第2話:貴族の飾り物に、灯りは作れない
デュラン魔導灯工房は、王都の下町、硝子職人の集まる一角にあった。
煉瓦造りの二階建て。一階に窯と作業場、二階に事務室。看板の塗りは剥げ、窯は五基のうち二基しか火が入っていない。
そして、入った瞬間に分かった。
この工房、腕は死んでいない。死んでいるのは、空気のほうだ。
「──皆さん、おはようございます。本日から共同代表を務めます、エステルです」
作業場に、私の声だけが響いた。
職人は十二人。誰も手を止めない。誰もこちらを見ない。ただ一人、奥の親方台から、白髪交じりの大男がのっそりと立ち上がった。
職人頭のガストン。先代からの生え抜きだと、レナールから聞いている。
「若旦那」
ガストンは私を素通りして、レナールに言った。
「うちは硝子と魔石の工房だ。貴族の飾り物を置く棚は、ここにはねえよ」
「飾り物ではなく共同代表です。契約書もあります」
「紙の上の話だろう。言っとくがな、奥方」
ようやく、ガストンの目が私を向いた。窯の火より熱くて、氷より冷たい目だった。
「貴族の飾り物に、灯りは作れねえ。ここは手前の手ぇ汚して、火傷して、それでも窯の前に立つやつの場所だ。悪いことは言わねえ、二階でお茶でも飲んでてくれ」
周りの職人たちが、小さく笑った。
隅っこで、栗色のおさげの女の子が一人だけ、おろおろと私と親方を見比べている。あの子は笑っていない。たぶん見習いだろう。
さて。
こういうとき、言葉で言い返すのは悪手だ。職人の世界の通貨は言葉ではない。手だ。
私は上着を脱いで、袖をまくった。
「お茶は結構。それより親方、あの窯──三番窯、昨夜から温度が落ちていませんこと?」
「……あ?」
「煙の色が重いわ。焚き口の右、灰が詰まりかけている色です。あのまま焚くと、今日の吹き硝子は全部、泡を噛みますわよ」
ガストンの眉がぴくりと動いた。若い職人が慌てて三番窯に走り、焚き口を検めて、振り返って叫んだ。
「親方! 詰まってます、右の通気!」
作業場が、初めて静かになった。
「……奥方。あんた、どこでそれを」
「母の膝の上で」
私は答えた。半分は本当で、半分は言わないだけだ。
母、エレーヌ・ラヴォワ。私が十歳のときに死んだ。侯爵夫人のくせに工房通いをやめなかった変わり者で、家の没落が始まったのはあの人が死んでからだ──と、親戚たちは言う。
私が覚えているのは、そんなことではないけれど。膝の上で見た図面の線と、灰と硝子の匂い。「エステル、光はね、削るんじゃなくて重ねるのよ」という声。それだけだ。
母が死んだあと、屋敷から工房の匂いは消えた。図面を描く私を家庭教師は叱り、親戚は嗤い、婚約者だった人は捨てた。だから画帳は、櫃の底に隠すものになった。──昨夜までは。
「手前の手を汚せと仰いましたわね、親方。では今日一日、私に窯場の下働きをさせてくださいな。箒でも灰浚いでも。それで使い物にならなければ、大人しく二階でお茶を飲みます」
「……勝手にしろ」
勝手にした。
灰浚いは、思ったより重労働だった。焚き口の下に潜り、鉄べらで灰を掻き出し、笊で運ぶ。ドレスの裾など、三分で灰色になった。
背中では、職人たちが小銭を賭けているのが聞こえる。「昼までもたねえな」「いや、昼飯までだ」。……残念でした。私、強情なの。
昼どき、作業場の隅で手巾の灰を払っていたら、目の前に木皿が差し出された。黒パンと、チーズの欠片。例のおさげの子だ。
「た、食べます? ……あの、実は賭け、あたしだけ『夕方まで』に張ってて」
「あら。では、勝たせてあげなくちゃね」
黒パンは硬くて、香ばしくて、どの晩餐会の皿より美味しかった。とだけ言っておく。
午後も灰を浚い、道具を磨き、屑硝子を色ごとに選り分けた。貴族の令嬢が屑籠を漁っている姿がよほど珍しいのか、昼過ぎには職人たちがちらちらとこちらを盗み見るようになり、夕方には、例のおさげの見習いちゃんがこっそり隣に来た。
「あ、あの、代表夫人……それ、あたしの仕事なんで……あたし、ミレットっていいます。見習いです」
「エステルよ。ね、ミレット。この青の屑、ずいぶん多いのね」
「あ、それ、失敗作なんです。青は色が沈むから、売り物にならなくて」
「沈む……」
私は青い屑硝子を燭台の火に透かした。沈む青。硬い魔石の光。──重ねたら?
指先が、勝手に図面を欲しがり始める。悪い癖だ。
その日の終わり、二階の事務室で、レナールと初日の「決算」をした。
「職人の信用、残高はほぼゼロです」と私。
「初日で三番窯の詰まりを当てた分、わずかに黒字です」とレナール。「それより、売る物の方針を決めましょう。現状、うちの品は安物の量産灯。大手の量産品と価格で殴り合って、負けています」
「なら殴り合いをやめましょう。数で勝てないなら、一点で勝つ。──よそに作れない灯りを一つ、看板に立てるの」
「一点で勝つ。良い響きですが、一点物は工賃が乗ります。相応の値で売る度胸が要りますよ」
「度胸は旦那様のご担当でしょう?」
「値付けと販路はお任せを。意匠は、好きに暴れてください」
暴れて、ですって。まったく、この人は私の扱いをよく分かっている。
「よそに作れない灯り。それで、当てはあるんですか」
あるかもしれない。まだ言わないけれど。
「その前に、倉庫を見せてくださいな。この工房に何が残っているか、資産の棚卸しがまだですわ」
埃をかぶった倉庫の奥で、私は木箱の山を崩し──そして、手が止まった。
古い鋳型が出てきた。硝子を幾重にも重ねるための、特注の重ね型。こんな手の込んだ型、量産工房にあるはずがない。
型の裏に、製作者の銘が彫ってある。私はそれを、燭台に近づけた。
──E・L。
心臓が、どん、と鳴った。
母の銘だ。どうして、母の型が、この工房に。
「エステル様? 何か資産になりそうな物でも──」
「……ええ」
私は型を抱えたまま、振り返らずに答えた。声が震えないように。
「とびきりのが、一つ」
倉庫から出てきた「E・L」の重ね型。次話、いよいよ看板商品づくり──そして嫌なあの人が再登場します。
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