第4話:売ってくれないなら、作るまで
「卸せない、とは。ダローさん、うちは支払いを一度も遅らせたことがないはずですが」
レナールの声は静かだったが、私には分かった。これは彼が一番怒っているときの声だ。
「分かってる、分かってるんだ若旦那……」
仕入れ商のダロー爺さんは、帽子を揉みくちゃにしながら言った。
「昨日の晩、ギルドの上のほうから、回状が来た。『デュラン工房への優先供給を控えるように』と。逆らやあ、うちが干される。魔石も硝子砂も、ギルドの検印がなきゃ王都じゃ商えねえんだ……」
「どなたの差し金です?」
「言えねえよ。……言えねえってことで、察してくれ」
爺さんは何度も頭を下げて帰っていった。作業場が、しんとなる。
若い職人が「じゃあ、三十七基はどうなるんだ」と声を上げ、誰も答えなかった。皆の目が、壁の注文札の山に向く。昨日まで希望の山だったものが、一晩で借金の山に見えた。
「回状ですって。うちが夜会で目立った、その翌朝に」ミレットが涙目で言った。「そんなの、あんまりです」
「あんまりだが、手際は良い」レナールは受注台帳を開いた。「感心している場合ではありませんが、敵の初動が早いのは、それだけうちの月が効いた証拠です」
「敵、ですか」
「ええ。顔はまだ見えませんが──必ず、名前のある誰かです」
さて、共同代表会議である。議題、資材がない。
「レナール様。魔石のほうは、ギルドの外に伝手は?」
「あります。行商時代の伝手で、東街道の鉱山組合から直に引けます。検印なしの魔石は王都の店先には並べられませんが──うちは店売りではなく受注生産。納品先は貴族の邸です。条文上、検印義務は『店頭販売』にしか掛かりません」
「まあ。ギルドの規約の穴を?」
「穴ではなく、条文どおりです。読まないほうが悪い」
この人、敵に回したくないわ。
「……行商時代の伝手、と仰いましたけれど。レナール様、行商をなさっていたの」
「十五から三年。本家の言いつけで、売れない鍋を売っていました」
「鍋」
「鍋です。おかげで王都の外に、義理と貸しがそれなりに。──今夜、手紙を六通書きます」
「問題は硝子砂です。こちらは代えが利かない。東の砂は鉄気が多くて、透明が濁る。蔵に残る砂で焼ける満月は、二十五基が精々です。……エステル様、透明抜きで、残りの月は?」
「作れません」即答した。「あの月は、最後の透明の蓋で艶が出ますの。──ただ」
私は作業場の隅、屑硝子の籠を見た。売り物にならない失敗作の山。青、乳白、そして、濁ったガラス。
「……ねえ親方。濁った硝子って、粉に挽き直して焼き締めたら、どうなるかしら」
「あ? そりゃ、霜みてえに白う曇るが……売りもんにゃならねえ」
「曇るのね。均一に?」
「まあ、腕が良けりゃあな」
「なら、それでいきましょう。透明の蓋の代わりに、霜の蓋。──月光灯の月に、薄雲をかけるの」
ガストンが目を剥いた。レナールが身を乗り出した。
「朧月です」と私は言った。「満月の型と、朧月の型。同じ工房の月でも、夜ごとに違う月が灯る。……どうかしら」
「原価は屑硝子ですから、ほぼただ。売値は──いや、これは満月より上を付けられる。数が作れない、と言えばいい」こつこつ、と帳簿が二度鳴った。「エステル様。あなたはやはり天才ですか」
「答えなくていいのでしょう、それ」
それから二十日間、工房は戦場だった。
東街道から夜通しで魔石の荷が着く。ガストンが窯の火を三基まで起こす。私は朧月の重ねの配合で三十回しくじり、三十一回目にミレットが「あっ、今の、雲です!」と叫んだ。
その日から、ミレットは霜挽き係になった。屑硝子の粉は、細かいほど白く曇る。細かすぎると、光が死ぬ。あの子の挽く粉は、なぜかいつも、ちょうど雲の粗さなのだ。
「才能ってのは、妙なとこに落ちてるもんだ」とガストンが唸った。まったくだわ。
職人たちは、もう私を盗み見なかった。代わりに「奥方! 三番の配合、もう一度!」と普通に怒鳴られるようになった。たぶんこれは、出世である。
納品前夜。最後の一基を検品して、気づけば窯の前で夜が明けかけていた。
隣で、レナールが試作の朧月灯を見上げている。上着を私の肩に掛けたのは自分のくせに、本人は寒そうにしているのが、ちょっとおかしい。
「レナール様は、どうして工房を継ぎましたの。デュランの本家は、大きな商会でしょうに」
彼は少し黙った。
「……三男には、本家に席がなかった。それだけです。合理的な話です」
合理的、という言葉を、この人はときどき、絆創膏みたいに使う。それも覚えておこう、と思った。
「……ちなみに旦那様。この上着、お返ししたほうが合理的では?」
「風邪で倒れられると工程表が崩れます。着ていてください。合理的な判断です」
合理的、合理的。便利な言葉だこと。私は袖を通さないまま、肩の上のぬくもりの原価について、考えないことにした。
「三十七基、全部納めます」と私は言った。「それで初回の返済をして、差し押さえの話を消して──それから?」
「それから、売られた喧嘩の相手を探しましょう。回状を出せる『ギルドの上のほう』は、そう多くない」
朝一番、荷馬車が出た。満月灯二十五基、朧月灯十二基。全件、納品完了。
見送りには、職人が全員出てきた。誰かが「うちの月だぞ、割るなよ!」と御者に怒鳴り、笑いが起きる。──初めて出勤した日、この作業場で私に挨拶を返す人は、一人もいなかったのに。
見送ったガストンが、ぼそりと言った。
「……先代より無茶だよ、あんたら」
初めて、親方が笑っていた。それから彼は、ふと真顔に戻って、私の手元を見た。
「なあ、奥方。前から訊こうと思ってたんだがな。その重ね方──型を火に透かしてから合わせる、その手つきだ。あんた、誰に習った」
「……母の膝の上で、と言いましたら?」
ガストンは何かを言いかけて、やめて、窯のほうへ戻っていった。
その広い背中は「今は聞かねえでおいてやる」と言っている気がした。
納品完了、返済の目処も立ちました。次話、三ヶ月目の決算の夜。──ところで皆さま、夫の上着は反則だと思いませんか。
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