第30話:解消は、しません
発表は、調達局の大広間で行われた。
読み上げは、短かった。
「王室御用達 魔導灯。──デュラン魔導灯工房を、選定する」
拝命。
ガストンが吼え、ミレットが跳び、職人たちが抱き合った。私は隣の人と目を見交わして、それで、十分だった。歓声の中で、私たちだけが妙に静かだったと思う。本番の卓は、この後に控えていたからだ。
最初の卓は、その場で開いた。
「選定に先立ち、監察より報告があります」
進み出たのは、王宮監察の官吏だった。観覧席にはフェリシア殿下。扇の陰の目が、ちらりとこちらを見た。──観るとは仰った。ここまで含めて、だったらしい。
「審査局長メルシエ。貴官には、仕様書の事前漏洩、ならびに入札妨害の嫌疑がある」
卓に並べられたのは、うちが監察へ提出した綴りだった。バルニエ工房がふた月前から仕様どおりの試作を焼いていた仕入れ台帳の写し。
一等魔石を買い占めた代理商五つの手形と、裏書の先の調達局出入りの両替商。原資はバルニエの取引金庫。日付、金額、経路。全部、数字だ。
「わ、私は手続きどおりに──」
「その手続きの中身が、罪状です」
メルシエは、その場で職を解かれた。連行される間際、あの書類みたいな目が初めて、人間の目になって私たちを睨んだ。恨むなら、数字を恨んでいただきたい。嘘をつかなかったのは、そちらの帳簿も同じなのだから。
バルニエ工房は選定資格の剥奪と、向こう五年の入札停止。あの金糸の当主は、最後まで姿を見せなかった。
二番目の卓は、三日後、ギルド会館だった。
臨時理事会。招集の理由は、王宮からの正式な照会である。御用達工房への入札妨害に、連合議長裁量金が使われた疑い──こうなればもう、理事たちも開かずにはいられない。
議場の中央、二十年前と同じ会館の卓に、私たちは持てるすべてを並べた。
ジスラン商会の裏帳簿の写し。『意匠妨害の依頼料・前金、金貨五百枚、受領』の行と、出所の議長裁量金。『入札より前に、月を潰せ』の依頼文。メルシエの一件の監察記録。
そして──刃で名を削られた二十年前の審査記録。一巻だけ抜き取られた王宮納入台帳の目録。連合名鑑の綴じ直し。大聖堂の献灯記録の写し。母の重ね型と画帳。ガストンの、公証人の封印つきの証言録取書。
読み上げが進むにつれ、理事たちの顔から血の気が引いていった。二十年前の話と、今年の話が、同じ手口で、同じ名前で繋がっていく。
「──たかが、灯り一つの話だ」
ゴーティエは、最後まで鷹揚だった。血色のいい笑顔のまま、彼は言った。
「秩序の話をしているのだよ、諸君。王都の灯具で食う工房が何軒あると思うかね。育っていい高さは──」
「あなたがお決めになるのでしょう?」
私は、静かに遮った。二十年ぶんだけ、静かに。
「二十年前、母の工房でも、同じことを仰いましたわね。『育っていい高さは、我々が決める』と。……議長。月の高さは、あなたには決められませんの。二十年前も、決められていなかった。あなたはただ、見上げる者の目を、塞いで回っただけですわ」
採決は、挙手ですらなかった。理事たちは互いの顔を見て、それから一人ずつ、卓に議長解任の署名を置いた。保身の速さだけは、見事なものである。ゴーティエの身柄と裁量金の帳簿は司直へ。あの底光りのしない目が退場するのを、私は最後まで見届けた。
そして理事会は、もうひとつの決議をした。
二十年前の審査記録への、名の回復である。
公証人の立ち会いのもと、書記が新しい墨を磨り、削られた行の隣に、正式の付記を書き入れた。
『本記録の削除は不当。当該出品者の名を、ここに回復する。──エレーヌ・ラヴォワ』
娘の工房が王室御用達を拝命した週に、母の名前が、二十年ぶりに公式の記録へ帰ってきた。
ガストンが、声を殺さずに泣いた。
「……いいんだよ、ここは窯の前じゃねえんだ」
誰も、笑わなかった。私も、今日ばかりは職人の掟を破った。母さん。見えていて。あなたの名前が、いま、灯りの真下にある。
──その夜。祝宴のあとの、静かな工房。
二階の事務室の円卓に、レナールは一枚の書面を置いた。初夜のあの契約書だ。第七条の行が、燭台の灯りに照らされている。
『一、工房が王室御用達の栄を賜りし暁には、本婚姻の解消を協議するものとする』
「──条件が、満たされました」
彼の声は、精一杯の商談の声だった。精一杯なのが、分かってしまう程度の。
「条項どおり、協議を申し込みます。……あなたはもう、王室御用達工房の共同代表だ。家名も資本も、この婚姻を必要としません。あなたは、自由です」
「協議、承りますわ」
私は円卓の向かいに、きちんと座った。初夜と同じ席だ。あの夜は帳簿が五冊あった。今夜は契約書が一枚と、彼の使い込んだ帳簿が一冊きり。一年で、ずいぶん身軽な卓になった。
「では共同代表として、協議の結論を申し上げます」
息を吸う。この一年でいちばん上等な、商談の顔で。
「──解消は、しません」
レナールが、目を見開いた。
「じょ……条件の、再確認を。いえ、その、理由を、伺っ──」
「あら、動揺なさって。言葉が在庫切れですわよ、旦那様」
「……理由を。伺っても」
「礼拝堂の夜のお返事を、まだ払っていませんもの。わたくし、借りは利息をつけて返す主義ですの」
私は羽ペンを取り、第七条の余白に、一行を書き足した。
『追記。本条の協議は成立せず。以後、本契約に期限を定めない』
「それから、これがわたくしの答えですわ」
言葉の代わりに、私は円卓の上の、彼の帳簿に手を伸ばした。
表紙を、指の背で──こつ、こつ。
二度、叩いた。
あなたの流儀で言うところの、心からの納得、という意味だ。
レナールは、しばらく動かなかった。それから、契約書に書き足された一行の上に、そっと手を置いた。私はその手の上に、自分の手を重ねた。初夜に署名し損ねた場所へ、一年遅れの署名をするみたいに。
「……本日の決算を、共同代表」
「本日の決算。御用達がひとつ、名誉の回復がひとつ、局長と議長の退場がふたつ。それから──婚姻契約の更改が、一件。金貨換算のできない黒字ばかりで、帳簿係泣かせですわね」
「いえ」彼は言った。「当工房、開闢以来の最高益です」
数日後の朝、工房に一通の書状が届いた。
見慣れない封蝋だった。隣国オルレア王国、王都商館の紋。レナールが封を切り、読み進むうちに──ああ、あの目だ。図面を前にしたときの、子どもみたいな目。
「エステル様。月光灯を、オルレアへ輸出しないかという打診です。国境の関税が、為替の相場が、いや、その前に販路の──」
「レナール様」
「……明日に、しましょうか」
「いいえ」
私は笑って、夫の向かいの椅子──一年前から私の席と決まっている、あの椅子を引いた。
「今すぐ伺いますわ。共同代表ですもの」
(第1部・完)
第2部「輸出と為替」──夫婦の商いは、次の章で国境を越えます。オルレアの商館が持ち込むのは、儲け話か、それとも。
ブックマークと☆評価が、輸出船の追い風になります。
第31話『オルレアからの一通』より、本作は連載を再開いたします。次の章も、どうかお見逃しなく。




