第23話:入札、開始
王宮調達局は、王宮の外郭にある石造りの庁舎だった。廊下は長く、天井は高く、掛かっている灯りはどれも古い量産灯で──光が、硬い。
「……この廊下の灯り、ぜんぶうちの月に替えたくなりますわ」
「その届け出に参りました。落ち着いてください、共同代表」
窓口で、レナールが届け出の書面を差し出す。受付の官吏が検めていると、奥の扉が開いて、白髪を綺麗に撫でつけた壮年の男が現れた。
「デュラン魔導灯工房。……ああ、大聖堂の」
男は柔らかく微笑んだ。仕立ての良い官服。審査局長の徽章。
「審査局長のメルシエと申します。此度の選定は、私どもの局が預かります。どうぞご安心を。──手続きは、どこまでも公正ですので」
物腰は丁寧で、声は穏やかで、敵意のかけらもなかった。なのに、妙だった。この人の目は、笑っていないのではない。最初から、何も映していない。書類みたいな目だ。
「選定は二段構えです。まず書類と仕様の審査。通った工房のみ、王宮大広間での実演審査に進みます。仕様書は追って交付を。──では、良い審査を」
良い審査を。おかしな挨拶だ、と思ったのは、帰りの廊下でだった。審査をするのはあちらなのに。
その廊下で、恰幅のいい老紳士とすれ違った。金糸の上着に、職人のものではない白い手。連れの番頭らしき男が、うちの届け出を横目で見ている。
「おや。月の工房かね」老紳士は鷹揚に会釈した。「バルニエ工房の当主だ。灯具ひと筋百二十年。──若い工房が育つのは、結構なことだ」
……その言い回し、どこかで聞きましたわ。
工房に戻って、朝礼で報告である。届け出、受理。ここからが本番。
「代表! 入札って、けっきょく何をするんですか!?」
真っ先に手を挙げたのはミレットだ。レナールが帳場の黒板に、白墨で線を引いた。
「入札とは、王室が『買い手』になる商いの競争です。まず各工房が書類を出す。工房の身元、帳簿、納入の計画。次に調達局が仕様書──『こういう灯りが欲しい』という注文書を配る。それに適う品を作れると示した工房だけが、最後の実演審査へ進みます」
「実演って、まさか」
「王宮の大広間で、実際に灯して見せます。審査の場で品物が光る。──うち向きでしょう」
「大聖堂と同じだ」とガストンがにやりとし、職人たちが沸いた。
「あのっ、もうひとつ! 御用達になったら、何が変わるんですか!?」
「まず、看板に王家の紋章を掲げられます。王宮への納入が続き、値は買い叩かれない。そして王都中の商館が『王室の選んだ灯り』として扱う。──これに勝る宣伝は、この国にありません」
「つまり?」
「つまり、この工房の灯は──もう誰にも、消せなくなります」
どよめきの後ろのほうで、テオが小さく「……妹に、自慢できるな」と呟いたのが聞こえた。ガストンが聞こえないふりをして、そっぽを向いたまま頷いていた。
「相手は? どこと競るんです」
「有力なのは一つ。老舗のバルニエ工房です」レナールは白墨を置いた。「大広間の大灯を三代納めてきた名門。金属枠の大型灯が得意で、資本はうちの十倍。……ついでに申し上げると、先代当主の妻はゴーティエ氏の姉。縁戚です」
工房が、すん、と静かになった。またあの名前だ。
その夜、二階の事務室で、共同代表会議だった。円卓の上には一冊の帳簿の写し──ジスラン商会から押収された、裏帳簿の写しである。
「改めて、うちの手札を確認します」
レナールが頁を開く。付箋の行には、こうあった。『意匠妨害の依頼料・前金、金貨五百枚、受領』。出所は、ギルド連合議長の裁量金。そして依頼文の写し──『入札より前に、月を潰せ』。
「模倣品騒ぎは、ジスランの小遣い稼ぎではなかった。入札からうちを退場させるための、前哨戦だったわけです。依頼主はゴーティエ氏。金の流れも文言も、揃っています」
「なら、今すぐ調達局に突きつけましょう。議長が入札を妨害している証拠ですのよ。それこそ『公正な手続き』の出番ですわ」
「エステル様。それは──」
「──ええ、分かっていますわ。言ってみただけ」
言いながら、私にも答えは見えていた。彼と、同時に口が動いた。
「「今出せば、潰される」」
声が重なって、二人とも少しだけ黙った。……いけない。最近こういうことが多い。
「仰るとおりです」レナールが咳払いをした。「無名の工房が、老舗と議長を訴える構図。今のうちは『負け犬の中傷』と呼ばれて終わります。裏帳簿は司直の預かりで、動きも遅い。──ですから順番です。まず実演で、誰の目にも明らかに勝つ。勝者の告発は、誰も中傷とは呼びません」
「勝ってから、暴く。……ずいぶん強気な段取りですこと」
「強気ではなく、手順です。数字は嘘をつきませんが、出す順番を間違えると聞いてもらえない。決算報告と同じですよ」
こつ、こつ、と帳簿が二度鳴った。段取りは、決まった。
頷きながら、私はふと、別の一枚の紙を思い出していた。──工房が王室御用達の栄を賜りし暁には。この入札に勝つということは、あの第七条の扉に、手を掛けるということでもある。
……その勘定だけは、今夜は帳簿の外に置いておいた。
三日後、調達局から仕様書が届いた。
『王宮大広間 灯具更新 仕様書』──大広間の灯架、百二十基。求める光量、色味、耐久。納期。条文は五十を超えた。
添え状には期日も記されていた。書類審査の締切、そして王宮大広間での実演審査は──五十日後。
「五十日。長いようで、百二十基には短いですわね」
「稽古と予備を勘定に入れると、なお短い。……今夜中に読み切りましょう」
私たちは円卓で頭を突き合わせて読んだ。
条文の読み合わせは、規約の海に潜ったあの夜以来だ。ただし今夜は、蝋燭が最初から二本あった。
「あら。目が慣れたのではありませんでしたの、わたくし」
「……備品が、充実しただけです」
どちらからともなく、同時に咳払いをした。この工房の備品は、妙なところから充実していく。
読み進むうち、ペンを持つ私の手が、止まった。
「レナール様。この仕様……」
「ええ」彼の声も、低かった。「灯具の総重量の下限。金属枠の耐荷の指定。大型灯を前提にした据付の寸法。──硝子細工の月光灯には、ことごとく不利で」
「ことごとく、バルニエ工房の得意分野ですわね」
交付されたばかりの、まっさらな仕様書のはずだった。それなのにこの注文書は、まるで最初から、あの金糸の上着に合わせて仕立てられている。
公正な手続き、という声が、耳の奥で綺麗に響いた。
仕立てられた仕様書に、二人はどう挑むのか。次話、官僚の妨害は恫喝ではなく「書式」で来ます。
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