第16話:偽物の月
入札の布告から十日。王都は朝から晩まで、御用達の話題で沸いていた。
工房も、浮かれている暇はないくらい忙しい。受注残は二百六十基。窯は今日も三基が唸りっぱなしで、帳場には入札の届け出書類が積まれている。
総会の買い戻しで蓄えはほぼ空になったけれど、月々の納めの実入りと、貴族十一家からの出資のおかげで、台所はどうにか回っている。回っている、はずだった。
「代表夫人! た、大変です!」
市場へ使いに出たミレットが、駆け戻ってきた。抱えているのは、見慣れた形の吊り灯──いえ、違う。
「市場で売ってました! うちの月光灯が! うちのじゃないのに!」
円卓に、その灯りが置かれた。笠の形も、青みがかった硝子も、遠目には月光灯そのものだ。荷札にはこうある。
『月の灯 金貨二枚半』
「うちの満月灯が、金貨三枚半。──三割方、安い」
レナールが値札を摘まみ上げた。声が低い。検算を三度やり直したあとの声だ。
私たちは早速、その「月の灯」を検分した。彼は秤と原価表を、私は燭台と自分の目を持ち出して、円卓の両側から。
「留め金具は鋳物の安物です。魔石の座は──ああ、座金を一枚抜いていますね。原価を銅貨単位で削る造りだ」
「重ねが一枚しかありませんわ。青が浮いて、乳白が濁って……点けてみましょうか」
魔石を入れる。灯った光は白っぽくて、硬かった。壁に落ちる影が、ぎすぎすと角ばっている。
「月というより、曇りの日の窓ですわね」
「同感です。ですが」彼は灯りを消して、静かに言った。「昼の店先で、点灯せずに買うお客には──見分けが、つきません」
言いながら、二人同時に同じ場所を指さしていた。座金の抜かれた魔石の座。指先が、こつんとぶつかる。
「……熱の逃げ場が、ありませんわ、これ」
「ええ。長く点せば、金具が熱を溜める。まずい造りです。二重に」
欠点の見立ても、まずさの見立ても、綺麗に一致した。うちの共同代表会議は、こういうときだけ本当に早い。
検分の途中から、円卓の周りには職人たちが集まってきていた。ガストンは月の灯をひと目見るなり、鼻から長い息を吐いた。
「型はうちの満月灯の写しだ。笠の反りの癖まで同じときてる。──だがな、見ろ。重ねを一枚に減らして、その分を硝子の厚みでごまかしてやがる。硝子を知らねえやつの仕事だ」
「知らないのに、写せますの?」
「写すだけならな。飴細工の職人にだって、月の形は作れる。……月の色が、作れねえだけだ」
ミレットは偽物の硝子玉を燭台に透かして、世にも情けない顔をした。
「玉の中、空っぽです。磨きも……これ、磨いてません。回して艶を出しただけ。あたし、こんなのと間違えられたんですか、うちの月」
「間違えられたのよ。昼の店先では、ね」
それが、いちばんの問題だった。夜に点せば、誰も間違えない。けれど灯りというものは、昼の店先で買われるのだ。
売り主はすぐに知れた。ジスラン雑貨商会。安売りで伸してきた、手広い雑貨屋だ。
翌日、私たちはその商会に乗り込んだ。店先には月の灯が山と積まれ、呼び込みが「あの月光灯とおんなじ月! お値段は三割安!」と声を張っている。おんなじ、と言い切った。
「これはこれは、本家のご夫妻!」
奥から出てきたのは、恰幅のいい、よく日に焼けた男だった。商会長のジスラン。帯に算盤を差し、揉み手をしながら、悪びれる気配が毛の先ほどもない。
「視察ですかい? どうぞどうぞ、うちの品もご贔屓に」
「視察ではなく、抗議です。月光灯の意匠は、王都意匠登録局の登録第七一二号。あなたの『月の灯』は、その写しだ」
「写し? 人聞きの悪い」ジスランは胸を張った。「名前が違う。造りも違う──おたくのより、ずっと安上がりにね。そして何より、値段が違う」
「粗悪な写しに、月光灯と誤認させる売り方を被せている。呼び込みの口上が、何よりの証拠です」
「騙しちゃおりませんよ。うちは『月の灯』の看板で売ってる。似てると思って買うのは、お客の勝手でございましょう」
そして彼は、揉み手のまま、はっきりと言った。
「奥方。あんたの月は、確かに大したもんだ。だがね、王都の九割は、金貨三枚半の月を買えない連中だ。俺はそいつらに、二枚半の月を売る。──本家より安い。世の中で、それだけが正義ですよ」
「その正義、座金を一枚抜いてもですの?」
「気づかないお客には、無い座金も同じでさあ」
言い返そうとしたとき、店先で、若い母親が月の灯をひとつ抱え上げるのが見えた。腕の中の子どもが「お月さまだ」とはしゃいでいる。母親は値札を二度確かめて、財布の中を数えて、それから、本当に嬉しそうに笑った。
声は、出なかった。それは偽物です、と言ったところで、この店の帳場の前では、本家が商売敵の悪口を言いに来たようにしか聞こえない。
ジスランが、私の視線の先に気づいて、にんまりと笑った。
「ね、奥方。あれが俺の客でさあ。あんたの月は、あの親子の手の届く棚には──端から載ってねえんですよ」
帰りの馬車で、レナールは長いこと窓の外を見ていた。
「……安さは、正義の顔をした強敵です。悪口や妨害より、よほど手強い」
「あら。数字の人が、弱気ですこと」
「弱気ではなく、見積もりです。安売りの写しと戦って勝った本家を、私は帳簿の上で三つしか知りません」
「では、四つ目になりましょう」
彼がこちらを見た。それからふ、と口の端が緩んで、膝の上の帳簿の表紙を、こつこつ、と二度叩いた。
──その七日後から、工房に手紙が届き始めた。
「『買って半月で灯りが暗くなった。天下の月光灯がこの様か』……うちの納品台帳に、この方のお名前はありませんわ」
「こちらは『青が濁った。取り替えろ』。──こちらも、うちの月ではありません。全部、月の灯です」
苦情の山は、みんな偽物のものだった。けれど宛名は、みんな、うちの工房になっていた。
安い月が曇るたび、濁るたび、泥を被るのは本物の月なのだ。
ガストンは苦情の手紙を一通だけ読んで、何も言わずに窯場へ引き上げていった。怒鳴らなかったのが、かえって怖かった。ミレットが小声で「親方、ああなると長いんです」と教えてくれた。
「レナール様。これ、放っておくと」
「ええ」彼は苦情の束を、帳簿の横に静かに積み直した。「泥では、済まなくなります」
その言葉が当たってしまうまで、十日と掛からなかった。
安売りの偽物、堂々の宣戦布告でした。次話、泥では済まない「事故」が起きてしまいます。
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