊、附則の綴りのいちばん奥に、それはあった。
「レナール様。──これ」
『附則第八条 王都工芸品評会において入賞したる品は、連合の特例規格として登録することを得。特例規格の品目には、量産規格の審査を適用せず』
レナールが綴りを引き寄せた。頁に顔を近づけ、それから廃止条項の一覧を猛烈な速さで繰っていく。指が、止まった。
「……生きている。この条文、廃止されていません。品評会は五十年続く連合の看板行事です。条文だけ残して、誰も使っていなかった」
彼は顔を上げた。帳簿の黒字を見るときの目になっていた。
「品評会で入賞すれば、月光灯は特例規格。ゴーティエ氏のご友人方の審査そのものが、うちには届かなくなる。品評会は十六日後──規格審査の、四日前です」
こつ、こつ。帳簿の表紙が二度鳴った。
「エステル様、あなたは規約まで読める天才ですか。いや、答えなくていい」
「今のは半分、蝋燭の手柄ですわ」
肩が触れる距離の言い訳を、私はまだ探している。
「ただし、条件が二つ」レナールは指を二本立てた。「第一に、出品の申請は締切の刻限ぎりぎりに出します。ゴーティエ氏に、対策を打つ時間を与えない。第二に──入賞は三席まで。会場の誰が見ても文句のつけようのない、圧倒的な一番を作ることです」
「二つ目は、私の仕事ですわね」
「ええ。私は書類と搬入路と資材の確保を。……役割の分担が一瞬で済む。うちの共同経営の、いちばんの美点です」
──翌朝、朝礼で品評会への出品を告げると、ガストンの顔色が変わった。
「……品評会、だと」
「親方?」
「夜、倉庫へ来な。エステルさんに、見せるもんと話すことがある」
夜の倉庫で、ガストンは母の重ね型を棚から下ろした。E・Lの銘の上を、ごつい親指がゆっくり撫でる。
「約束の昔話だ。──俺が若い時分に仕込まれた先生の名は、エレーヌ・ラヴォワ。あんたの、おっかさんだ」
息が、止まった。
「二十年前、先生は誰も見たことのねえ灯りを品評会に出した。魔石の光を硝子の重ねで変える──あんたの月の、母親みてえな灯りだ。会場中がどよめいた。誰が見たって入賞だった」
「……でも、母は」
「『規格外』。その一言で握り潰された。翌年から先生の名は名鑑からも消えて、王都の仕事も来なくなって……先生は都を離れて、それっきりだ。先代と俺は、何もできなかった」
名鑑の、あの新しい綴じ直し。あるはずの名前が、なかった理由。
「先生はな、最後まで泣かなかった。笑って王都を出てって、それが余計にこたえた。……『光は潰せても、重ね方までは潰せないわ』。出がけに、そう言ってな」
その重ね方は、潰されなかった。田舎の屋敷の膝の上で、十歳の私の手に移って、いま、この工房の窯の前にいる。
「この型は、先生が先代に残していったもんだ。俺はあれから決めてた。貴族もギルドも、職人を使い捨てる。だから貴族の嫁が来ると聞いたときも、反対した。……だがな」
ガストンは重ね型を、私の手に載せた。ずしりと、母の仕事の重さがした。
「『光は削るんじゃねえ、重ねろ』。先生の口癖だ。あんた、初日から同じ手つきをしてやがった」
「……家でも、口癖でしたの。それ」
涙は、こらえた。職人は窯の前で泣かないと、この三ヶ月で習った。
「親方。私、品評会に出ますわ。母が『規格外』だと言うのなら──その規格のほうを、書き換えに参ります」
「……はっ。言うようになったな」
ガストンは笑って、窯場のほうへ顎をしゃくった。
「窯は全部使え。二十年ぶりの、弔い合戦だ」
倉庫を出るとき、私は母の重ね型を、胸に抱え直した。二十年前に消された月と、これから灯す月。夜番の窯の火が、低く、頼もしくうなっていた。
抜け道の発見と、母と工房を繋ぐ答え合わせでした。次話は出品作づくり。見習いミレットの一世一代です。
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