第11話:大きすぎる注文
献灯祭から半月。工房の門の前には、朝から馬車の列ができている。
「代表! 代表夫人! 注文票、今日の分だけで十九件です! 札の置き場が、もうありません!」
ミレットが注文札の束を抱えて作業場を駆け回る。窯は日頃の三基が朝から唸りっぱなしで、ガストンの「順番だ、順番!」という怒鳴り声まで、心なしか景気がいい。
「奥方! 三番窯、次はどの型を入れる!」
「満月をふたつ、朧月をひとつ! 霜挽きはミレットに回してくださいな!」
「あいよ!」
返事とともに、窯の熱がぶわりと膨らむ。この半月で、私の声はすっかり作業場の端まで通るようになった。淑女の声量ではない気もするけれど、気にしないことにしている。
大聖堂の夜にあの月が灯って以来、月光灯は王都の流行になった。貴族の使いが門前で列を作り、順番待ちは三月先まで埋まった。
ありがたい。実にありがたいのだけれど──。
「エステル様。少々、よろしいですか」
二階の事務室から、レナールの声がした。低い。商談の声ではない。検算を三度やり直したあとの声だ。
円卓の上に、一通の契約書が広げられていた。羊皮紙は上等、印章も立派。王都の仲介商会を挟んで、貴族が五家、連名で並んでいる。
「月光灯、三百基。納期は三月後。前金は五割──総額、金貨四千枚」
「よ、四千枚!?」
淑女にあるまじき声が出た。負債の残りがまとめて消えて、お釣りまで来る数字である。
「差出の五家は、ご存じのお家ですの?」
「いずれも社交界の名簿にはある家です。ただし、これまで月光灯をお求めになったことは一度もない。おそらく名前貸しでしょう。仲介の商会に問い合わせても、『依頼主のご意向で明かせない』の一点張りです」
「お受けして、増産で凌ぐ手は? 窯をお借りするとか、よその工房と組むとか」
「考えました。ですが第九条で、製造の再委託は禁じられています。窯の増設も、据えてから焼き慣らすまでに二月掛かる。……どこからどう数えても、届かない数字だけが残ります。よくできた檻です」
「破格です。破格すぎます」レナールは眉ひとつ動かさず、頁をめくった。「前金五割まで付けて。餌としては上等すぎる。──そして、こちらが第十二条です」
『納期に遅延したる場合、乙は違約金の支払いに代えて、工房の経営権の一切を、甲の指定する者へ譲渡するものとする』
「……違約金の、代わりに、経営権?」
「はい。そこで納期の検算です。窯は五基あっても、職人十二人で回せるのは三基分。献灯祭からの実績で数えて、三月で焼ける月は、どれほど無理を重ねても百五十が限度です」
彼は帳簿の表紙を、指の背でとん、と一度だけ叩いた。
二度ではない、一度。納得していないときの音だ。──我ながら、この人の癖の読み方ばかり上達していく。
「つまりこれは、灯りを買う契約ではありません。最初から遅らせて、違約で工房を取り上げるための契約です。数字は嘘をつきません。嘘をつくのは、いつだって数字の使い手のほうです」
「「お断りしましょう」」
声が、綺麗に重なった。重なってから、二人同時に少しだけ笑った。うちの共同代表会議は、こういうときだけ異様に早い。
「ですが、断って終わりにできない話がひとつ」レナールの目から笑いが消えた。「この条項を書いた誰かは、月ではなく、月を作る箱のほうが欲しいのです。工房そのものが」
「先日のあれと、繋がりますのね。祝勝の帰り道に見た──ユーグ様が、ゴーティエ議長のお屋敷に入っていくところ」
「まず、繋がるでしょう。ただし議長は二度と表に立ちません。大聖堂で一度焼けた顔は、そう易々と晒せない。前に出てくる駒が、必ず別にいるはずです」
それで、と私は円卓に身を乗り出した。
「仮に、私たちがどんな罠も踏まなかったとして。それでも工房を『取れる』道が、どこかに残っていますの?」
レナールは少し黙った。それから金庫の奥から、古びた綴りを一冊出してきた。
表紙には『出資証書 発行控』とある。
「ひとつだけ、あります。エステル様にまだお話ししていない、この工房の古い借りです」
「借り? ギルドの共済金庫とは、別に?」
「別に、です。二十年前、窯の建て替えで工房が傾いたとき、先代は出資証書を発行して、再建の資金を集めました。全部で二百口。証書の持ち主には配当の権利と──もうひとつ。出資者総会を開き、工房の代表を解任する議決の権利があります」
「解任……」
「証書の過半を握れば、総会ひとつで、私たちふたりをこの工房から追い出せます。つまりこの工房には、建てられたときから、鍵の掛からない裏口がひとつ空いているのです」
「配当は、これまでどうなさっていましたの?」
「先代の晩年から、利益が出ないので止まったままです。持ち主にとって、証書はほとんど紙切れ扱いだった。──だからこそ、安く買い集められる」
「職人のみんなも、持っていますの?」
「ガストンが二口、古株が合わせて六口。ここは動きません。……動かないと信じられる口数が、まだ少なすぎるのが問題ですが」
窓の下では、窯の火が景気よく唸っている。注文札が積み上がり、職人たちの声が弾んでいる。
その足元に、二十年前から、裏口が空いていた。
「……逆に、私たちが証書を買い戻しておくことは?」
「考えました。ですが初回返済と増産で、蓄えの大半は窯と資材に変わっています。いま動かせる金では、二十口がやっとです」
「証書はいま、どなたの手に?」
「発行の当時は、出入りの商人や小口の投資家に散っていました。──公証人に頼んで、名簿の写しを取り寄せます。証書が動いていれば、譲渡の記録に残る」
月を作る箱、と彼は言った。
箱を取られても、月まで取られない方法はないかしら──頭の隅にそう書きつけて、私はひとまず図面机に戻った。手を止めない。それが今できる、唯一の備えだったから。
名簿の写しが届いたのは、五日後の夕方だった。
封を切ったレナールが、頁をめくる。めくる手が、三枚目で止まった。
この半年、小口の証書が次々と買い集められていた。売り手は様々。けれど買い手の名は、最初の一件から最後の一件まで、すべて同じだった。
ルドガー・デュラン。
「レナール様。この方は」
彼はしばらく黙っていた。それから、擦り傷に絆創膏を貼るような、平坦な声で言った。
「……兄です。デュラン商会の、次の当主です」
デュラン。──その姓は、嫁いだ日から、私の姓でもある。
彼は名簿に目を戻すと、頁の端に素早く数字を書き足していった。声はもう、いつもの検算の声だった。
「買い集められた証書、九十二口。解任の議決に要る過半は、百一口。……あと九口で、この工房の裏口が開きます」
「兄上様は、灯りがお好きなのかしら」
「兄が好きなのは」と、彼はペンを置いた。「値の上がる前の商品だけです」
燭台の火が、じじ、と鳴った。
罠つきの注文書よりも、名簿のその一行のほうが、ずっと冷たく見えた。
裏口の鍵を握っていたのは、まさかの身内でした。次話、夫の実家・デュラン商会本家の晩餐に乗り込みます。
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