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契約結婚の初夜、旦那様は花束ではなく帳簿を持ってきました 〜愛のない政略夫婦、傾いた灯り工房を二人で立て直します〜  作者: 雪乃フィオナ


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第6話:議長様のご挨拶

 出頭の朝、工房は妙に静かだった。


「あの、議長って、そんなに偉いんですか」と、ミレットが小声で訊いた。


「王都の窯という窯の、元締めだ」答えたガストンの声は苦かった。「魔石も硝子砂も検印も、あの会館を通らずには動かねえ。……気をつけな、エステルさん。あすこの連中は怒鳴らねえ。笑ったまま、人を潰す」


「行ってまいりますわ。お土産話を楽しみにしていて」


 努めて軽く言ったら、ミレットにまで心配そうな顔をされた。解せない。


 馬車の中で、レナールと打ち合わせをした。


「今日の目的は二つです。第一に、審査とやらの中身を確かめること。第二に──相手の顔を見ることです」


「顔、ですの?」


「回状一枚で王都の資材を止められる人物です。文面より、顔のほうが情報が多い」


「では私は、声を聞いてまいりますわ。建前の下の声を聞き分けるのには、この育ちも役に立ちますの」


 王都生産ギルド連合会館は、中央広場の北側に建っている。白亜の三階建て、正面には彫像付きの大階段。


「ずいぶん長い階段ですこと」


「六十六段です。いま数えました」レナールは涼しい顔で言った。「設計の意図は明白ですね。上ってくる者に『お前は小さい』と思わせるための六十六段です」


「効き目のほどは?」


「私には皆無です。建築費の無駄だな、と思うだけで」


「奇遇ですわね。私も、裾が邪魔だとしか思いませんもの」


 言い合って、二人でのぼった。半分は強がりである。けれど強がりは、二人でつくと強がりでなくなるから不思議だ。


 のぼりながら、ふと思った。母もいつか、この階段をのぼったのだろうか。あの人はこういうとき、裾をどうさばいたのだろう。


 通されたのは待合室──ではなく、待合室で「待たされた」。たっぷり一刻半。新参へのご挨拶としては、雄弁なことである。


 待合室は、うちの事務室が三つは入る広さだった。壁布は金糸入り、椅子は上等なびろうど張り。人を待たせるためだけの部屋に、これだけの金がかかっている。この会館のどこかに、うちが払った検印料も編み込まれているのだと思うと、壁布の艶まで腹立たしい。


 壁の書架には『連合意匠師名鑑』が年代順に並んでいた。王都の工房に立った意匠師の名を、代ごとに載せる綴りだ。


 手すさびに、二十年前の巻を抜いた。母が王都で腕を振るっていたはずの年代だ。


 ……ない。


 エレーヌ・ラヴォワの名が、どの頁にもない。知らない名前はいくつも載っているのに、載っているはずの名前だけが、ない。


 胸の奥が、すうっと冷えた。名簿の類いに漏れなどいくらでもある。それでも指が勝手に、同じ頁を二度めくり直していた。


「エステル様?」


「いえ。……この巻だけ、綴じ直しが新しい気がしましたの。気のせいですわね」


 頁を棚に戻したところで、ようやく扉が開いた。


「やあ、やあ。お待たせして申し訳ない」


 議長室の主は、恰幅のいい老紳士だった。仕立ての良い上着に、血色のいい笑顔。孫の自慢話でも始めそうな柔らかさで、彼は私たちに椅子を勧めた。


「連合議長のゴーティエです。いや、夜会の評判は聞いていますよ。月の色の灯りだそうで。若い工房が育つのは結構。実に結構」


 にこにこと、自らお茶まで注いでくれる。恫喝のひとつも覚悟していた身としては、拍子抜けするほどの上機嫌だ。


「先代のデュランさんには、私もずいぶん世話を焼いたものでね。急逝には心を痛めたよ。……ときに、共済金庫への返済は順調だとか。金庫を預かる連合としても、嬉しい限りだ」


 にこやかな世間話の形で、この方は「お前たちの借金の元締めは私だ」とおっしゃったのだった。私は扇を持つ手に、ほんの少しだけ力を入れた。


 なのに、部屋の空気だけが、少しずつ重くなっていく。


「さて、本題の規格審査ですがね。なに、形式的なものです。これに沿っていただくだけ」


 差し出された審査基準書を、レナールが受け取った。頁をめくる目が、途中から速くなる。


「……議長。確認を三点」


「どうぞ」


「基準第一項『同一規格にて百基の連続生産能力を有すること』。第四項『部材は連合登録の互換部材に限ること』。第九項『光度は連合標準灯を下回らぬこと』──これは、量産灯の基準では?」


「連合の規格はひとつですよ、デュランさん。灯りは灯りだ」


「月光灯は一点ずつの受注生産です。重ねの色は手仕事ゆえ、二つと同じにならない。それが価値です。この基準に掛ければ」


「落ちるでしょうな」


 ゴーティエは、湯気の立つ茶をひと口飲んだ。レナールは基準書の最後の頁をめくり、静かに続けた。


「もうひとつ。この基準書、制定の日付は」


「つい先月ですよ。時代に合わせて、規格も新しくしませんとな」


 先月。回状の資材止めをすり抜けたうちの月が、売れに売れていた頃である。あつらえたばかりの罠に、私たちはご招待いただいたらしい。


「議長。では、取引のご提案です。月光灯を量産灯と分けて、『工芸灯』の別区分として規格を──」


「デュランさん」ゴーティエは、やんわりと遮った。「区分を増やすと、規格が乱れる。規格が乱れると、王都が乱れる。連合は五十年、この形でやってきたのだよ」


 取り付く島も、値札もない。商人が値札のない相手と向き合うとき、それはもう商談ではなく、通告と呼ぶのだと思う。


「規格に適合しない品は『規格外品』。王都での販売も、夜会への貸出もできなくなる。──いや、決まりごととは窮屈なものだ。私も心苦しいのですよ」


 心苦しい、と言う顔が、つやつやと血色よく笑っている。


 なるほど。回状で資材を止めたのも、この笑顔だ。顔の見えなかった「敵」に、今日、名前がついた。


「議長様」


 私は膝の上で手を重ねた。建前用の、いちばん綺麗な姿勢で。


「その基準は、どなたのための公平ですの」


「王都のための、ですよ。奥方」


 ゴーティエは初めて、私をまっすぐ見た。


「灯りが安く、同じ品質で、間違いなく灯る。それが公平だ。そこに『二つとない月』は要らんのです。……若い工房が育つのは、結構。だがね」


 声は、最後まで柔らかいままだった。


「育っていい高さは、私が決める」


 ふいに、待合室の名鑑が頭をよぎった。あの、一巻だけ新しかった綴じ直し。あるはずの頁に、なかった母の名前。……考えすぎだ、と自分に言い聞かせて、私は綺麗な姿勢のまま微笑み返した。


 隣のレナールは、膝の帳簿に指一本置いていなかった。納得したとき以外、この人の指は動かない。私たちは目だけで頷き合った。──売られたのだ、喧嘩を。今度は、名前つきで。


「審査は二十日後、この会館で」


 ゴーティエは立ち上がり、それはそれは親切に、扉まで自分で開けてくれた。


「ああ、それから。どうぞご安心を」


 最後に彼は、世間話の顔で言った。


「審査員は全員、私の古い友人でね」


名前つきの宣戦布告でした。次話、夫婦の武器は帳簿と条文。連合規約全巻との徹夜戦です。

ブックマークと☆評価は、六十六段を上る足腰の支えになります。


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