93.新たな証言
入り組んだ路地を進むと密集した住宅地に着いた。ここは南北に通る一本の道を隔てて全く様相が違っていた。
西側には比較的新しい住宅が並び身なりの良い人々が暮らす様子が垣間見える。
一方、東側はかなり年季の入った小さな住宅がひしめいていた。孤児院と競えるくらいに古い。住人も老人が多かった。治安が悪そうには見えないが、どことなく陰気な雰囲気がある。
ソルとイーリスは東側の住宅街に歩を進めた。杖をついて歩く老婆や、家の前の掃き掃除をしている老人とすれ違う。皆ソルとイーリスに気にも留めない様子であった。
マーガレットから渡された地図を片手に歩くソルは体に違和感を感じ、首や肩を回した。
どうも、ここへ来る道中から怠さを感じている。この怠さはベルダンで治療を受けていた時のものに似ていた。
昨夜大量に飲んだ酒のせいかと思ったが、二日酔いにしては吐き気や頭痛がない。では体調を崩す前触れなのか。
幸い、休息が必要な程辛い状態ではない。しばらく様子を見よう、そう考えながら目的の家を探す。
「ええと、この通りから入って三番目の家…」
ソルの足が止まった。
「ここがヴァーゴさんの家ですか」
「地図によるとそうみたいだ」
ヴァーゴとはマーガレットの知り合いの名である。月に一回は菓子を買いに来るという。だが、先月から来ていないらしい。かなり高齢の老女なので体調が気になるとマーガレットが話していた。
ソルは狭い門扉を押し開けると、草花溢れるささやかな庭を通って家の玄関に到達した。
イーリスは花の香りを楽しみながらソルに追従する。
ソルが扉を叩く。すると、中から物音が聞こえた。間を置かずに扉が少しだけ開く。
「どなたです?」
顔を半分だけ出したてきたのは老女というには若過ぎる女だった。
女はフードで顔を隠した来訪者を不審な目で見ている。
「ヴァーゴ、さんはご在宅だろうか。彼女と話をしたい。菓子屋のマーガレットからここに居ると聞いたんだが」
ソルは努めて人当たりの良い口調で話した。
始めは警戒していた女だったが、マーガレットの名を出すと扉を大きく開けた。
「マーガレットさんの知り合いなのね。若い人がおばあちゃんと話したいなんて珍しい」
女はヴァーゴの孫であった。孫娘はソルの後ろにいるイーリスに気づくと笑みを見せた。
「学生さんかしら。魔術師まで来るなんて、本当珍しい。おばあちゃんは中に居るわ。どうぞ入って」
孫娘に招かれてソルとイーリスは室内に入った。外は古いが、室内は綺麗に清掃、整頓され快適な空間となっていた。壁や柱がやや傾いているのを除けば。
「ヴァーゴさんは先月から店に来ていないと聞きました。体調が悪いのですか?」
「うーん。体の調子は悪くないんだけど…ちょっと頭の方がね」
イーリスの問いに孫娘は言い淀む。
「ほら、もう年だし以前から物忘れはあったんだけど先月から急に痴呆ってのかな。それが進行しちゃって、色々と分からなくなってるみたい。私の顔も忘れちゃったのよ。お店の事も忘れてるんじゃないかな」
「そうだったんですね」
寂しげな顔の孫娘は部屋の奥の開き戸に向かった。
ソルは一抹の不安を覚える。ヴァーゴが痴呆を発症しているならば過去の話を聞くのは難しいかもしれない。
「でもね、たまに調子良い時があって、その時はいつものおばあちゃんに戻るんだよ」
その調子の良い時が今である事を願いつつソルは孫娘の後に続く。
開き戸の先は小さな裏庭だった。こちらも様々な草花が庭を彩っていた。草花の種類や植っている場所もバラバラで一見すると雑然とした庭であるが、不思議と美しく見える。
そんな庭の中央一部だけに手入れされた芝生の区画があった。芝の上には白いテーブルと椅子がある。
その椅子にヴァーゴが座っていた。椅子に隠れそうな程小柄な老女であった。
テーブルにはカップと菓子が並んだ皿が置かれている。お茶を楽しんでいる最中のようだ。
「おばあちゃん、お客さんだよ」
孫娘が声をかけるとヴァーゴは曲がった腰を少しだけ伸ばしこちらに顔を向けた。皺に埋もれた目が開いてソルとイーリスを捉える。
「あんれまぁ、グウェンとレイナじゃないの。おいでおいで、お菓子があるよ」
ヴァーゴは満面の笑みで手招きした。困惑したソルに孫娘がそっと耳打ちする。
「グウェンとレイナは私の父と叔母。二人とも数年前に亡くなってるんだ。否定したらおばあちゃんが混乱するから適当に話合わせてあげて」
頷いたソルはイーリスにもその事を伝え、ヴァーゴの元へ行った。
これは話が聞けるか怪しい雲行きである。
「よく来たね。ほら座って食べなさい。美味しいよ」
促され椅子に座るソルとイーリス。ヴァーゴは菓子の皿をソルたちの方へ押しやった。
自分の子供たちが来ていると思っている老女はにこにこと嬉しそうである。
「グウェンは護衛の仕事はどうだい。もう先輩風を吹かせてるんじゃないのかい」
ヴァーゴはソルに優しい眼差しを向けている。慈愛に満ちた表情。それは親が子に向ける愛情に溢れた顔であった。
そんな表情を向けられた事のないソルは思わず言葉に詰まってしまった。
当然だが、彼女の愛情は自分の息子に向けられている。ソルという人物にではない。
そんな事は百も承知であるが、胸の奥に痛みが走る。
ソルは思わずヴァーゴから目を逸らしていた。
返答出来ずにいるソルに代わってイーリスが口を開いた。
「兄、さんは部下の人たちを纏めて活躍していますよ」
「あんれ、レイナ、今日はやけにお淑やかだね。ようやく女性らしさを身につけたようで。これでお嫁の心配もなくなったね」
ヴァーゴは楽しそうに笑った。イーリスもつられて笑む。
その光景を見たソルは、胸に湧いた郷愁と渇望を誰にも悟られないよう彼方へと追いやった。
ここへ来た目的を遂行するべく、ようやく言葉を発する。
「仕事の一貫で十年前の研究所の火事の事を調べているんだが、覚えていないか。昔は近くに魔術の研究所があったんだろ」
「十年前?火事なんてあったかね。覚えていないわ」
ヴァーゴのあっけらかんとした物言いにイーリスは肩を落とした。
望んでいた証言は得られそうにない。それならば長居は無用である。
菓子を勧め続けているヴァーゴを躱してこの場を離脱しなければならない。
イーリスは肩を落としつつも焼き菓子をつまんでいた。
甘い香りに誘われたアビィがイーリスのフードから顔を出し彼女の肩によじ登った。真円の瞳は菓子を狙っている。
アビィがテーブルに飛び降りた瞬間、ヴァーゴの悲鳴が響き渡った。か細い老人から出るとは思えない大音量の悲鳴である。
「いやぁぁぁ!!ネズミー!!」
あまりの声量にイーリスはびくりと身を震わせた。ソルは耳を押さえる。
アビィも菓子を目前にして動きを停止し、イーリスの懐に飛び込んだ。
ヴァーゴは椅子を蹴倒して立ち上がると、もつれる足で庭の隅に逃げて行った。
「どうしたの!?」
家の中に居た孫娘が慌てて出てくる。
「アメリア!ネズミが出たんだよ!何とかしておくれ!」
孫娘はくすりと笑った。
「今は私の事分かるんだ」
アメリアはアビィを抱くイーリスを見るとヴァーゴの視線を遮るようにテーブルの近くに立った。
「ネズミ、にしては変わってるね。おばあちゃんネズミ嫌いなの。どこか目につかない所に隠して欲しいな」
「すいません」
イーリスはすっかり萎縮してしまっているアビィをフードの中に戻した。
「おばあちゃん、ネズミは何処かよそに逃げたよ」
「本当かい」
「本当、本当」
アメリアは庭の隅で縮こまっているヴァーゴの元へ行き背中を軽く叩いた。
庭を見渡したヴァーゴはネズミの姿がなくなった事に安堵し、アメリアの手を借りて立った。
そして、ソルとイーリスに目を留めると首を傾げた。
「アメリア、あの人たちは誰だい。あんたのお客さんかい?」
「違うよ。おばあちゃんのお客さんだよ。マーガレットさんの知り合い。何か、話があるんだって」
「あら、そうなの?」
ヴァーゴの様子の変化を感じたソルとイーリスも側に向かった。
「可愛らしい魔術師さんと、変わった盾の方ね。私のような老婆にお話なんて何か困り事でもあるのかい」
微笑んだヴァーゴは二人を見上げた。今、彼女は記憶と認識能力を取り戻している。この状態ならば証言が得られるかもしれない。
ソルは先ほどと同じ事を尋ねてみる。
「十年前、ここの近くにあった研究所で火事があったはずだ。その時の事を調べている。当時の状況を教えて欲しい」
「あぁ、あの火事は酷かったねぇ。家まで燃えてしまうんじゃないかと思ったよ」
ヴァーゴは火事を覚えていた。イーリスの目が輝く。
「火元の研究所は何日も燃えていたよ。変な火だった。火事当初は赤い火だったけど急に黒い火に変わったんだよ。何なんだろうね」
「その火事なら私も覚えてる。おばあちゃんが巻き込まれてないか心配だった。あの時はまだ一緒に住んでいなかったもんね」
「あんたたちはベルダンに住んでいたね」
ヴァーゴとアメリアは当時の思い出話に花を咲かせ始めていた。
これは話が逸れてしまう流れだ。軌道修正が必要である。
「あー、で、火事の時研究所から逃げる人を見かけなかったか」
「見かけたよ。研究所の人たちが塀を越えて逃げてきていたね」
「その中に小さな子供を連れた人物はいなかったか」
「子供、は見なかったねぇ」
ヴァーゴはイーリスとおばあちゃんを目撃していなかった。
イーリスの様子は変わっていないが内心落胆しているだろう。
一陣の風がイーリスのローブの裾をふわりと翻す。陽光を受けた銀糸の刺繍がキラキラと輝いた。老女の目が裾の動きを反射的に追っていた。
「綺麗なローブね。そう言えば、同じようなローブを着た人が逃げていたよ」
ソルの耳にイーリスが息を飲んだ音が聞こえた。
「その人はどんな人でしたか!?」
「若い女の人だったよ。杖を持ってたから魔術師だと思うわ。布に包まれた大きな荷物を抱えていたね」
イーリスの勢いにやや気圧されつつもヴァーゴはその人物像を思い出す。
「髪は金髪だったと思うわ。他の人たちは研究所の門の前で何か言い合っていたけど、その人はうちの前を走って逃げて行ったよ」
「どんな顔をしていましたか?」
「美人だったね。ルミナリア様に似ていたから覚えているよ」
「ルミナリア様…?」
唐突に出てきた名にイーリスは首を傾げた。
「先王のお妃様のことだよ」
アメリアが疑問の答えをくれた。
イーリスは成程と頷く。
今度はヴァーゴが疑問を紡ぐ。
「あの人はお嬢さんと何か関わりがあるのかい?」
「私がとってもお世話になった人です。今、その人を探しているんです」
イーリスは経緯をかい摘んでヴァーゴに話す。老女は話を真剣に聞いている。
ソルは隣で話を聞きながらも体の怠さが増してきた事に気づいた。おまけに指先が意識と関係なく震え始めている。動悸と口渇も出現する。
この症状は以前訓練の一環で毒物を摂取した際の症状と似ていた。しかし、あの時は毒物を摂取して数分で症状が出てきていた。
朝食を摂ってからは何も食べていない。毒物に接触した覚えもない。
ならば何かの病なのか。今まで病に罹った事のないソルには判断がつかなかった。
そんなソルの変化に気づいたのはアメリアだった。
「何か、調子悪そうだけど大丈夫?」
フードの中を覗き込むようにソルの様子を窺っている。
ソルは顔を背けた。大丈夫と言いたいところだったが、乾燥した口唇と舌が発声を邪魔していた。
アメリアの声に反応したイーリスが話を中断し、ソルの服を握った。
「どうしましたか?」
不安気なイーリスの声が何故か遠くに聞こえる。
ソルはイーリスの方へと首を動かしたかったが、頭のから血の気が引いて行くのを感じた。
(これはマズイ)
そう思った時には視界が真っ白になっていた。そして体に衝撃。
アメリアかヴァーゴかは分からないが、慌てた様子の叫び声が頭上を通り過ぎる。
自分が倒れた事を認識する前にソルの意識は暗転した。




