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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第六章 王都シュトリア
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94、処分

 広く豪奢な館の一室で、頭を抱える人物がいた。華美な椅子に体を埋めている。

 肥満体のその体は小刻みに震えていた。顔に浮いた脂汗に怯えた瞳。大の大人が闇を恐れる子供のように縮こまっていた。

 情けない姿を晒すのは裏社会で少しだけ名の知れた男ボレーノであった。王都を中心とする三大派閥の一角の幹部で、薬物の売買で財を成している。

 長く裏社会を渡り歩いた男であったが、今は迫り来る恐怖に耐えられず醜態を晒していた。

 と言っても、この部屋にはボレーノ以外には誰もいない。醜態を晒したところで嘲笑する者は存在しなかった。

 静寂に包まれた室内で、荒い呼吸音だけがボレーノの口から奏でられていた。息は己の膝を打ち続けている。

 どうしてこの男が恐怖に苛まれているのか。それは度重なる不運が招いた悲劇のせいであった。


 事の始まりは高級薬物である白木蓮(マグノリア)の結晶の取引にケチな運び人を使ってしまった事である。いつもの運び人が騎士団に捕まり投獄されていた為、別の運び人を雇ったのだが人選が誤りだった。

 新しい運び人は取引後結晶を紛失し、あろう事か騎士団に捕まってしまった。

 貴重な結晶には大金を払っている。何としてでも見つけ出さなければならない。

 信頼のおける部下を送り込むが、結果は失敗。いや、ただの失敗ではない。

 結晶と部下を騎士団長の手中に収められるという最悪の事態となってしまった。しかも、その騎士団長は一区の団長であった。賄賂が効くはずも無い人物に交渉の手立てはない。

 結晶を失くしたのは大損だが、結局は金の問題なのでまだ諦めはつく。

 だが、部下が生きたまま奴の元に捕えられたのは非常に不味い。

 部下は口の固い男であるが、調べに耐えられずボレーノらの情報を吐いてしまうかもしれない。それは首領であるアーゲインにも影響を与える事であり絶対に許されない。

 その為、囚人移送を狙って奇襲をかけさせたが尽(ことごと)く退けられている。

 どうやら、移送の集団には団長だけでなく審問会の魔術師が同席しているようでボレーノの部下では歯が立たなかった。

 このままでは団長らは明日にでも王都に到着してしまう。守りの固い騎士団本部に入られてしまえば手は出せない。詰みである。

 外部の暗殺者たちを雇おうと画策していたが、先刻アーゲインの元から連絡が来た。

 これからボレーノの館(ここ)へ来る、と。

 ボレーノは確信した。アーゲインはこの失態を知っていると。

 普段アーゲインが幹部の元へ来る事はない。部下である自分たちが彼の元へ行くのが通例だからだ。

 それでも、アーゲインが幹部の元へ行く事が稀にある。それは幹部を処分する時。

 幹部の間では周知の事実であった。


 ボレーノは自分が処分される恐怖に耐えられなかった。今まで処分された幹部を無能だからだと嘲笑っていたが、今度は笑われる側となっている。

 間もなくアーゲインが到着するだろう。

 ボレーノは恐怖の中でも逃げ出したい気持ちを必死に抑えていた。

 通常、これから処分されると分かっているならばさっさと逃げ出す方が賢明だと思われる。

 しかし、それはアーゲインに対しては愚策となる。

 アーゲインから逃げ出した幹部は皆凄惨な方法で惨殺されているからだ。逃げずに残っていた幹部はそれに比べたらマシな方法で処分されている。

 数年前、資金ごと持ち逃げしようとした幹部は一日と経たずに捕まり、酷い拷問を受けもがき苦しみ抜いて死んだ。その拷問期間は半年に及んでいる。最早死が唯一の安寧だったのは想像に難くない。


 ボレーノに残された道は二つ。死ぬか、苦しんで死ぬか。最終的な終焉は同じであるが、行程は大いに違う。


「うぅ…死にたくない…」


 それでもボレーノは死を受け入れる事は出来なかった。簡単に死を受け入れられる人間などそうはいない。この男も例外ではない。

 己に近づく死の恐怖。ボレーノの顔は蒼白を通り越して土気色であった。


 何の前触れもなく部屋の扉が静かに開いた。両開きの扉が室内に向かってゆるりと動く。

 ボレーノは恐怖で悲鳴を上げそうになる口を両の手で強く塞いだ。

 血走った目は室内に入って来た人物を凝視する。

 先頭を歩くのは中肉中背の中年の男。仕立ての良い背広を着込み両手を腰の後ろに回していた。平凡な勤め人にしか見えないこの男が派閥の首領であるアーゲインであった。

 首領の後ろには二人の男女が控えている。常に彼を護衛している兄妹だ。兄が腕利きの剣士、妹が魔術師である。二人ともアーゲインに絶対の忠誠を誓っている。


 アーゲインはボレーノの執務机の前に立つと優しい笑みを見せた。

 ボレーノには死神の微笑みに見えていた。


「ボレーノ。私がここへ来た意味は分かっているだろう?」


 死神の声は笑みと同じく柔らかいものだった。それがボレーノにはたまらなく恐ろしい。口を押さえたまま身動きすらできずにいる。


「今回の失態は酷いね。特に君の部下があの青二才に捕えられ、且(か)つ口封じが済んでいない事に対しては目も当てられない」


 死神の優しい糾弾が続く。


「白木蓮の事もだけど、君は最近慎重さが足りていないようだ。体みたいに気も緩んでしまったかな?」


 気心の知れた友人と談笑するかのようにアーゲインは言葉を紡ぐ。


「だいぶ資金を無駄にしてくれたね。君が巻き込んだせいでラルスも捕まってしまい我が家は大損だ」


 ボレーノはこの状況に耐えられずアーゲインから目を逸らした。


「他の野蛮な派閥がこれを好機として何か仕掛けてくるかもしれないね。ボレーノもそう思うだろう?」


 ボレーノは答えられない。


「ボレーノ、ボレーノ。私を見なさい。私は今、君と話しているんだよ」


 アーゲインからの命令にボレーノは歯を食いしばって視線を正面へ向けた。

 怯えきった瞳が己の命を握る首領の瞳と合う。

 優しく笑んでいるはずの瞳には暗い炎が踊っていた。

 表情や声音とは正反対の恐ろしく暗い感情の渦を見てしまったボレーノは、椅子から転がり落ちるように床に這いつくばった。

 手足を生まれて初めて使うかのようなぎこちなさで床を這い、アーゲインの足元に跪(ひざまず)いた。


「もっ申し訳あ、あありませんでした!」


 床に額を擦りつけて謝罪するボレーノの目と鼻からは透明な液体が溢れていた。床の絨毯に次々とシミを形成していく。


「こ、この失態はす、全て私の責任です!まっ誠に申し訳ありませんでしたぁぁぁ!」


 ボレーノ言葉は最後には慟哭となっていた。

 震える部下を見下ろすアーゲインの瞳から暗い炎が消える事はない。


「己の過ちを認め、謝罪できるのは良いことだ。大抵皆言い訳ばかり並べて命乞いをするからね。私は意味のない言い訳は嫌いだ」


 アーゲインは笑んだままボレーノに背を向けた。


「君のような部下をここで失うのは惜しい」


 死神の慈悲の言葉にボレーノの体が大きく震えた。涙と汗と鼻水に塗れた顔を上げる。


「君にはもう少し頑張ってもらうことにしよう。別の仕事を与える。明日私の屋敷に来なさい」


 ボレーノはアーゲインの背を見上げて呆然としている。言葉の意味を理解するのに多少の時間を要した。

 数秒の沈黙の後ボレーノは再び床に額を擦りつけた。


「あっあ、ありがとうございます!このご恩はこ、このボレーノが一生をかけてお返しして参ります!」


 死の恐怖を回避できた安堵感からボレーノの目から涙が止まらない。


「部下の口封じには私が手を回したので安心しなさい。これから君に任せる仕事は重要なものだ。今日は美味しいものでも食べて英気を養うといい」


 アーゲインは振り返る事なく言い終えると護衛を引き連れて部屋を後にした。

 彼は最初から最後まで表情と口調だけは部下を優しく叱咤する良き上司のようであった。

 首領はいつもこの調子である。部下を拷問する時も、敵対勢力を惨殺する時も笑みを浮かべている。普通の精神構造ではない。時折現れる暗い感情の炎が彼の本質なのだろう。

 

 ボレーノは自分の命が長らえた事に歓喜していた。また、アーゲインに認められた喜びも心に広がっている。

 今まで処分されてきた幹部たちと自分は違う、そう違うのだ。

 自然と体が震えていた。同時に笑い声が口から漏れ出る。声は次第に大きくなり高笑と変化した。

 狂ったような泣き笑い声が室内で反響していた。

 


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