第3話:その灯りは、月の色
母の重ね型は、生きていた。
二週間、私は窯場に通い詰めた。ガストンは何も言わなかったが、私が型の使い方を一つ間違えるたび、背後で盛大に舌打ちをし、三度目には黙って手本を見せた。それはもう、教えているのと同じだと思う。
試作は七度、失敗した。青が沈みすぎ、乳白が濁り、五度目には笠が窯の中で割れた。七度目の晩、屑籠を覗いたミレットが「あ。今日の青は、泣いてません」と妙なことを言い、その一言で配合の答えが出た。あの子の目は、たまに職人の誰より正しい。
「青を沈めて、乳白を重ねて、最後に透明で蓋をする。──親方、点けますわよ」
作業場の真ん中、布を掛けた試作一号に、小さな魔石を入れる。
布を取った。
誰かが、息を呑む音がした。
吊り灯の硝子笠の中で、魔石の硬い白光が、青と乳白の層を二度くぐって──やわらかい、銀色がかった光に変わっていた。壁に落ちる影までやわらかい。
「……月だ」ミレットがぽつりと言った。「満月の晩の色です、これ」
「月光灯、と名付けましょう」
レナールは試作を三方向から眺め、原価表を睨み、それから帳簿の表紙をこつこつと二度叩いた。
「売り方も決めました。これは店先に並べません。──夜会に貸し出します」
「貸し出す?」
「良い物ほど、良い場所で光らせて見せるんです。折よく、王都で一番人の集まるサロンから、夜会の装飾の引き合いが来ています。会場の灯りを全部、月光灯に替えましょう。売るのはその後です」
かくして十日後。私とレナールは、モンフォール伯爵家のサロンにいた。
大広間のシャンデリアと燭台、あわせて四十基。すべて月光灯に架け替えて、夜会の開始を待つ。依頼主には「灯りは開演の合図まで点けないこと」だけをお願いしてある。
開演前の会場で、私は早速、見つかってしまった。
「──やあ。エステル嬢……いや、今は商人の奥方でしたか」
振り向かなくても分かる。二年ぶりに聞く、この粘る声。
ユーグ・ダルモン伯爵子息。私の、元婚約者。
「お久しぶりです、ユーグ様」
「聞きましたよ、白い結婚だそうで。侯爵家も落ちたものだ。おまけに、ご自分で工房に立っておられるとか?」
ユーグは私の指先を見て、くすりと笑った。硝子を扱う者の手だ。小さな火傷の痕と、洗っても落ちない灰の色。
「似合いますよ、その、なんというか……作業着が」
周囲の令嬢たちが扇の陰で笑う。二年前と同じ構図。あのときの私は、ただ俯いていた。
「それで? 今夜は旦那様の付き添いですか。それとも納品のご確認かな。……ああ、失礼。白い結婚では、ご自分が納品物のようなものでしたか」
まあ、言うわね。
二年前の私なら、ここで唇を噛んだ。今の私は、懐の注文札の残り枚数を数えている。俯く暇が、ないの。
今日の私は、この会場の「仕入れ元」だ。
「まあ。ようございました。今夜はその作業着の成果を、ユーグ様にもたっぷりご覧いただけますわ」
「は?」
そのとき、開演の鐘が鳴った。従僕たちが一斉に、四十基の月光灯に魔石を点す。
──大広間から、ざわめきが消えた。
天井から、壁から、銀色のやわらかな光が降った。ドレスの宝石が、燭台の火では出ない静かな艶で光る。誰かの「まあ……」という声。それから、さざ波のような歓声。
「月夜だわ」「なんてやわらかい」「この灯り、どこの品?」
会場の中央で、藍色のドレスの貴婦人が扇を止めた。周囲がさっと道を空ける。今夜の主賓──王妹フェリシア殿下だ、と誰かが囁いた。
殿下は月光灯を見上げ、それから通る声で言った。
「面白い。あの灯りは、どなたの意匠?」
沈黙。依頼主のモンフォール伯爵が、私を手のひらで指し示す。
「デュラン魔導灯工房の共同代表、エステル様の意匠にございます」
視線が集まる。ユーグの顔が引きつるのが、視界の端に見えた。彼は慌てたように笑って、大きめの声を出した。
「じょ、冗談でしょう。……おい、デュラン殿! あなたも商人なら恥というものを知るべきだ。貴族の妻を、女を、職人まがいに働かせるなど──」
「訂正を二点」
レナールの声は、大広間の隅々まで、静かによく通った。
「第一に、妻を働かせているのではありません。彼女は当工房の共同代表です。経営権の半分は契約により彼女のもの。私は同輩として、彼女の才覚に敬意を払っている」
「な……」
「第二に。あなたが今、恥と呼んだその手が、この会場の月を作りました。──皆様、本日の灯りはすべて一点ずつ、受注生産にて承ります」
その後のことは、正直、あまりよく覚えていない。
「うちの夜会にも、ぜひ」「屋敷の玄関にあの月を」「娘の婚礼に百──は無理でも、十」
レナールは一件ずつ、納期と値を淡々と刻んでいった。値切ろうとした侯爵家の家令には「では、他家の順番の後で」と微笑み、家令は青くなって定価で頷いた。
名刺代わりの注文札が足りなくなった。モンフォール伯爵が「うちのサロンが最初だ」と自慢を始めた。フェリシア殿下が帰り際、私の火傷の痕をちらりと見て「良い手ね」とだけ言って去った。
ユーグは、いつの間にか消えていた。ただ、去り際の彼の目は、笑っていなかった。あの目は覚えておこう、と思った。
深夜、工房への帰りの馬車で、私は受注控えの束を数えた。
「三十七基。──レナール様、これ、三ヶ月どころか」
「ええ。初回返済分の目処が、今夜一晩で立ちました」
彼は窓の外の月を見て、それから私を見て、ごく真面目に言った。
「エステル様。今夜のあなたの月は、本物より良く出来ていました」
「……商人の世辞ですの、それ」
「事実の報告です。数字は嘘をつきませんが、私も滅多につきません」
翌朝。浮かれた私たちを、現実が窯の前で待っていた。
仕入れ商のダロー爺さんが、青い顔で立っていたのだ。
「若旦那、奥方……すまねえ。魔石と硝子砂、今日から、おたくにはもう卸せねえ」
夜会は大勝利、しかし資材が来ない!? 誰かの意地悪の気配がします。次話「売ってくれないなら、作るまで」。
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