第38話:値のつかない灯り
王妹殿下の使節が発つのは、年の暮れの十日前だという。その荷に、うちの満月灯が二基、載る。
「関税は、かかりません」
レナール様が帳面を開いて言った。
「王族から王族への贈答品です。商いの荷ではないので、そもそも通関の枠に入らない。監督官殿の書類も、指も、届きません」
「よろしゅうございましたわ」
「よろしくありません」
彼は、次の頁をめくった。
「二基ぶんの原価が出ます。いちばん重ねの多い満月灯です。硝子も魔石も上等を使いますし、焼くのに窯を一基、二日は空けます。──そのうえ、売上が、一枚も立ちません」
「贈り物ですものね」
「贈り物です。値をつけたら贈り物ではなくなります」
帳簿というのは、正直なものである。出ていくものは全部書ける。入ってこないものは、書く欄すらない。
「倉庫の三十基は」
「止まったままです」
冬の市には、間に合わない。贈り物の二基を焼くと聞いたときの、親方の第一声は短かった。
「ただ働きか」
「ただ働きですわ」
「上等な砂を使うぞ」
「使ってくださいまし」
親方は舌打ちをして、それから、蔵でいちばん白い砂を量りはじめた。文句と手が逆を向いている人である。
「重ねは」
「五段でお願いいたします」
「五段? 王宮に納めるやつと同じじゃねえか」
「同じでは足りませんの。──いちばん良いものを置いてまいりませんと、意味がございませんもの」
ミレットは、二基ぶんの硝子玉を三日かけて磨いた。
「代表夫人。これ、お金にならないんですよね」
「なりませんわね」
「じゃあ、あたしの磨きも、お金になりませんね」
「そうなりますわ」
「──じゃあ、いちばん照りのいいやつにします」
この子の理屈は、時々こちらを黙らせる。私はその日から、三日に一度、関所の倉庫へ通うことにした。
布を持って、木箱を開けて、曇った笠を一基ずつ拭く。三十基を拭き終えるころには、最初に拭いた灯りがまた薄く曇っている。賽の河原みたいな仕事だった。
「奥方様。ご精が出ますな」
バルタザール様は、ときどき見に来た。
嫌味を言うためではない。本当に、感心して見ているのである。それが、いちばん腹立たしかった。
「よろしければ、布をお貸ししましょうか」
「ご親切に。けれど、これはわたくしの仕事ですので」
「左様でございますか」
彼は一礼して、帰っていく。
この人は、私が根負けするのを待っている。急かしもしないし、脅しもしない。ただ、こちらが折れるまで、規則の側で立っているだけだ。
工房に帰った夜、私は帳場の卓に突っ伏した。淑女としては最低の姿勢である。
「エステル様」
「拭いても拭いても曇りますの」
「存じております」
「三十基が倉庫で曇っていて、いちばん上等な二基は、ただで国境を越えますのよ。……順番が、あべこべですわ」
レナール様は、しばらく黙っていた。それから、帳面を新しい頁で開いて、一行、書き足した。覗きこむと、見慣れない科目が並んでいた。
『宣伝費・オルレア 二基』
「……宣伝費」
「損ではありません」
彼は羽ペンの尻で、その行を指した。
「贈り物として置かれた灯りは、王宮の広間に、一年でも二年でも点いています。オルレアじゅうの貴族が、その下を通ります。──売上は立ちませんが、見られます。見られるために金を払うことを、商いでは宣伝と言います」
「では、これは」
「前払いの宣伝費です。二基ぶんの原価で、王宮の広間を一年借りたと思えば、むしろ安い」
私は顔を上げた。
この人はいつもそうだ。愛の言葉はひとつも寄越さないくせに、私がへこんだ日に限って、帳簿の科目を一つ新しく作る。
「レナール様」
「はい」
「その計算、いつからなさっていましたの」
「殿下のお話を伺った日の、帰りの荷馬車の中からです」
三日も前ではないか。
「なぜ、すぐ仰らないの」
「……曇りを拭きながら怒っている奥方に、『あれは宣伝です』と申し上げるのは、順番として下策かと」
私は、しばらく言葉が出なかった。この男は、慰め方を知らないのではない。慰めるのに三日かける、という不器用な形で知っているのである。
「では、こちらからも一つ、ご提案がございますわ」
私は羽ペンを取った。
「贈り物の二基に、札を添えとうございます」
「札、ですか」
「工房の名と、意匠の登録の番号を。──王都意匠登録局、登録第七一二号。エステル・ラヴォワ」
「オルレアでは、その番号に力はありませんが」
「力はなくても、日付はございますわ」
私は、自分でも思いのほか静かな声で続けた。
「いつ、誰が、この形を人前に出したか。それが王宮の広間に、札として置かれます。……いつか誰かが『先に作ったのは自分だ』と言い出したとき、その札より前の日付を、その人は出せませんでしょう」
レナール様が、羽ペンを置いた。そして、帳簿の表紙を、指の背で──こつ、こつ。
二度、叩いた。
「札は、私が書きます」彼は言った。「オルレア語の綴りは、支配人殿に検めてもらいましょう」
札は、羊皮紙を小指ほどの幅に切って作った。
工房の名。意匠の名。登録の局と、番号と、日付。それだけを、レナール様が細い字で書いた。オルレア語の綴りはヴァレ様が三度検めて、二度直した。
「たった一行でございますな」
支配人は、書き上がった札を光に透かして言った。
「──たった一行でございますが。二十年後に、この一行を探しにくる者がいるかもしれません」
妙な言い方だと思った。あとになって、私はこの言葉を何度も思い出すことになる。使節が発ったのは、年の暮れの十日前。
二基の満月灯は、籾殻と丸い粒に守られて、税も払わず、値もつかず、国境の門をくぐっていった。そして、婚礼の翌週。
商館から、早馬が来た。オルレアの貴族筋から、月光灯の問い合わせが──五十二件。
第39話「銀貨と金貨のあいだ」。問い合わせは来ました。ただ、売れば売るほど目減りする、という話がその後にございます。
値のつかないものにこそ、値がある回です。ブックマークが宣伝費の代わりになります。




