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契約結婚の初夜、旦那様は花束ではなく帳簿を持ってきました 〜愛のない政略夫婦、傾いた灯り工房を二人で立て直します〜  作者: 雪乃フィオナ


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19/23

第19話:千粒目の月

 夜明けを待たずに、共同代表会議を開いた。円卓の真ん中には、ミレットから借りた練習玉がひとつ。


「月光灯の中心には、魔石を包む硝子玉が入っていますでしょう。──あの玉の内側に、紋を封じ込めますの」


 私は一晩で引いた図面を広げた。満月と、三日月。二つの月が重なった、極小の月紋。


「青を沈めて、乳白を重ねて、紋のかたちの分だけ、光の通り方を変えて焼き込みます。母の色温度の技法の応用ですわ。外からは、ただの綺麗な玉。けれど魔石を点すと、紋を通った光が──台座の影の真ん中に、月紋を浮かべます」


「……影に、浮かぶ」


「ええ。点けなければ見えません。点ければ、誰の目にも見える。彫るのでも、貼るのでもない。灯りの中に、最初から入っている証」


 レナールの目の色が変わった。それから、来た。図面を前にしたときの、あの早口が。


「──待ってください。つまり検分に道具が要らない。鑑定人も要らない。分解も要らない。お客が店先で『点けてみせて』と言うだけでいい。証明の費用が限りなくただで、証明のたびに、うちの月の美しさまで宣伝される。おまけに登録局への証拠としても、これ以上の物証はない。エステル様、あなたは」


「天才ですか、は初夜に伺いましたわ」


「では今回は、答えを頂いても?」


「……図面がもう、答えていましてよ」


 二人同時に笑ったところへ、朝一番のガストンが入ってきて、露骨に嫌な顔をした。「朝っぱらから仲のいいこった」は、聞かなかったことにする。


 技の目利きは、その親方の仕事だ。図面を睨むこと、たっぷり煙管一服ぶん。それから親方は、太い指で紋の寸法をなぞった。


「……重ねの薄さが、髪の毛の十分の一だ。ここで青の沈みが一枚ずれりゃ、紋ごと溶けて消える。窯の火加減と、腕と、あとは──あんたの血筋の技だ。王都広しといえど、これを写せる工房はねえ。うちの若い連中にだって、まだ焼けねえよ」


「つまり、偽物には」


「逆立ちしても、無理だ。……面白え。窯は二番を空けとく」


 試作は、その日のうちに始まった。そして、滲んだ。


 一度目、紋が煮崩れた月みたいにぼやけた。二度目は焼きを浅くして、紋ごと消えた。三度目、輪郭は出たのに、影に映すと片側だけ流れた。


「重ねは図面どおりですのに……」


 悔しいけれど、当然でもあった。灯り一基ぶんの重ねを、親指の先の玉に縮めて封じるのだ。青の沈みは息ひとつぶん、乳白の重ねは睫毛一本ぶんで狂う。母の技法の、いちばん深いところに触れている手応えが、指先の火傷の数だけ増えていく。


 窯場に籠って丸一日。私の髪は灰だらけで、レナールは差し入れの水差しを持ったまま、窯場の入り口で出入りを禁じられていた。ガストン曰く「素人の立つ場所はねえ」。正しい。正しいが、彼は結局、入り口の柱にもたれたまま一日動かなかった。


 四度目の失敗のあと、磨き上がりの玉を燭台に透かしていたミレットが、遠慮がちに手を挙げた。


「あの……夫人。滲むのは、紋のせいじゃないと思います。玉の冷えです」


「冷え?」


「うちの徐冷だと、小玉でも北側にうっすら冷えの筋が残るんです。磨く前に、いつも見るから分かります。紋がその筋をまたぐと、光がそこでよれて──だから、玉ごとに筋を見て、筋を避けた場所に紋を置けば、たぶん」


「たぶん、じゃねえだろ」ガストンが振り返った。「見えてんだろ、お前には。言い切れ」


「……置けば、滲みません!」


 五度目。ミレットが玉の筋を見切って紋の位置を印し、私が紋を封じ、ガストンが焼いた。徐冷を待つ二日が、十日ほどに感じられた。


 そして夕暮れの作業場で、点灯した。


 銀色のやわらかい光が、白木の台座にふわりと落ちる。その影の真ん中に──満月と三日月の重なった小さな紋が、水面に映る月の輪郭みたいに、静かに浮かび上がった。


 影の中の月は、灯りを揺らすとかすかに揺れて、それでも消えなかった。灯りがある限り、そこにあり続ける印。偽物がどれだけ姿を似せても、この影だけは、絶対に落とせない。


 光は削るんじゃなくて、重ねる。母の口癖が、また一枚、意味を増やした。重ねた光は、影の中にまで届くのだ。お母様、ご覧になって。あなたの技法が、あなたの月を守る鍵になりましたのよ。


 気づけば、隣にレナールが立っていた。二人並んで、同じ影を見下ろしていた。肩が触れそうな近さだったのに、どちらも動かなかった。影の月を挟んで立つには、それがちょうどいい距離だったのだ。


 誰も、しばらく口をきかなかった。先に動いたのはミレットで、台座に鼻先がつくほど屈み込んで、震える声で言った。


「月の……判子だ。月印(つきじるし)ですよ、これ!」


 月印。工房での呼び名は、その場で決まった。


 レナールは、もう検算を始めていた。この人の感動は、いつも算盤の音がする。


「工数は玉ひとつにつき、重ねと磨きで半刻増。原価は屑硝子ですからほぼ据え置き。売値は変えずに呑めます。本日より全数に入れましょう。既にお納めした分は、納品台帳と突き合わせて、ご希望のお客さまに検灯のご案内を──買い替えではなく、玉の入れ替えだけで済みます。エステル様、その原価表、写しの列がひとつずれています」


「……蝋燭のせいですわ」


 蝋燭のせいではない。図面を前にした早口の賛辞を浴びたあとの手元など、当てになるものか。


 彼は帳簿の表紙を、こつこつ、と二度叩いた。


「数字は嘘をつきません。そしてこれからは──光も、嘘をつかない」


 その夜、職人全員を作業場に集めて、月印の披露をした。


 点灯のたび、影に月が浮かぶたび、歓声が上がった。古株の職人が「先代に見せてやりてえ」と洟をすすり、若いのが台座の影を何度も手で遮っては、月紋が戻るのを確かめて笑った。仕様の中身は帳場の金庫へ、作り方は他言無用──ガストンが一同を見回して、全員が頷いた。


「言っとくが、これは意匠の話だけじゃねえ。工房の命綱だ。酒の席でもだ。いいな」


 解散間際、私はミレットの前に、最初の月印の玉を置いた。


「最初のひと粒は、あなたが筋を見て、あなたが磨いたものよ。千粒の月を磨いたあなたの──これが、千粒目の月」


「あ、あたしの玉が、工房を守るんですか」


「ええ。工房でいちばん小さな仕事が、工房ぜんぶを守るの」


 ミレットはぽろぽろ泣き出して、ガストンが「初荷の月印、磨きは全部お前が見ろ。……転ぶなよ」と磨き布を頭にぽすんと載せた。


 いい夜だった。本当に、いい夜だったのだ。


 だから私は気づかなかった。拍手の輪のいちばん外で、ひとりだけ、手を叩きながら顔色を失っていた職人がいたことに。


 気づいた者が、この工房にひとりだけ、いたことにも。


月印、誕生。けれど次話、その秘密が──工房の中から漏れます。

ブックマークと☆評価は、ミレットの千粒目と同じくらい大事に磨いております。


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