92.手がかりを探して
薄靄の残る早朝にソルとイーリスは家の外に出た。通りを歩く人はまだ少ない。白み始めた空はイーリスの瞳と似た色をしていた。
背嚢を背負ったソルと鞄を肩から斜めにかけたイーリスは、戸口に立っているギムレット夫妻と向かい合う。
顔色の悪いギムレットは寝癖のついた髭を片手で直している。二日酔いの顔だ。
昨夜、いくら飲んでも酔わないソルに対抗してガバガバと飲んでいたツケが来ているようだ。
対照的にきっちりと身支度を整えたマーガレットは両手のひら程の大きさの包みをイーリスに渡した。
「これは店で出してる菓子だよ。日持ちするから非常食にでもして」
「ありがとうがざいます」
「気をつけてね。私たちにできることがあったらいつでもおいで」
柔和な笑みのマーガレットの言葉に続いて、ぎこちない笑みを作ったギムレットが若干しゃがれた声を発する。
「そうじゃぞ。無理はするなよ」
「あぁ。世話になったな」
ソルとイーリスは礼を言うと夫妻に見送られながら通りへ歩き出した。
今日向かう先は決まっている。ソルは迷いなく通りを進んで行く。
そこへ城壁から顔を出した太陽の光が二人を照らす。ソルは眩しさに目を細める。
イーリスは肌で陽光の暖かさを感じていた。
「ギムレットさんたちと過ごすのは楽しかったですね」
「そうだな。昨日は騒がしかったけどな」
「ソルさんとギムレットさんはたくさんお酒を飲んでいましたね。酔ったギムレットさんの歌は何と言うか、落盤の音みたいでした」
「フフッ…それは的確な例えだ」
思わず笑ってしまったソルはちらりと後ろを振り返った。
遠くに並んだ夫妻の人影が見える。彼らは見えなくなるまで見送ってくれているようだった。
昨夜、滞在の礼に金を渡そうとしたが彼らは頑なに受け取らなかった。金を受け取ったらもてなしにならないと。
真っ直ぐなギムレットらしい言葉だった。
「裏社会の人たちをどうにかしたらまた会いに行きましょう」
イーリスの発言にソルは頷いた。
「やる事がまた増えたな」
「頑張らないとですね」
黒曜石の髪を揺らして意気込むイーリス。
ソルは今日の行程を声に出して確認する。
「まずは孤児院に行ってアデリナが残した記録がないか確認する。それからマーガレットの知り合いを訪ねて火事の目撃情報を聞く。そして審問会の本部とやらに行って手配犯の詳細を聞く。途中でまた尾行されたら、尾行者を捕える。盛り沢山だな」
「有意義な一日になりそうです」
孤児院に関してはイーリスが里子ではなく研究所に行ったことが判明したが、何かおばあちゃんに繋がる記録が残っていないか確認すると酒の席で決めていた。
あとは目的地の位置で行く順番を設定した。
通りを歩く二人は進路を南に変更し脇道に入って行く。
孤児院までの道は覚えている。路地の分岐も迷う事なく進む。
アンリのパン屋の近くまで来ると香ばしい匂いが漂ってきた。
朝食を食べたはずのアビィがイーリスのフードの中でソワソワしている。
店の前を通るが、まだ準備中であった。
孤児院に着くと歪んだ門を開けて敷地に入る。古びた家に草が伸びた庭。二日前と何も変わっていなかった。
ソルは孤児院の扉に手をかけるが、やはり鍵がかかっていた。
「誰が鍵を管理しているんでしょうね」
「アデリナの親族か知り合いだろうな」
言いながらソルは孤児院の周囲に沿って歩き出す。窓も開いていないか確かめるが施錠されていた。側面に周ると伸び放題の低木が塀と孤児院の間を塞いでいた。
「イーリスはここで待ってろ」
頷いたイーリスを置いてソルは助走もつけずに跳躍した。低木の茂みを軽々と越え深い草むらに着地する。
そのまま裏手に周るともう一つ扉があった。淡い期待を抱いて扉に手をかける。すると少しだけ扉が開いた。そこから扉は動かない。開いた隙間は指が入らない程狭かった。
ソルは渾身の力を込めて扉の取手を引っ張った。
鈍く軋んだ音を立てて隙間が広がる。人一人通れる広さまで開けると孤児院の内部に入った。
振り返って開けた扉に目を向けると、蝶番が酷く錆びていた。扉の枠は歪んで斜めになっている。これらが扉の開閉を邪魔していた。
あの扉の固さでは高齢のアデリナは開閉できなかっただろう。裏庭の荒れ具合を見るに開かずの扉となっていた可能性が高い。
改めて室内に目をやるとテーブルに暖炉、棚が並んでいた。普通の居間である。全体的に薄っすらと埃が積もっているが、所々に足跡がある。今も人の出入りがあるようだ。
ソルは玄関の鍵を開けた。扉を押して顔だけ外に出す。
イーリスはアデリナの墓の前にしゃがみ込んで手を合わせていた。二日前はあまりの出来事に墓に参るような状況ではなかった。
彼女は幼い自分を育ててくれた先生、アデリナに感謝を伝えていた。アデリナはおばあちゃんではないが、孤児院に迎え入れ愛情を注いでくれた。大好きな育ての親の一人である。
イーリスは記憶の中のアデリナを思い起こし、そっと墓石に触れた。無機質な石の冷たさが指先から伝わる。人も死んだらこの石と同じように冷たくなるのだ。
胸に広がる感情は悲しさよりも寂しさが強かった。何とも言えない心細さを感じる。
記憶に残る快活に笑う先生はもう居ないのだ。
今でも信じられない思いがする。
自分を構成していた大切な一部分が無くなってしまったような気がした。
墓石に触れたまま動かないイーリスだったが、隣に気配を感じ意識をそちらへと向けた。
隣には同じく膝を畳んで手を合わせるソルがいた。
「ソルさん…」
「俺も手を合わせとこうと思ってな。アデリナのおかげで俺の恩人が存在するわけだし」
ソルの言葉は暖かった。
「落ち着いたら花を供えに来よう」
頷いたイーリスは墓石から手を離し両手で杖を握り直した。
寂しさに満ちた暗い心に光が差し込む。そう、自分は今一人ではないのだ。
落ち込みかけていた感情が引っ張り上げられた。やるべき事がたくさんある。感傷に浸るのは後でいい。裏社会という厄介事を抱えている今、立ち止まっている暇はない。
イーリスは墓石に向かって頭を下げた。
「私はいろんな人に生かされてきました。ソルさんもですよ。恩人同士ですね」
「確かにな。お互いが恩人同士だ」
笑みを浮かべたイーリスはゆっくりと立ち上がった。
「中に入れたんですか」
「あぁ、裏から入れた」
二人は孤児院の正面玄関の扉へと歩んだ。
埃っぽい室内に戻る。
「アデリナの部屋はどこか覚えているか」
「はい。こっちです」
イーリスは正面左手の部屋に入って行った。
そこは寝台と机と箪笥があるだけの狭い部屋だった。
イーリスは寝台をなぞるように触れる。その目には懐かしさと寂寥感が混在していた。
指はそのまま寝台をなぞり、枕元にある机に到達した。
「先生が書いたものはこの引き出しに入っていると思います」
白い指は三段ある引き出しの一番上を開けた。しかし、そこには何も入っていなかった。
その下の引き出しも、その下の引き出しも空であった。
「誰かに持ち出されたか処分されたか。どちらにせよ手がかりになりそうなものは残っていないようだな」
「遺品は片付けられたのでしょうね」
寂しげに呟くイーリス。
彼女は静かに部屋を後にした。ソルも小さな背に続く。
居間に戻ったイーリスは杖の柄で床をコンと叩いた。
「よし、次に行きましょう。マーガレットさんのお知り合いの方の家は少し遠いから急ぎましょう」
イーリスは気持ちを切り替えるように言葉を発した。ソルを置いて外に出る。
無理をしてるようには見えない。だが、何か堪えるものはありそうだ。
彼女なりに気持ちを切り替えている。ソルは何も言わずに背を見送った。
玄関の扉を施錠し裏口から出たソルが表に戻った時にはイーリスは普段通りの表情となっていた。
「ソルさん、お昼用のパンをアンリさんのところで買いませんか」
「それはいい案だ」
二人は並んで歩き出す。
位置を高くした太陽が進む道を照らしていた。




