第39話:銀貨と金貨のあいだ
五十二件。
商館の書状には、問い合わせの内訳まで丁寧に添えてあった。伯爵家が四つ。商会が十一。あとは町の裕福な家々である。うち十九件は、値を聞く前に「二基」と書いてよこしていた。
「勝ちましたわね」
私が言うと、レナール様は帳面から顔を上げなかった。
「まだです」
「あら。ずいぶん慎重ですこと」
「慎重ではありません。計算が合わないのです」
彼は、朝からずっと同じ頁を見ていた。この人が一つの頁を半日見ているときは、たいてい、数字のほうが間違っていない。
「エステル様。銀貨の話を、してもよろしいですか」
「伺いますわ」
「うちは代金を、オルレア銀貨で受け取ります。契約にそう書いてある。──ですが、うちが職人に払うのも、砂を買うのも、王国の金貨です」
「両替を、なさるのね」
「します。問題は、その両替の割です」
彼は白紙を一枚引き寄せ、線を二本引いた。
「去年の暮れ、オルレア銀貨十枚で、王国金貨一枚と替わりました。今月は、十一枚です」
「一枚、余計に要りますのね」
「はい。……先月は、十枚半でした」
私は、線の傾きを見た。傾きというものは、傾きはじめてから気づくものらしい。
「なぜ、そうなりますの」
「オルレアが、銀貨を打ちすぎているからです」
彼は、いつもの早口になった。
「北の銀山の産出が三年前から増えている。増えたぶん、王家が銀貨を打った。銀貨が増えれば、銀貨一枚の重みは軽くなる。──重みが軽くなったのに、うちの品の値は銀貨で決めてある」
「では、売れば売るほど」
「目減りします」
彼は、そこで初めて顔を上げた。
「三十基でしたら、たいした差ではありません。誤差です。──四百基でしたら、両替の卓の上だけで、職人一人ぶんの給金が一年で消えます」
「まあ」
「そして、来年の割は、私には分かりません。銀山の産出は、私の帳簿の外にありますので」
数字は嘘をつきません、と言い続けてきた男が、珍しく困った顔をした。
「数字は嘘をつきませんが」
彼は言った。
「数字を数える単位のほうが、勝手に痩せていくことがあります」
その日、私は工房の蔵に降りた。
白砂の山を見に行ったのである。この一年、何度も見に来た山だ。減っては届き、届いては減る。母の型を焼こうと思っても、この山の高さが必ず先に立ちはだかった。
満月灯は、この蔵の砂で二十五基が上限。最初にそう言われたのは、婚礼の翌週だった。あれからずっと、私たちはこの二十五という数字の下で生きている。
「値切れませんの」
いつだったか、私は親方にそう聞いた。
「砂は値切っても増えねえよ、奥方」
増えない。
談判もできないし、条文の抜け道もない。ただ、無いものは無い。
──無いものは、無い。私は、しばらく砂の山を見ていた。それから、階段を駆け上がった。
「レナール様!」
「はい」
「銀貨で受け取らなければ、よろしいのでは」
彼が、羽ペンを止めた。
「……と、申しますと」
「痩せていくのは銀貨でございましょう。でしたら、痩せないもので頂けばよろしいのだわ。──オルレアで買えて、こちらで要るもの。積んで帰れて、腐らないもの」
「エステル様」
「ヴェルヌ川の白砂ですわ」
商館の書状に、一行だけ書いてあったのを覚えていた。オルレアは河の国で、上流のヴェルヌ川の砂は硝子に向く、と。ただの世間話のつもりで書かれた一行である。
レナール様の指が、帳簿の上でぴたりと止まった。それから、彼の口が、恐ろしい速さで動きはじめた。
「──代金の一部を砂で受け取る。砂の値は向こうの市で立つ。銀貨が痩せれば砂の銀貨建ての値も上がるので、痩せぶんが相殺される。いや、それより、帰りの荷馬車が空で戻っている。空の荷馬車に砂を積めば運賃はほぼ増えない。ということは仕入れ値が。エステル様、あなたは」
「答えなくてよろしいのでしょう?」
「帳簿がもう答えています」
交渉は、ヴァレ様が三日でまとめてくださった。代金の六分は銀貨、四分は白砂の現物で。商館としても、銀貨を減らして荷を増やせるのは悪い話ではないという。
最初の砂が届いたのは、それから十日後だった。麻袋が六つ。土間に下ろされたそれを、親方が無言で開けた。
指を突っ込み、掬い上げ、光にかざす。白い。うちの蔵の砂より、明らかに白い。
親方は、しばらく何も言わなかった。掬った砂を指の間から落とし、また掬い、また落とし──三度目に、掌の砂をじっと見た。
「親方?」
「……奥方」
「はい」
「これは、良すぎる」
その声が、なぜか、褒めているようには聞こえなかった。
「うちの蔵の砂と、比べてみろ」
親方が、蔵から一掴み持ってきて、卓に並べた。
二つの砂を、私は見比べた。粒の細かさも、白さも、ヴェルヌ川のほうが一段上に見える。悪い話には、まるで見えない。
「これで満月灯を焼いたら、蔵の砂より、何基多く出る」
「重ねを薄くできるぶん、三割は」
「三割だ」親方は言った。「二十五基が、三十二、三基になる」
「良いことではございませんの」
「良いことだよ。良いことすぎて、俺は落ち着かねえ」
親方は、砂の山にもう一度手を突っ込んだ。
「二十年、この蔵の砂で頭を悩ませてきた。値切れねえ、増えねえ、無いものは無い。──そう思い込んで、俺たちはずっと工夫でやってきた。それが急に、向こうから『もっと良いのがある』って出てくるとな」
「出てくると」
「出どころを、疑いたくなる性分でな。職人ってのは」
親方はそう言って、砂を袋に戻した。それ以上は、何も言わなかった。私は、その夜、砂の袋をもう一度開けて、指の間から零してみた。
白い。ただ、白いだけの砂だった。考えすぎだろうか、と思いながら、私はしばらく蔵の暗がりに座っていた。
第40話「バルタザールの帳簿」。倉庫の三十基は、まだ曇っております。そろそろ、こちらから検めさせていただきましょう。
為替の話を数字なしで書いてみました。☆評価が、次の便の運賃です。




