第33話:見覚えのある重ね
見本箱は、三日後に届いた。
ヴァレ様が商館の伝手で取り寄せてくださった、アシャール灯火商会の品である。売れ筋を四つ。木箱に藁を詰めて、ずいぶん丁寧に梱包されていた。
「敵さんの品を工房に入れるのは、あんまり気分のいいもんじゃねえがな」
ガストン親方はそう言いながら、箱の前にいちばん先に座っていた。職人というのは、こういう人たちである。
「親方。開けてくださいます?」
「言われなくても開ける」
藁が、土間に散った。
最初の一基は、飾りの多い吊り灯りだった。悪くない。硝子は厚めで、光は素直に白い。二基目は卓上の小さなもの。三基目は屋外用の頑丈な作り。
どれも、正直に言えば、良かった。安いのに丁寧で、量を作る工夫がそこかしこに入っている。
「安く早く、ってのは嘘じゃねえな」
「ええ。……悔しいことに」
「代表夫人、この笠!」ミレットが二基目を持ち上げた。「継ぎ目がないです。一枚で吹いてます、これ」
「よく見ましたわね」
「あたし、磨く係ですから。継ぎ目があると、そこで布が引っかかるんです」
テオが奥から出てきて、三基目の台座を裏返した。訥々と、短く言う。
「……ねじが、四本。うちは六本」
「二本減らして、緩まねえのか」
「緩みます。三年くらいで。……そのころには、次のを買わせる気だ」
工房が、少しだけ静かになった。安いには安いなりの理屈があり、その理屈は職人の側からはあまり気分のいいものではない。
私たちは職人の顔で、ひとつずつ点けていった。値段、原価の見当、量産の工程。レナール様が横で数字を書き取っていく。
「価格はうちの朧月灯の、およそ六割」彼が頁を伏せた。「同じ値では戦えません。もっとも、同じ値で戦う必要もない」
ここまでは、ただの敵情視察だった。四基目の蓋を、親方が開けた。
そして、動かなくなった。
「親方?」
返事がない。
私は隣を覗き込んで、それから、私も動けなくなった。
箱の中にあったのは、細い柱の上に丸い笠を載せた、地味な卓上灯だった。飾りはほとんどない。硝子は薄く、二枚を重ねてある。
重ねが、二段。
それ自体は、珍しくない。二段重ねの灯りなど、どこの工房でも作る。私が昨日、朧月灯の話をしたときにも二段と言った。
珍しいのは、継ぎ目の位置だった。
二枚の硝子を重ねるとき、合わせ目はどうしても線になる。だから普通は、正面から見えない横へ回す。それが当たり前で、それで十分だ。
この灯りは、横ではなかった。
継ぎ目が、台座の真裏へ回してある。
真裏へ回すには、硝子を一度余分に持ち替えなければならない。工程が一つ増える。手間だけが増えて、値段は一枚も上がらない。誰もやらない。やる意味がない。
──光にしか、意味がない。
継ぎ目を裏へ逃がすと、正面の光の中から線が一本、完全に消えるのである。
「……裏継ぎ」
声に出したのは、私ではなかった。
親方が、灯りを両手で持ち上げていた。窯の火にも焦げつかないあの手が、震えている。
「これは」
「親方」
「これは、エレーヌ様の型だ」
工房の音が、全部止まった気がした。窯の火の音も、ミレットの箒の音も、聞こえなくなった。
「間違いねえのですか」
レナール様の声も、いつもの商談の声ではなかった。
「間違えるかよ」
親方は灯りを卓に置き、指で台座の裏をなぞった。
「俺は十七の年から、この持ち替えを叩き込まれたんだ。『線を一本、正面から消すために、一工程くれてやりなさい』ってな。損だ損だと文句を言いながら、二年やった。……この手つきを忘れるくらいなら、俺は自分の名前を忘れる」
私は、母の型のことを何ひとつ知らないまま育った。知っているのは、この人だけだ。
「──台座の裏を、見せていただけます?」
親方が灯りを裏返した。
銘は、なかった。「E・L」の二文字が刻まれているはずの場所は、つるりと平らだった。代わりに、小さな四角の中に錨の紋が押してある。アシャール灯火商会の印だという。
誰かの手つきだけが残って、名前だけが消えている。
……見覚えのある光景だった。ほんの数か月前、私はギルド会館の卓で、名を削られた審査記録を広げたばかりである。
「この品、いつからのものですの」
「商館の目録によれば」レナール様が頁を繰った。「型としては、十八年ほど前から。アシャール商会の看板品のひとつです。安くて丈夫で、光が柔らかい。オルレアの家庭に、いちばん多く置かれている灯り」
「十八年前」
母が亡くなったのは、二十年前だ。ギルドの審査記録から名を削られ、失意のうちに病んで、その二年ののちに、この型が海の向こうで売られはじめている。
「レナール様」
「はい」
「二十年前、母の意匠は」
私は、自分の声が薄くなるのを感じた。
「──握り潰された、のだと思っておりましたの」
議長は母の出品を「規格外」として落とし、記録から名を削った。それで話は終わりだと思っていた。潰す。消す。無かったことにする。それだけだと。
潰したものが、どうして海の向こうで、十八年も売れているのだろう。親方が、低い声で言った。
「……奥方。潰したんじゃねえのかもしれん」
「親方」
「潰すってのはな、燃やすか、割るか、捨てるかだ。俺たちの商売じゃそうだ。──売るってのは、潰すとは言わねえ」
窯の火が、遠くで鳴った。
「憶測は、まだ憶測ですわ」
私は自分に言い聞かせるように言った。声が、思ったより固かった。
「型が似ることはございます。裏継ぎだって、どこかの誰かが同じことを思いつくかもしれません。手間をかけて線を消したいと思う職人は、この世に母だけではないはずですもの」
「奥方」
「……ええ。分かっておりますわ」
思いつく職人がいたとして、その人はどうして、二十年前のこの国から消えた技を、十八年前の海の向こうで、看板品にできたのか。偶然は、そこまで器用に働かない。
「エステル様」
レナール様が、静かに言った。彼はさっきから、帳面に何も書いていない。書かずに考えるとき、この人はいつも指を止める。
「今日のところは、灯りを一つ、多く見ただけです」
「はい」
「輸出の話は輸出の話として進めます。冬の市には間に合わせる。……ただ、一つだけ増やしておきたい仕事がございます」
「伺いますわ」
「アシャール商会が、この型をいつ、誰から手に入れたか。商館の古い目録に、当たれる範囲で当たります」
当たれる範囲。この人はこういうとき、必ず範囲を切る。約束できない量を約束しない男なのだ。
「レナール様」
「はい」
「……ありがとう存じます」
「礼には及びません」彼は言った。「うちの品を、うちの知らない誰かが十八年売っていたのなら、それは経営の話です。私の領分ですので」
嘘である。
経営の話にしてくださっただけだ。そうしておけば、私が泣かずに済むから。
卓の上では、母の手つきをした灯りが、他人の紋を押されたまま、静かに点いていた。線の一本もない、まっさらな光だった。
第34話「割れない積み方」。まずは、荷を割らずに国境まで届けるところからです。名乗りを上げたのは、見習いでした。
二十年前の型の話は、ここから長くなります。☆評価が、調べを進める燃料です。




