第28話:月のない市場
その日、私たちは王都の魔石商を七軒回った。
七軒とも、答えは同じだった。一等魔石は、ない。売り惜しみでも、脅されているのでもない。三日前から見知らぬ代理商が次々に現れ、言い値で、あるだけ全部さらっていったのだという。
「三年前の凶作の年でも、ここまで綺麗には消えなかったよ」と、古株の魔石商が首を振った。「まるで王都から、月が消えたみたいだ」
資材が止まったのは、二度目だ。けれどあのときとは手口が違った。あのときは「売れない」と言わせる圧力で、破らせる約束がある分だけ、まだ人の顔をしていた。
今度は違う。売らせないのではなく、買い尽くす。相場どおりに、いや相場より高く、正々堂々と金を積んで、市場を空にする。誰の約束も破らせない、静かで、完璧な兵糧攻めだった。
七軒目の帰り、通りはもう夕暮れで、魔石商の店先の見本箱には、三等の魔石ばかりが所在なげに並んでいた。レナールは箱の前で足を止め、長いこと、その濁った小さな石を見ていた。
夜の事務室で、レナールは手形の写しを七枚、円卓に並べた。昼の間に、彼が魔石商たちの帳場に頼み込んで書き写してきたものだ。断られたら、写し賃に銀貨を積んだ。「妨害の金は出所を必ず残します。金は、匂いを消せても足跡は消せません」と言いながら。
「買い付けた代理商は五つ。いずれも聞かない屋号です。ですが支払いの手形の裏書を辿ると、五つとも同じ両替商に行き着きます。──調達局出入りの、両替商に」
「……メルシエ」
「手配はおそらく。そして手形の原資の出所は、バルニエ工房の取引金庫です。数字は嘘をつきません。妨害の証拠が、また一枚増えました」
「証拠は増えましたけれど」
「ええ。──証拠では、三日後の灯りは点りません」
珍しく、彼の声から段取りが消えていた。
仕様書の光量基準は『一等魔石一粒相当』。月光灯は一基につき一等一粒で設計してある。二等はもともと数が少なく、これも市場から消えた。残っているのは三等──光が濁って弱い、安物の魔石だけだ。買い占める価値もないと見なされた等級だけが、市場に残されていた。
その夜の工房は、静かだった。職人たちは誰も帰らず、誰も口を開かなかった。百二十基の灯架設計図が壁に貼られたまま、主のいない舞台の書き割りみたいに白かった。ミレットは検印を終えた硝子玉の箱を膝に抱えて、じっと座っていた。泣かなかった。泣かないことを、この子はこの一年で覚えてしまった。
私は一人、火の落ちた一番窯の前にいた。
悔しさなら、焼き直しがきく。これは品評会の夜に覚えた、あの底の冷える方のやつだった。腕でも品でもなく、金の量で終わる。母の重ねも、皆の徹夜も、届いた先で秤ごと買い占められている。
……母さん。あなたなら、どうする。
目を閉じると、膝の上の記憶が答えた。灰と硝子の匂い。図面の線。『エステル、光はね、削るんじゃなくて、重ねるのよ』。
重ねる。
目を、開けた。
三等魔石の光は、濁って、弱い。でも待って。濁りは硝子の濾しで抜ける。うちの月は最初からそうやって、魔石の白い光を銀に変えてきた。足りないのは光量だけ。光量が、足りないなら──重ねればいい。
「レナール様!」
私は階段を駆け上がった。図面も持たずに。
「月の色は、魔石の等級が作るのではありませんわ。硝子が作るの。──三等を、二粒使います。一基に二粒、向かい合わせに。濁りは重ねの濾しを二段から三段にして抜く。光量は、千粒の月と同じ。粒から粒へ、光を映し合わせて重ねるんですの」
レナールは手形の写しから顔を上げ、三秒、動かなかった。それから、来た。あの早口が。
「三等の相場は一等の十分の一──二粒でも五分の一、三段目の硝子の工賃を乗せても……エステル様、これは購入費も維持費も一等の三分の一を切る。仕様は光を注文しているのであって、魔石を注文しているのではない。等級の指定は、どの条文にもない。──書いたのはメルシエ氏です。あの方の仕様書が、うちを守ってくれる」
「怪我の功名、ですわね」
「怪我はまだです。功名にするのは、これから」
こつ、こつ、と帳簿が二度鳴って、それが開戦の合図だった。
「総員、窯場へ!」
ガストンの号令に、工房が起き上がった。五基の窯、全部に火が入る。日頃は三基で回す窯場の、長く休ませていた二基までもだ。
三段目の濾しの型を起こすのはガストンと古株たち。玉の再研磨はミレット。魔石の二粒座への組み替えは、テオの指。私が図面を引き、レナールが工程を割り、時間を数え、諦めた顔をした者から順に夜食を配って回った。
最初の試しは、失敗だった。三段目に足した硝子で、月の色が沈んだのだ。硝子玉を覗き込んでいたミレットが、真っ先に言った。
「代表夫人、これ……青が、沈んでます」
「──青は、沈む」
嫁いだ初日に、この子が教えてくれた言葉だ。私は三段目の青の配合を薄め、代わりに重ねの角度を半歩起こした。
二度目の試しで沈みは消え、三度目で、濁りが抜けた。売り物にならないと言われた青の屑硝子から始まったうちの月は、今夜も結局、青の加減で決まるらしい。
テオの二粒座も、一筋縄ではいかなかった。向かい合わせの魔石は互いの光を食い合う。あの器用な指が座金を三度作り直し、四度目に、二粒の光がぴたりと重なった。「……妹の夜なべ仕事と同じです。二本の糸は、撚ってから使う」と、彼は照れたように言った。
一年前、この窯場で二人きりの徹夜をした。今夜は十六人だ。窯の火照りの中で誰かが軽口を叩き、誰かが笑い、誰かが「先代の頃よりひでえ」と言って、それが最上の褒め言葉に聞こえた。
夜明け前、試作の一基が組み上がった。
三等魔石、二粒。三段の濾し。台座に月印。
窯場の灯りを全部落として、ミレットが震える手で点灯した。
──銀色だった。
いつもの月より、ほんの少しだけ、深い銀。粒から粒へ光が渡って、天井にやわらかい輪が満ちる。誰かが息を呑み、誰も何も言わないまま、窯場は静かな月夜になった。
私とレナールは、どちらからともなく手を握り合って──三秒で、双方同時に離した。今のは、事故である。帳簿には載せない。
「光量、基準超え。色味、文句なし」レナールの声は掠れていた。「本日の決算。三等魔石の買値、銀貨換算で微々たる赤字。それ以外──全部、黒字です」
実演までの残り二日で、百二十基。眠る時間の計算は、誰もしなかった。
そして、実演当日の朝が来た。
磨き上げた百二十基を荷馬車に積み、工房の前に、皆が並んだ。徹夜明けの、ひどい顔で、全員が笑っていた。
レナールが、私に手を差し出した。総会の朝と、同じ言葉で。
「──行きましょう、共同代表」
下位魔石で灯る月を積んで、いざ王宮大広間へ。次話、実演審査と──「なぜ、そこまで」の答えです。
ブックマークと☆評価、徹夜明けの一同に何よりの目覚ましです。




