第27話:二十年目の証人
公証人は、翌々日の午後に来た。総会のときの、あの白髪の老公証人だ。
場所は工房の二階、事務室。円卓に公証人、その向かいにガストン。私とレナールは立会人として壁際に座った。卓の上には、当時の徒弟名簿の写しが一枚──ガストンが二十年前、エレーヌ・ラヴォワの工房に在籍していた証しだ。手配はもちろん、レナールである。この人の実務に、抜けはない。
「では、証言録取を始めます。語られたことは一言一句、この場で文書にし、読み上げ、署名と捺印をいただきます。──よろしいか」
「おう。……いや」ガストンは咳払いをした。「はい。よろしく、お願いします」
一張羅の上着の親方が、慣れない敬語で背筋を伸ばしている。茶化してはいけない場面なのに、少し泣きそうになった。
「二十年前、俺は……私は、エレーヌ先生の工房の職人でした。歳は三十八。若い時分に先生に仕込まれて、あの頃は窯場の一切を任されてました」
ガストンは、ゆっくり語り始めた。
「先生の工房は、河岸の橋向こうにありました。職人は七人。侯爵夫人が親方だなんて、王都中の笑い話でしたが、笑いに来た連中はみんな、窯の前の先生を見て黙りました。誰より早く来て、誰より遅くまで焼く人でした。仕事中は歌うんです。調子っぱずれの子守唄を。……重ねがうまく出た日ほど、調子がはずれる」
知っている。その子守唄なら、膝の上で聞いた。
壁際で、私は膝の上の拳を握った。立会人は、口を挟んではいけないのだ。
「あの年、先生は品評会に新作を出すことになってた。魔石の光を硝子の重ねで変える灯りです。工房じゃみんな知ってた。あれが世に出たら、王都の灯りが変わるって。……王宮の灯具更新の話も来てた。連合から下見の使いが二度も来て、先生の灯りは、候補の筆頭でした」
「その出品の、前夜のことを」
「へい。──出品前夜、俺は工房に残ってました。梱包の緩衝の藁を詰め直してたんで。夜半に、馬車が一台。降りてきた客を、先生は工房の帳場で迎えました。俺は隣の材料部屋にいて……聞こえちまったんです。全部」
ガストンの拳が、膝の上で固くなった。
「客は言いました。『出品を、取り下げていただきたい』と。『灯りの世界には秩序がある。あなたの重ねは見事だが、見事すぎる。王都で量産の灯具を焼いて食っている工房が、何軒あると思うか』──そして、こうも。『取り下げてくださるなら、意匠は連合が相応の値で買い上げる。悪い話ではないはずだ、奥方』」
「エレーヌ様は、何と」
「笑ってました。声だけで分かった。それで、こう言ったんです。──『光は、秩序のために灯るのではありませんわ。お引き取りを』」
……ああ。その啖呵の呼吸を、私は知っている。毎朝、鏡の中で見ている。
「客は帰り際に言いました。『後悔なさる。育っていい高さは、我々が決めるのです』と。……翌日の品評会で、先生の灯りは会場中をどよめかせて──『規格外』の札一枚で、落とされました。判定を読み上げたのは、審査主任です。前夜の客と、同じ声でした」
「その人物の名を、この場で」
「ゴーティエ。当時の連合審査主任、今の連合議長です。……声だけじゃねえ。馬車を降りるところを、俺はこの目で見てます。あの男は昔から、金の太え指輪をしてやがった。今もしてまさあ」
公証人の筆が、走り続けていた。
「そのあとは、あっという間でした。名鑑から先生の名前が消えて、王宮の話も立ち消えて、注文が一枚も来なくなった。先生は工房を畳んで、都を離れて……八年後に、病没の報せだけが届きました」
ガストンは、そこで初めて言葉に詰まった。
「……俺は、聞いてたんです。前夜の脅しを、全部。なのに黙ってた。情けねえ話だが、怖かった。連合を敵に回した職人がどうなるか、見ちまってたから。……先生は最後まで、俺が聞いてたことを知らねえまま、笑って都を出てった。二十年、窯の前でそれを焼き続けて──焼き切れませんでした」
沈黙を、公証人の声が静かに破った。
「──録取は以上でよろしいか。では読み上げます」
一言一句が読み上げられ、ガストンは署名した。捺印のとき、窯だこだらけの手が少しだけ震えて、朱が僅かに滲んだ。公証人は「有効です」とだけ言った。
立会人の欄に署名するため、私とレナールは同時に立ち上がり、同時にガストンへ頭を下げた。まったく同じ深さで。
「……おめえさんたち、辞儀の角度まで揃うようになったか」
親方が、洟をすすって笑った。
証言録取書は公証人の封印を受け、写しが一部、うちの金庫に収まった。レナールはそれでも足りぬとばかりに、当時の品評会の出品目録と、エレーヌ工房の廃業届の写しまで綴りに揃えた。「証言は、外堀が深いほど強くなります」だそうだ。外堀の深さが、そのままこの人の本気の深さに見えた。
その日から実演までの工房は、戦場だった。
実演では、大広間の灯架百二十基を持ち時間内に掛け替え、一斉に灯す。満月灯と朧月灯を百十九基、中央の主灯架には千粒の月の新環。段取りはすべて紙に落とし、持ち場を割った。
中庭には、大工に頼んだ模擬の灯架がずらりと組まれた。掛け替えの通し稽古である。号令はガストン、時計係はレナール。
「持ち時間は一刻。──一度目、始め!」
一度目は、散々だった。梯子がぶつかり、掛け順が狂い、ミレットが吊り鎖に袖を絡めた。二度目で形になり、三度目──レナールが懐中時計を掲げた。
「一刻まで、四半刻の余りを残して全基完了。……本番は装束が重い。この余りは、全部保険に回します」
「余りが出たら出たで仕舞い込む。うちの帳簿係らしいぜ」とガストンが笑い、中庭に、久しぶりに大きな笑い声が回った。
魔石の調光と配列はテオの持ち場だ。あの器用な指が、百二十基分の魔石の座を、一基ずつ検めていく。「……妹の薬代、来月から俺の給金で払えます。だから俺は、もう間違えません」と、彼は誰にともなく言った。ガストンが「手前の持ち場の話だけしろ」と小突いて、それで終わりだった。工房の帳簿では、彼の借金の項が、給金のたびに少しずつ軽くなっている。
ミレットは玉磨きと、月印の検めだ。
「百二十基、ぜんぶあたしの検印付きです! 台座の影に月紋が出なかったら、あたしの首が飛びます!」
「飛ばないわよ。でも、頼りにしてる」
「うへへ」
実演、三日前の朝だった。
仕入れ網の急使が、泥だらけの馬で駆け込んできた。レナールが文を開き──この人の顔色が変わるのを、私は初夜以来、初めて見た。
「エステル様。一等魔石が──王都の市場から、消えました。どの魔石商にも、一粒もありません」
実演三日前、市場から月の芯が消えました。次話、いちばん暗い夜と、それでも月を灯す話です。
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