第18話:本物にしかできないこと
王都意匠登録局は、飾り気のない石造りの建物だった。廊下は書類と封蝋の匂いがして、窓口には算盤ではなく、天秤の紋章が掲げてある。
待合の長椅子には、私たちのような顔が他にも並んでいた。図案の束を抱えた織物屋。木型を風呂敷に包んだ家具職人。誰かの意匠が誰かに写される話は、この王都で、うちだけの話ではないらしい。
応対してくれたのは、ペランという初老の登録官だった。銀縁の眼鏡を掛け直しながら、私たちの持ち込んだものを、卓の上に几帳面に並べていく。
登録第七一二号の証書。買い上げた月の灯。苦情の束。焦げた笠の写し描きと、ボネ家の一件の記録。
「──ふむ。笠の造形、硝子の重ね順の模倣、灯具全体の印象の類似。登録意匠の侵害の申し立てとして、受理いたします」
「受理ということは、勝てますのね」
「勝てるでしょう」ペラン氏は眼鏡の奥で頷いた。「──早くて、半年後に」
「半年!?」
淑女にあるまじき声が出た。隣の織物屋さんが、気の毒そうにこちらを見た。
ペラン氏は慣れた様子で、意匠審判の流れを指折り数えた。双方の言い分の書面往復にふた月。鑑定人の選任にひと月。意匠の比較審理に、またふた月。そして。
「ジスラン氏のような商いを、我々は何度も見ております。審判が始まると、笠の角度を三度変え、留め具を替え、名を変えた『新型』を出す。すると審理の対象が変わって、また最初からです」
「細部を変えて、逃げる」
「ええ。五年前にも、椅子の意匠でまるで同じことがありました。指物師が勝訴したのは──工房を畳んだ、翌年です」
勝って、負ける。そういう勝ち方が、あるのだ。
「法は必ず追いつきます。ただし──歩いて、です。あちらは走って逃げる」
「差し止めの仮処分は、出ませんの」
「侵害と事故、双方の動かぬ証拠が揃えば。造りの欠陥を知って売った証しや、写した経路の証しがあれば、話は別です。……いまの手札では、あと一枚も二枚も足りません」
それでも申し立ては申し立てだ。ペラン氏は受理の印を、几帳面な手つきで押してくれた。「お急ぎのご事情は、分かりました。書面は最速で回します」──お役所の精一杯の早足も、きっとこの人なりの誠意なのだった。
登録局を出ると、王都は素知らぬ顔の晴天だった。市場の方角からは、今日も「月の灯、三割安!」の呼び込みが聞こえてくる。
帰りの馬車で、共同代表会議を開いた。
「整理します。法の追走は、続けます。ペラン氏に証拠を積み続ける。塹壕戦です」
「ですが半年のあいだ、市場は泥のまま。入札は待ってくれませんし、お客は今日も店先で偽物を掴まされますわ」
「ええ。ですから二正面です。法で追いながら──市場で、偽物を殺します」
「殺す。穏やかじゃありませんこと」
「値下げでは殺しません。安さの勝負は、座金を抜ける側が必ず勝つ。うちは抜けないし、抜きません」
「では、何で勝負なさるの」
「先日の続きです。偽物と本物を、誰にでも見分けられるようにする。──本物の、証明を作る」
条件提示。なら私は反論の側に回る番だ。商談は、そういう順番で進むものである。
「証明書を一枚ずつ付ける手は?」
「紙は写せます。判も彫れます。偽の鑑定書ほど安い紙はありません」
「では、笠に工房の銘を彫るのは?」
「外に彫った銘は、偽物にも彫れます。むしろ喜んで彫るでしょう。明日から市場中の偽物に、うちの銘が入りますよ」
「……意地悪な想像がお上手ね」
「敵の帳簿をつける係ですので」
「では、魔石の座に細工は? 開けなければ見えない場所に印を打つ」
「開けなければ見えない印は、店先の役に立ちません。灯りを買うのに分解を要求するお客は、いません」
言い合って、どちらからともなく少し笑った。中身は戦の軍議なのに、調子はいつもの値決めなのだ。私たちの夫婦の会話は、たぶん一生これでいく。
「つまり、条件は三つですわね」
私は指を折った。
「一つ。誰にでも、道具なしで、一目で分かること。二つ。偽物には、どうやっても真似できないこと。三つ──」
「手間と原価が、商いとして呑めること。ご名答です」
彼は帳簿の表紙を、こつこつ、と二度叩いた。条件の骨組みには納得した、の音だ。肝心の中身は、まだ空っぽなのに。
「真似できないもの、なら知っていますのよ」
馬車の窓の外を、夕暮れの市場の灯りが流れていく。
「母の色温度の技法。青を沈めて、乳白を重ねて、透明で蓋をする──あの重ねだけは、ガストンが『血筋の技』と呼ぶくらいですもの。現に偽物の月は、何度焼いても白くて硬いままですわ」
「ええ。ですがそれは灯り全体の話です。点して、並べて、見比べて、ようやく分かる。目の肥えたお客なら一目でも、店先の『誰にでも』には、まだ遠い」
「技法を、印にする方法……」
答えの出ないまま、工房に帰り着いた。
夕餉のあとも、頭の中で三つの条件がぐるぐる回っていた。誰にでも見える。真似できない。安い。三つ目まで揃う手が、どうしても浮かばない。私は考えごとをするときの癖で、夜の作業場をあてもなく歩いた。
窯の残り火の匂い。積まれた型。吊るされた笠。埃と借金の匂いは、もうどこにもない。守りたいものの匂いだ、と思う。
磨き場の前で、足が止まった。
ミレットが、いつものように居残って、売り物にならない練習玉を磨いていた。燭台の火が、親指の先ほどの硝子玉の中で、小さくやわらかく揺れている。
玉の中に、月がある。
千粒の月の、あの夜と同じだった。青を沈めて、乳白を重ねて、透明で蓋をした、極小の月。外からは触れない。彫れない。剥がせない。中に、封じ込めてある。
──中に、封じ込めて、ある。
「……あった」
声に出ていた。ミレットが「ふぇ?」と顔を上げ、玉を取り落としかけて、慌てて両手で受けた。
「夫人? どうしました? あたし、また何か」
「ミレット。あなた、また工房を救うかもしれなくてよ」
「え? え?」
私は玉をひとつ借りて、燭台にかざした。親指の先ほどの硝子の中で、青と乳白の重ねが、小さな満月になっている。この月は、盗れない。割らない限り、取り出せもしない。そして割ってしまえば、もう証にはならない。
誰にでも見える。真似できない。そして玉ひと粒の原価は──屑硝子だから、ほぼただ。
三つ目の条件まで、揃ってしまった。
「ごめんなさい、これ、お借りするわね。それと明日の朝いちばん、あなたにお願いしたい仕事ができそうなの」
「は、はいっ。……あの、夫人、なんだかすごく、いいお顔です」
半年先の法廷でもなく、値下げの泥仕合でもなく。答えは最初からずっと、うちの磨き台の上で光っていたのだ。
私は玉を握って、帳場の灯りがまだ点いている二階へ、階段を二段飛ばしで駆け上がった。淑女の階段の上り方ではない。知ったことか。
本物の証明のありか、見つけました。次話、工房でいちばん小さな仕事が、工房ぜんぶを守る鍵になります。
ブックマークと☆評価、審判より早く届くので大変励みになります。




