第22話:偽物の落日
その日、ジスラン雑貨商会の店先には、朝から人垣ができていた。
『新型・月の灯! 月の紋入り! 本家と同じ、お値段は三割安!』
口上売りの声。山と積まれた灯り。──すべて、テオの渡した偽の型で焼かれた月だ。
人垣の後ろに、私たちはいた。私とレナール。意匠登録局の登録官ペラン氏。王都警吏が四人。そして、包帯の取れた手で私の袖をきゅっと握っている、ボネ夫人。
「……本当に、わたくしが来てよかったのかしら」
「ええ。灯りを怖がるのは、今日で終わりにしていただきますわ」
ペラン氏が、令状の束を確かめて頷いた。侵害の立証。事故の因果。証文と、証言。半年かかると言われた法の手続きが、この半月で店先まで駆けてきたのは、手札が揃ったからだ。
「登録局の三十年で、一番の揃いですな」と、あの几帳面な人が令状に封をしながら言ったものだ。
「よろしいか、ご夫妻。押収の令状は、店で『侵害の品』が売られている現場で執行するのが、いちばん強い。──開店を、待ちます」
開店の鐘が鳴り、口上売りの声が一段高くなったところで、私たちは人垣を分けて前へ出た。
「おやおや! 本家のご夫妻じゃありませんか」
ジスランは上機嫌だった。揉み手も、いつもの倍の速さである。
「宣伝に来てくだすったんで? ご覧のとおり、うちにも紋が入りましてね。もう文句はねえでしょう」
「ではジスランさん。その紋、皆さまにお見せになったら?」
「おう、見せてやるとも!」
彼は新型を高々と掲げた。笠の外側に、彫り込まれた月の紋。人垣がどよめく。「ほう、紋入りだ」「本家と同じってのは本当かい」
「彫り物、ですのね。──うちの紋は、点けると出ますのよ」
「……あん?」
レナールが、持参した月光灯を店先の台に据えた。白木の台座。人垣が、自然と輪になる。商いの上手いこの男は、こういうとき、決して自分で説明しない。品物に、語らせる。
点灯。
銀色のやわらかな光が、ふわりと台座に落ちた。そしてその影の真ん中に──満月と三日月の重なった小さな月紋が、水面の月のように、静かに浮かび上がった。
「浮いた」「おい、影ん中に月がある」「こりゃあ……」
最前列の子どもが影に手を伸ばし、月紋が手の甲に乗るのを見て歓声を上げた。輪が、二重三重に膨らんでいく。
「月光灯は本日より、全数この月印入りですわ。灯りの中に最初から封じてあります。彫れませんし、剥がせません。──さ、ジスランさん。新型を、点けてくださいな」
ジスランの揉み手が、初めて止まった。
「て、店先で点けろたぁ、ずいぶんな注文だ」
「あら。本家と同じ、なのでしょう?」
人垣が囃した。「点けろ点けろ」「紋入りなんだろ!」。商人が客の声に逆らえるものか。ジスランは強張った笑いのまま、新型に魔石を入れた。
白っぽい、硬い光。台座の影には──何も、浮かばない。外彫りの紋は、点ければ光の照り返しに呑まれて、かえって見えなくなった。
「浮かばねえぞ」「彫っただけじゃねえか」「──偽もんだ!」
「ば、馬鹿な!」ジスランが灯りを揺すった。振っても、傾けても、影は空っぽのままだ。「型のとおりに焼いた! 型が……」
言いかけて、はっと口を噤んだ。遅い。
「型が、どうかなさいまして?」
人垣が、しんとなった。誰かの写した型のとおりに焼いた、とこの男は今、王都の往来で言いかけたのだ。
ペラン氏が進み出て、天秤の紋章の入った令状を掲げた。
「王都意匠登録局です。登録第七一二号の侵害、ならびに月光灯と誤認させる販売、事故の責任の疑いにより──店の品は、すべて押収します」
警吏が動いた。積まれた月の灯が、次々と荷台へ運ばれていく。
「証拠だと!? どこにそんな──」
「ここに」
人垣の中から、テオが進み出た。ジスランの顔から、今度こそ血の気が引いた。
「職人テオ。証言します。この男は、俺の借金の証文を盾に、デュラン工房の型を写せと脅しました。ふた月前、この店の奥の帳場で。証文の原本は──今は、うちの工房が買い取って、ここに」
「それから、わたくしも」
ボネ夫人が、一歩前へ出た。包帯の取れた右手を、まっすぐ挙げて。
「わたくしの手を焼いたのは、この店の灯りです。……月光灯では、ありません」
通る声だった。半月のあいだ王都を走り回った悪評が、その一言で、店先から焼き切れていくのが分かった。
「──安いは、正義だ」
引き立てられながら、ジスランは最後まで悪びれなかった。
「それは今でも変わらねえよ。……ただ、今回の仕入れが、ちっとばかり高くついただけだ」
その後の裁きは、早かった。意匠侵害と誤認販売、そして事故の責任。ジスラン雑貨商会は認可を取り消され、取り潰し。
ボネ夫人はじめ買い主への償いと工房への賠償、締めて金貨一千枚。安さの正義は、王都の商いから消えた。
数日後、私は約束の月を、ボネ家に届けた。月印入りの、満月灯。夫人はご自分の手で魔石を入れ、台座の影に浮かんだ月紋を、包帯の取れた指でそっとなぞった。
「……もう、怖くないわ。これは、わたくしの月ですもの」
その帰り道ほど、この仕事を誇らしく思った日はない。
そして同じ週、ペラン氏が、押収された裏帳簿の写しを携えて工房へ来た。
「妙な科目が、ありましてな」
その頁には、こうあった。『意匠妨害の依頼料・前金、金貨五百枚、受領』。挟まれていた依頼文の写しには、短く一行──『入札より前に、月を潰せ』。
「金の出所を、調達の記録から辿りました。王都生産ギルド連合の……議長裁量金です」
「──ゴーティエ」
大聖堂の夜の、あの感情のない目を思い出す。あの男は、もう表に出ない。金を出し、駒を出し、偽物を出す。入札の、前に。
夜の工房で、窯の火を眺めながら、私は言った。
「レナール様。本日の決算を」
「収入──押収と差し止め、賠償金貨一千枚、悪評の焼き直し、腕のいい職人一人と、妹君の薬代の目処。支出──偽の型面一枚と、私の冷静を少々」
「あら。支出の後ろのほう、帳簿に載りませんわよ」
「載せません。……ですが、覚えてはおきます」
二人で、同時に笑った。
円卓には、入札の届け出の控えが載っている。彼はその上に、裏帳簿の写しをそっと重ねた。
「議長は、審査で潰しに来て、総会で潰しに来て、偽物で潰しに来ました。すべて、入札の前に、です」
「それだけ入札の場では、打てる手が限られる──ということですわね」
「ええ。ですから今度は、審査の外ではなく」
帳簿の表紙が、こつこつ、と二度鳴った。
「──入札のど真ん中で、勝ちましょう」
偽物の月は、落ちた。次は本物の月を、王宮に昇らせる番だ。
偽物の帳簿の奥に、本丸の名前がありました。次章、王室御用達を賭けた入札戦の開幕です。
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