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契約結婚の初夜、旦那様は花束ではなく帳簿を持ってきました 〜愛のない政略夫婦、傾いた灯り工房を二人で立て直します〜  作者: 雪乃フィオナ


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第15話:共同代表の答え

 ギルド会館の議場に、出資者はおよそ四十人。公証人が議長席に着き、最前列にはルドガー・デュランが、仕立ての良い笑顔で座っていた。その隣で、ユーグの顔色だけが悪い。


 傍聴席には、見知った顔もいくつかあった。フェリシア殿下の姿はない。ただ、殿下お付きの女官がひとり、いちばん後ろの席で静かに扇を広げていた。──「面白いものを見たい」お方の目は、こういう場所にだけ、きちんと届いている。


「発起人より、議題『代表交代の件』について説明を」


 ルドガーの弁は、うまかった。工房の躍進は認める。だが現代表は、没落貴族の令嬢と、商会を出た三男。資本の裏付けがない。デュラン商会が経営を引き受け、皆様の証書に安定した配当を──。


「なお、賛同はすでに九十二口分を頂いている。過半まで、あと九口です」


 小口の出資者たちが、目を伏せた。商会と縁を切れる小商人は、この王都にいない。


「現代表側、ご意見は」


 私は立ち上がった。


「皆さまに、ひとつだけご覧いただきたい紙がありますの」


 掲げたのは、一枚の証書。


「王都意匠登録局、登録第七一二号。魔導灯意匠『月光灯』一式──満月灯、朧月灯を含む。登録名義人、エステル・ラヴォワ」


 議場が、ざわ、と揺れた。


「月光灯の意匠権は、工房のものではございません。わたくし個人のものです。工房は、共同代表であるわたくしから無償で意匠を借りて、月を焼いております。──代表が交代すれば、この貸与は終わります」


「……いつの間に」と、誰かが呻いた。


「例の、三百基の注文書を拝見した翌週ですわ」


 私はルドガーに、にっこり笑ってみせた。


「皆さまがお持ちなのは、月光灯を作る工房の証書。けれど代表交代にご賛同なさるなら、それは月光灯を作れない工房の証書に変わります。残るのは窯と、建物と、負債。──兄上様は、それでもお買い増しになる?」


 隣で、レナールが登録証を見つめていた。それから私を見て、図面を前にしたときの早口が、小声で漏れた。


「登録の区分まで完璧だ……エステル様、あなたはやはり──」


「答えはあとで。今は総会中ですわ」


 ルドガーは動じなかった。さすがに、値札を読み直すのは速い。


「……なるほど。抜け目のないことだ。だが奥方、議決そのものは生きていますよ。月がなくとも、窯と販路には値が付く。それに代表の座を失えば、意匠権のほうこそ、いずれ売りに来る羽目になる」


「では、こちらからもひとつ、商いのご提案を」


 レナールが立ち上がり、帳簿を開いた。


「本日この場で、工房は出資証書の買い戻しを行います。額面に、一割五分の上乗せ。即金です」


 ざわめきが、今度は議場を走り抜けた。


「原資は、献灯祭からこちら、ひと月余りの利益。それから──」


 彼は書状の束を掲げた。


「モンフォール伯爵をはじめ、月光灯をご愛顧くださる貴族十一家からの、出資のお申し出です。伯爵のお手紙を、一行だけご紹介します。『余の館の月を作る工房を、余の与り知らぬ者の手に渡すことは許さん』──とのことです」


 議場のあちこちで、笑いが弾けた。あの自慢屋の伯爵らしい一行に、空気が緩む。


「買い戻せるのは百四十口。この場の証書がすべて出ても、お釣りが参ります。兄がお付けした値より高く、しかも即金。──どちらが得かは、皆さまの算盤でどうぞ」


 最初のひとりが立ち上がるまで、十を数えるほどもかからなかった。ひとり、またひとり、公証人の卓の前に列ができていく。


 九口どころではなかった。雪崩だった。


「ま、待て! 待ってくれ!」


 悲鳴を上げたのは、ルドガーではなかった。ユーグだった。


「議決はまだ終わっていない! ルドガー殿、報酬は──成功払いの報酬は、どうなる!」


 議場が、しんとなった。全員が彼を見ていた。


「期日が来るのだ! うちの抵当は、ダルモンの屋敷は……! ゴーティエ様も、この件が成れば金庫に口を利いてくださると仰った! 約束が、違う……!」


 言ってはいけないことを、余すところなく、満座の中で言い切った。


 貴族家の名代たちが、扇の陰で囁き交わす。ダルモン家、抵当。屋敷が。──あの囁きは今夜中に、社交界を三周する。


「……代理人契約は、本日付で終了です」ルドガーが静かに言った。「落ち目の家名は、看板に使えない」


 ユーグは、何か言おうと口を開けて、誰も自分を見ていないことに気づいて、閉じた。二年前、社交界の真ん中で私を笑った人は、社交界の外へ、自分の足でよろめき出ていった。


 私はもう、怒っていなかった。留飲というものは、下がりきると、静かなものらしい。


 ルドガーは、手元の証書の束をしばらく見下ろしていた。それから、損切りの速さだけは見事に、公証人の卓へ置いた。


「九十二口、一割五分の上乗せで結構。──いい商いだった、レナール」


 去り際、彼は一度だけ足を止めた。


「次は、もっと高く売れるときに参りますよ。弟の工房は、育ちが早いようだから」


 和解の言葉は、兄弟のどちらからも、最後まで出なかった。それでいいのだと思う。あれは絆創膏も貼れない種類の傷なのだ。


「動議は、発起人の証書譲渡により不成立。総会を閉じます」


 公証人の槌の音を、扉の外の歓声が搔き消した。


 議場を出た途端、ミレットに正面からぶつかられた。


「代表! 代表夫人! 勝ちましたか!? 勝ちましたよね!?」


「ええ。工房は、工房のものよ」


「よっしゃあ!」と吼えたのはガストンで、その後ろでは職人たちが、議事の中身も知らないまま万歳をしていた。


 夕暮れの工房の前で、窯に火が入るのを二人で眺めた。


「エステル様。決算のご報告が」


「あら、もう締めましたの」


「本日の決算。買い戻しで、蓄えはほぼ空。金貨換算で申し上げれば、大出血です」


「それ以外のすべてで、黒字。──でしょう?」


 彼は少し黙った。それから、帳簿の表紙を、こつこつ、と二度叩いた。


「……私が守りたいのは、工房だけではありません」


 ……今、なんて?


 聞き間違いかと顔を上げたときには、彼はもう帳簿を開いていた。


「──つまり、意匠権のことです。あなた名義の意匠権は当工房最大の資産ですから、貸与を正式な書面にして、使用料の料率は売上の、そう、まず一割で──」


「レナール様」


「……なんでしょう」


「その計算、明日になさい」


 その晩、私は新作の図面を三枚駄目にした。線が、どうしても一本ずれるのだ。窯のせいでも蝋燭のせいでもないことだけは、確かだった。


 数日後。王都の中央広場の掲示板に、人だかりができた。


『布告。王室御用達 魔導灯の選定入札を執り行う。参加を望む工房は、王宮調達局まで届け出るべし』


 読み上げるレナールの隣で、私は契約書の一行を思い出していた。


 ──工房が王室御用達の栄を賜りし暁には、本婚姻の解消を協議するものとする。


 遠い遠い話だったはずの第七条が、静かに衣擦れの音を立てた気がした。


王室御用達──工房の悲願にして、契約書第七条「婚姻解消の協議」の条件でもあります。稼げば稼ぐほど、白い結婚の期限が近づく。二人の契約は、ここからが本番です。

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