91、裏の気配
夕暮れの中ソルとイーリスは帰路についていた。研究所からギムレット宅まではかなり距離がある。
道中で茶菓子だけでは満たされなかった腹を軽食で多少埋めた。
軽食は蒸した芋と腸詰めであったが、誰よりもアビィの食いつきが良かった。茶菓子には反応しなかったのにも関わらず、今回はしっかり反応している。菓子に入っていた薬草の香りが苦手だったのかもしれない。
来た道を帰っていたが、途中で近道はないかと通行人に尋ねてみた。すると、城壁沿いに行くよりも脇の通りに入った方が早く着くとのことだった。道順を教えてもらい、進行方向を変えた。
入った通りには家路に着く住人たちが多かった。通りに店はなく一般の住宅が占めている。
しばらく進むとソルが異変に気づいた。彼は腕を握るイーリスにだけ聞こえるような小声でぼそりと呟いた。
「つけられている。しかも複数」
呟きに反応したイーリスが足を止めようとする。
「止まるな。そのまま歩くんだ。こちらが気づいた事を気取られたくない」
ソルの言葉にイーリスは止めようとした足を前に出した。一瞬だけ躓いたようなぎこちない歩みとなる。
イーリスは元の歩調に戻ると、探知範囲を広げて周囲の情報を拾った。だが、通行人が多く、誰につけられているのかさっぱり分からなかった。
「すいません、探知では判別できませんでした」
「人が多いからな。俺も漠然と視線を感じるだけだ」
ソルは後方に意識を集中させる。監視や尾行されている時独特の嫌な視線が背に向けられているのが分かる。
その視線は途切れる事なく注がれ続けていた。
「アレクシスさんが言っていた裏社会の人でしょうか」
「その可能性は高いな」
裏社会の戦力の一角を成り行きとはいえ倒してしまっているので、大層恨みを買ってしまっているだろう。報復の為に行動を探られているのかもしれない。
「捕まえますか」
「ここでは無理だ。まだ尾行している人間を絞りきれていない」
ソルは通行人から教えてもらった通りに道を進んで行く。三叉路を右に進み、脇道に入り、十字路を左に進む。その間も複数の視線はついて来る。
視線の主を絞りたいところであったが、どの道も通行人が多く特定できない。殺気を飛ばしてくれれば一発で分かるのだが、尾行をするような人物がそんなヘマをする筈もなかった。
尾行者をつけたまま滞在先に行くのは危険だ。何処かで捕まえるか撒くかしなければならない。
歩きながら人通りの少ない道を探す。しかし、中々見つからない。
このままでは埒が開かないので、ソルは教えてもらった道順から外れて狭い路地に入った。
狭くとも人通りは多い。だが、しばらく進むと人の往来が減った。
これなら特定し易い。そうソルが思った時、背後に感じていた視線が減った。一部は諦めたのだろうか。
更に狭い裏路地に入った。ここには人影はない。
数歩歩くと視線が完全に消えた。
「用心深い奴らのようだな」
「いなくなりました?」
「あぁ、諦めたという感じだな」
「尾行がバレているのに気づいたんですかね」
「恐らくそうだ。尻尾は掴みたいが、掴まれるのは絶対に阻止したいようだな。撤退が潔すぎる」
尾行していたのが裏社会の人物ならソルとイーリスの実力を知っている。撤退は用心された結果なのだろう。
「うーん。捕まえたかったです」
「ここに居る限り、どうせまた尾行されるさ。機はいくらでもある。だがギムレットたちに迷惑がかかるような事は避けたい。明日朝一で家を出よう」
「そうですね。ギムレットさんたちを巻き込まないようにしないと」
ソルの冷静な言葉に好戦的になりかけていたイーリスの表情が落ち着いた。
話しながら進む二人は十字路に出た。道順から外れてしまったので、どの方向へ行けば帰れるのか分からない。だからと言って尾行者がまだ居る可能性のある通りには戻れない。
「このまま進むか…」
ソルは十字路を真っ直ぐ進む選択をした。止めた足を再び前へ出す。
そこへ頭上から声が降って来た。
「おーい、そこの嬢ちゃんたち。その先は行けないよー」
ソルが顔を上げると、十字路に面した家屋の二階の窓から女が顔を出していた。
「行き止まりか」
「違うよ。道が陥没してるの。だから通行止め」
「陥没くらいで通れないのか」
ソルの疑問に女は微笑んだ。
「あー、あなたたち外から来た人なのね。ここはね、地下深くに遺跡があるの。地下で遺跡が崩れたりすると陥没するのよ。それで酷い時は崩落しちゃうの」
「そんな危険な場所に都市ができているとは…」
「あーら、心配しないで、陥没なんて滅多にあるものじゃないから。遺跡もほとんど埋まってるみたいだし」
女は大したことはないと笑う。
ソルは南の方の通りに出たい事を告げた。女は左の路地を指す。
「そこを真っ直ぐ行けば大通りに出るよ」
ソルとイーリスは女に礼を言うと左の路地に進んだ。
歩みつつイーリスが喋る。
「地下遺跡があるなんて面白い都市ですね」
「小さい頃は知らなかったのか」
「全然知りませんでした。でも知らなくてよかったです」
「何でだ」
「知ってたら遺跡探検に行ってたと思います。庭を掘って宝物がないか探していたくらいですから」
「あー、あり得るな」
イーリスは小さい頃から好奇心旺盛だったようだ。アデリナもそれを見越して敢えて教えなかったのかもしれない。崩落の恐れのある地下遺跡など危険過ぎる。
路地をひたすら歩んで行くと広い通りに出た。この通りはギムレット宅から病院へ行く時に通った場所だ。
もうすっかり日は暮れている。それでも、通りには街灯や店頭の灯りが多く明るい。まだまだ活気がある。
ソルは尾行されていない事を確認すると帰路を急いだ。
ギムレット宅に着いた時には夕食のいい香りが室内から漂っていた。
居間ではマーガレットが食事の準備をしていた。ギムレットはまだいない。工房で後片付けをしているそうだ。
ソルとイーリスは配膳など準備を手伝う。食器を並べつつイーリスが今日の出来事をマーガレットに話した。
「あなたが居たのは研究所だったのね。進展があって良かったわ。こちらはいろんな人に聞いても火事と病院がどうしても結びつかなくてね。がっかりさせちゃうと思っていたところだったのよ」
「いえ、協力していただいた事が嬉しいんです。ありがとうございました」
イーリスが笑みを浮かべるとマーガレットもつられて笑った。
そこへ工房の片付けを終えたギムレットがやって来た。
「おお、帰っとったんか。どうじゃった?何か分かったか」
「はい」
イーリスは先ほどマーガレットに話した事を同じく話した。
その間、ソルはマーガレットから受け取った豚肉と豆類の煮込み料理の入った皿をテーブルに並べ、パンの入った籠を中央に置く。
「研究所とな。それは思いつかんかったわい」
ギムレットは髭をしごきながら椅子に座った。テーブルには配膳が済んでいる。
一同はテーブルを囲んで食事と話しを繰り広げる。
「イーリスが経験した火事はあの大火じゃったのか。それで、そこから助けてくれたのがばあちゃんの可能性があると」
「そう考えています」
「ただの通りすがりが助けてくれたとは思えん。外からあの大火に飛び込むのは難しいじゃろう。当時研究所内部にいた人物が助けたと考える方が妥当だの」
「だが、研究所職員にイーリス救出には関係ないそうだ」
ギムレットは豆を口に運び首を傾げた。
「ふぅむ。そもそもその人物はどうしてイーリスを連れて行ったんじゃろうな。助けたら職員に託せばいい。病気のことがありながら態々辺境に連れて行く理由も分からん」
「おばあちゃんには何か思惑があったのでしょうね」
イーリスはちぎったパンをアビィに渡す。伏せらた睫毛に隠れた瞳には、思慮を重ねる彼女の真剣さが現れていた。
「…改めて思い返してみるとおばあちゃんは私を森の外に出さないようにしていたように思えます。何かから遠ざけているような…」
「森で匿っていたと言うことか?」
「そのような感じかと。以前、ソルさんにどうしてあの森に住んでいるのか聞かれましたよね。あの時は分からなかったけど、私なりに考えてみたんです」
イーリスは一旦言葉を切り、一呼吸置いて話し始めた。
「おばあちゃんは頑なに街への同行を拒んでいました。私を連れて森を抜けるのは危険だと言っていましたが、おばあちゃん程の魔術師なら可能だったのではと今は考えています」
「人里に出たら不味い何かがあったんじゃろうな。だがら森で隠居のような生活をしとったんじゃな」
「でも、今回こうやって街に出て旅をしてきましたが、特に不都合はありませんでした。いろんな出来事はありましたが、それはたまたま巻き込まれただけですし」
イーリスの言葉が切れた。
ソルはイーリスの話しを脳内でまとめ、発した。
「つまり、ばあちゃんはイーリスを火事から助け出し、人の来ない森に匿っていた。人里に出ると何か問題が出現する可能性があると」
「そうだと思います」
憶測だとしても辻褄は合う。だが、匿われていた理由はわからない。また、今は何もなくとも今後イーリスに問題が発生する恐れがあるという懸念が生じてしまった。
手持ちの情報だけで対策を講じるのは困難だ。
話が途切れ、食器に当たるスプーンの音がやけに大きく響いた。
一足先に食べ終えたマーガレットが思い出したように声を上げる。
「そうだ、火事の話に戻るんだけどね。私のお店に来るお客さんに移転前の研究所の近くに昔から住んでる人がいるんだよ。火事の時に周辺の住民に避難誘導をしていたらしいから、外からの人の出入りを見ているかもしれないね」
「研究所内からは把握できない情報が得られそうだな」
「明日行ってみましょう」
スプーンを握るイーリスの手に力が入った。
マーガレットは紙切れに簡易的な地図を描くとソルに渡した。
ソルは地図を仕舞い残りの食事を平らげた。水を飲むとギムレットに視線を向ける。
「いろいろ世話になった。俺たちは明日ここを出るつもりだ」
「急にどうした。まだ王都でやる事はたくさんあんだろ。遠慮してんのか?終わるまで居たらいい」
ギムレットは驚きと疑問が混じった表情をしていた。
ソルはベルダンでの出来事と尾行されていた事を話す。
「俺たちがここに居るとあんたたちまで裏社会の奴らに目をつけられてしまう。それだけは避けたい」
「そうじゃったか…」
ソルの真剣な眼差しにギムレットは理解の意を表した。ごわついた髭を撫でる鍛冶屋の男は背後のマーガレットへ顔を向ける。
マーガレットは寂しそうに頷いた。
「儂がよ、もっと若ければあんな陰険野郎どもなんて返り討ちにして騎士団の詰所に投げ込んでやるんじゃがな…気い使ってもらってすまんの」
正面を向いたギムレットの顔には己の力不足に対する嘆きとソルたちへの感謝があった。
「謝らないでください。私たちこそたくさんお世話になりました。感謝してもしきれないです」
食事を終えたイーリスがギムレット夫妻に頭を下げる。ソルも同意見でありイーリスに倣う。
護衛をしたとはいえ、一度会っただけの人をここまで歓迎し、協力を申し出てくれたギムレット夫妻。彼らの善良な人柄はソルたちの助けとなった。夫妻の家の空気感は居心地が良い。いつまでも好意に甘えたくなってしまうところだが、引くべき時が来たのだ。
己らの事情に巻き込む訳にはいかない。
ギムレットとマーガレットは顔を見合わせると優しく微笑んだ。
そしてギムレットはガハハと笑う。
「湿っぽいのは終わりじゃ!今日は儂に付き合え!」
マーガレットがテーブルに酒瓶を置いた。瓶の中では琥珀色の酒が揺れている。
「儂お気に入りの蒸留酒じゃ。存分に味わえ」
ギムレットがソルと自分の陶器の杯に酒を注ぐ。
ソルの鼻に酒のツンとした刺激臭と木の芳しい香りが届いた。初めて嗅ぐ酒の匂いだった。
「これはまたキツそうな酒だ」
イーリスは濃い酒の匂いに思わず鼻を押さえている。
「イーリスにはこれ」
そう言ったマーガレットがイーリスの杯に注いだのは、酒と同じく琥珀色をした液体だった。
イーリスの鼻を甘い果実の香りが覆う。
「良い香りがします」
「杏と檸檬のシロップを薄めたものだよ。甘過ぎないから食後にちょうどいいよ」
マーガレットも同じシロップ水を杯に入れ席に着いた。
四人は同色の杯を片手に語らう。それは一時の賑やかな食卓。
それぞれ良き人との出会いと邂逅を楽しむ。行き交う和やかな声が部屋に満ちていた。




