第29話:二十年前の灯り
王宮大広間は、天井に星図の天井画、床は鏡のような大理石、壁の半分が磨いた鏡張りだった。
観覧席にはフェリシア殿下と女官たち、審査席には調達局の審査官が七人、その脇に算盤を抱えた勘定方。進行はメルシエ局長。今日も書類みたいな目で、露骨なほど丁寧だった。
「では実演審査を。──まずはバルニエ工房から」
先手はあちらだった。そして正直に書く。見事だった。
中央の主灯架に据えられた黄金の大灯は馬車ほどもあり、真鍮の枝葉は精緻で、一等魔石が十二粒、堂々と輝いた。残る百十九基の灯架にも、揃いの金枠灯が寸分の狂いなく並ぶ。百二十年の名門の、けれん味のない大仕事だ。うちのガストンでさえ「……枠はいい枠だ」と唸った。
ただ、光が硬かった。魔石の白い光が鏡と大理石に照り返し、大広間は真昼のように明るく──観覧席の誰もが、少しずつ目を細めた。眩しさは、豪華さに似ている。似ているだけだ。
「続いて、デュラン魔導灯工房」
持ち時間、一刻。号令はガストン、掛け替えの手順は全員の体に入っている。百十九基の満月灯と朧月灯が灯架に掛かり、中央の主灯架に千粒の月の環が昇っていく。テオの指が最後の魔石座を検め、ミレットが台座の月印をひとつずつ確かめて、駆け戻ってきた。
「全基、月紋よし! ──代表夫人、点けられます!」
私はレナールと目を見交わした。頷きは、ひとつでよかった。
「──点灯」
大広間に、月夜が降った。
最初に変わったのは、床だった。鏡の大理石が水面になった。百二十の月が床に映り、鏡の壁がそれをまた映し、月は百二十では利かない数に増えて、どこまでも続く月夜の湖になった。天井画の星々が、初めて夜空の中で息をした。
銀の光は人の頬に血の色を残す。審査官たちの顔から、眩しさの険が消えていく。誰かが息だけで「ほう……」と言った。フェリシア殿下は扇を閉じ、閉じた扇を膝に置いて、それきり動かなかった。
「光量の計測を」
メルシエの声だけが、事務のままだった。計測係が光量計を掲げ、読み上げる。
「基準値──超過。色味、規定内。全基、適合です」
「……魔石の等級を検めよ」メルシエが初めて、進行の外のことを言った。「本工房の使用魔石は三等と聞く。仕様の光量基準は一等相当。等級の偽りがあれば、失格に当たる」
来た。私が口を開くより早く、隣で帳簿が開いた。
「審査局長殿。仕様書第十七条を、ご確認ください」
レナールの声は、大広間によく通った。
「基準は『光量および色味』。魔石の等級を指定する条文は、五十三条のどこにもありません。当工房は三等魔石二粒と硝子の三段の濾しで、基準光量を超過しました。──仕様書は光をご注文でした。私どもは、光を納めたのです」
「詭弁を──」
「それから勘定方の皆様に、こちらを」彼は綴りを掲げた。「灯具百二十基、向こう十年の維持費の試算です。一等魔石を使う灯りと、三等で同じ光量を出す当工房の月光灯。年間の魔石代は、三分の一を切ります。数字は嘘をつきません。どうぞ、算盤でお確かめを」
勘定方が綴りに群がり、算盤が鳴り、やがて審査席の空気そのものが、目に見えて傾いた。王宮とは、つまるところ王国でいちばん大きな家計である。
メルシエは何か言いかけ──観覧席の扇が、ぱちり、と一度鳴った。
「続けて? 局長」フェリシア殿下は微笑んでいた。「私、今とても面白いのだけれど」
「……審査を、続行します」
閉会のとき、大広間の月はまだ灯っていた。審査官の一人が退出間際に振り返り、もう一度だけ天井を見上げたのを、私は見た。ああいう一瞥は、票より正直だ。
発表は明日。けれど、勝敗はもう、あの床の水面に書いてあった。
帰り道、荷馬車を先に帰して、私たちは河岸を歩いた。どちらが言い出したのでもなく、足は聖オディール礼拝堂に向いていた。勝ちの報告をするなら、大聖堂より、あの古い月の下だと思ったのだ。
夜の堂内は無人で、母の月光灯だけが灯っていた。並んで長椅子に座ると、二十年物の銀色が、二人ぶんの膝を照らした。
訊くなら、今しかなかった。
「レナール様。……ひとつ、清算していない勘定がありますわね」
「と、仰いますと」
「なぜ、そこまで、なさるの」
私は、まっすぐ彼を見た。
「入札のためではないでしょう。官報に金貨十二枚、老官吏の聞き込みに三日。母の名誉は、審査の票を一票も動かしませんわ。あなたの帳簿は母の件で、最初から赤字を出しっぱなし。……数字の男が、勘定の合わないことをする理由を、教えてくださいな」
長い、沈黙だった。
レナールは、母の灯りを見上げた。そして観念したように、静かに言った。
「──六つの歳から、この長椅子で寝ていました」
「…………え」
「商会は私を、よくこの倉庫街の荷倉に預けました。預けた、というのは体裁のいい言い方で……夜、迎えが来ないことが、ままありました。倉庫街の夜は暗い。暗い夜に、この界隈でひとつだけ、朝まで消えない銀色の灯りがあったのです」
彼は、灯りから目を離さなかった。
「魔石の光は、人の顔を蝋のように照らします。ですがこの灯りは、六つの子供の手に、血の色を残してくれた。……大きくなって、台座の銘を調べました。E・L。エレーヌ・ラヴォワ。名鑑のどこにも、その名はありませんでした」
「じゃあ、白い結婚のお話は──」
「二年前、噂を聞きました。ラヴォワ家のご令嬢が『働く令嬢など恥』と婚約を解消された、図面ばかり描く変わり者だと。……嘲る声の真ん中で、私は一人、勘定をしていました。あの灯りを作る家の才能が、飾り棚で腐ろうとしている、と」
彼はようやく、私を見た。
「家名は、口実です。私は──あなたの母君の灯りが、子供の頃の私を救った。その借りを、返したかった。あの灯りを作る家の才を、今度は私が救いたかった。……初夜に、愛の在庫はないと申し上げましたが、あれは」
彼は一度目を伏せ、言い直した。
「棚卸しの、誤りでした。在庫は──二十年前から、ずっと、ここにあったのです」
母の月の下で、私は、動けなかった。
打算の男。数字の男。愛は約束できないと言った人。その人がこの世でいちばん割に合わない買い物──没落した家の、売れ残りの令嬢を──二十年前の灯りひとつを理由に、買いに来ていたのだ。
「……エステル様。返答に窮しておいででしたら、この話は帳簿の外に」
「窮してなど、いませんわ。わたくしの答えは──」
言いかけて、私は自分で止めた。息を整える。商談の顔。こういう大事な契約は、条件の揃った卓で結ぶものだ。
「──続きは、発表のあとに。第七条の協議と、まとめて申し上げますわ。……お忘れかもしれませんけれど、わたくしたちの契約には、順序というものがありますのよ」
「……ええ」レナールは、ふ、と息だけで笑った。「順序は、守りましょう。商いの基本です」
二十年前の灯りが、二人の間で、静かに満ちていた。
次話、選定の発表──そして契約書第七条、婚姻解消の協議です。第1部、最終話になります。
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