88、病院
翌日、ソルとイーリスはギムレットに教えてもらった王都中央の病院へ向かっていた。
晴天の空の下では心地よい風が吹いている。賑やかな通りには今日も変わらず大勢の人々が行き交っていた。
イーリスはソルの腕に掴まって歩いている。その顔色は上々だ。よく眠れたのだろう。
昨夜は店の二階の空き部屋に泊まらせてもらった。一人ずつ部屋を準備してもらっている。ソルはイーリスの就寝後の徘徊を心配したが、彼女は静かに部屋で一人寝ていたようだ。
王都の中心部に近づくにつれ人が増えていく。特に警邏中の騎士団員に商人、学生が目立つ。
通りの十字路を左に曲がると王宮の城壁が視界に入った。王都を囲む城壁よりも低いが、それでも周囲の家屋より高い。観光客と思しき人々が、城壁の上から突き出している王宮の一部を指して眺めている。
城壁の手前に目的の病院はあった。四階建ての大きな建物で、白衣の人物が出入りしているのが見えた。
「病院までもう少しだ」
「結構歩きましたね」
イーリスの言うようにギムレットの家からここまでは中々の距離があった。昨日もかなり歩いたが、今日は既にそれを超えている。今までの街より遥かに広い。
何回か乗り合い馬車を見かけていた。街の中で態々馬車を使う必要があるのかと思っていたが、今はその必要性を感じている。
病院の内部はベルダンの診療所を広くしたような場所だった。
負傷した騎士が担架に乗せられて運ばれている。看護婦が大量のリネン類を抱えて歩いていた。難しい顔をした医師の一団が討論しながら横切って行く。エントランスは表の通りのように騒がしい。
ソルは過去の話が聞けそうな所を探す。右手奥にカウンターがあった。山積みの書類を職員が処理している。
事務処理をしている職員なら過去の記録を知っているかもしれない。
ソルとイーリスはカウンターの方へ向かった。
「そっちの請求は騎士団宛にしといて」
「もう解熱剤の在庫が少ないようです。薬師を呼びます」
「何だ、この請求は。うわっ、またルーディ先生が変なもの作ってるようだぞ」
職員らは手と口を忙しなく動かして書類を捌いている。カウンターの外で作業している職員がソルとイーリスに気づき手を止めた。
「どうされましたか?」
「あの、十年程前に私が入院していた病院を探していまして。当時の記録を調べてもらうことはできますか?」
「できますよ。お名前と入院時の年齢、病名を教えてください」
「名前はイーリスです。年は五歳くらいだったと思います。病名は…覚えてません」
職員は素早くメモを取ると壁際の椅子を指して待つよう指示した。
「少し時間がかかる思います。お待ちください」
職員はカウンターの奥へ消えて行った。
二人は椅子に座り、職員からの報告を待つことにした。
イーリスは若干ソワソワしている。
フードからアビィが顔を出した。尖った鼻を動かし、食べ物の気配がないと分かるとフードに戻った。
ソルはイーリスの気を紛らわせるべく、今朝の朝食の事や工房でギムレットの手伝いをした事など、当たり障りのない話をした。
イーリスも話に乗る。彼女はマーガレットの開店準備を手伝った事を話す。
雑談の時間が流れる。騒がしいエントランスの中でここだけはゆっくりとした空気が漂っていた。
「工房の武具類はどれもレベルが高くて…って、何だ…?」
喋るソルの言葉が止まった。彼の視線の先には二人の人物がいた。エントランスから中央へ歩んでいる。
騒がしかった空間がどよめきに置き換わっている。医師や看護婦は立ち止まって二人の人物を驚愕の目で見ていた。
「どうかしましたか?」
「俺には分からんが、有名人が来たみたいだ」
イーリスの問いにソルは来訪者を注視した。
二人は白いローブを着ていた。背後には、三本の交差した杖と尾羽が長い鳥の紋様が金刺繍されている。
一人は筋骨隆々の大柄な男で太い棍のようなものを持っていた。棍はラルスの館で使った物と似ている。
もう一人は正反対に線の細い男で、鹿の角のように広がった美しい装飾の杖を持っていた。杖には様々な色の魔石がふんだんに使われている。
二人とも魔術師なのだろうが、大柄な男は魔術師というより屈強な戦士に見える。
どよめきに混じって宮廷魔術師だ、と感嘆する声が聞こえた。
宮廷魔術師はその名の通り王宮を守護する魔術師だ。エリシスで最高峰の魔術師である。
「ちょっと、そこのお嬢さん、見舞いに行きたいんだが部屋を教えてくれんかね」
大柄な男が近くの看護婦を捕まえる。見た目通りの太く低い声だった。
「はっ、はい!ではこちらで面会の手続きをお願いします!」
緊張した声の看護婦がぎこちない動きで二階へと案内する。二階への階段はソルたちの近くにある為、自然と魔術師らの顔が目に入った。
大柄な方は立派な髭と眉毛を蓄えた壮年の男だった。やはり、どう見ても魔術師には見えない。体の動かし方も武人のそれだ。
線の細い方は穏やかな目をした三十歳程の男だった。銀縁の丸い眼鏡が理知的な印象を醸し出している。こちらはどう見ても魔術師だ。
二人の宮廷魔術師は看護婦に先導され階段へ向かっていたが、大柄な男の方がソルとイーリスに目を留めると進行方向を変えた。
ソルは急に大柄な男が近づいて来て困惑する。
男はソルの目の前で立ち止まった。その体躯はまるで山のようだった。近くで見ると、その鍛え上げられた肉体の凄まじさが分かる。
ソルは頭上から注がれる視線を感じた。
「何か用か」
愛想の欠片もないソルの態度に、男は気分を害するでもなく野太い声を発する。
「貴殿は隣の魔術師の盾か。ガルドラントの者が盾とは珍しい。それに相当の手練と見た」
ソルが視線だけを上に向けると男が太い拳を腰にあてて好戦的な笑みを見せた。
「どうだい、この後私と一戦交えてくれないか」
「断る」
即答するソル。ベルダンでの事といい、どうしてこう好戦的な人物に目をつけられてしまうのか。戦闘狂に付き合っている暇はないのだ。
「場所は王宮内部の訓練場にしよう。近衛には伝えておくから城門から入るといい」
「…おい、俺は断ると言ったんだが」
「怪我は心配しなくていい。治癒魔術があるからな」
男はソルの言葉を全く聞いていない。一方的に一戦やり合う流れで話し続けている。
ここまで強引かつ自分本位な人は中々お目にかかれない。
「俺は行かないからな」
「異国の剣士と戦うのは久しぶりだな。今日はいい一日になるぞ」
話の噛み合わなさにソルは額に手を当てた。
その隣でイーリスは興味深々といった様子で聞き耳を立てていた。男を制止する素振りはない
「ガイアード殿、悪い癖が出ていますよ。その御仁は申し出を明確に拒否しています」
見かねたもう一人の宮廷魔術師が男に歩み寄った。
「それに一般人を巻き込んでの私闘は禁止ですよ」
男はハッとしたように後ろを振り返った。ソルの言葉は届かなかったが、この宮廷魔術師の言葉はしっかり届くようだ。
「すまん、ファルムス殿。強そうな者を見るとつい、な」
ガイアードと呼ばれた男はバツが悪そうに頭を掻いた。そしてソルに向かって深々と頭を下げた。巌のような背を丸めている。
周囲の観衆がまたどよめく。
「迷惑をかけたな。すまない」
「いや、分かってくれたのならいい」
位の高い宮廷魔術師が頭を下げた事で周りはざわついている。観衆の視線がソルにも集中してしまっていた。
(早く行ってくれ)
ソルは居心地の悪さを感じ、俯き加減となる。
「行きましょう。叔父上がお待ちですよ」
ソルの思いが通じた、訳ではないがファルムスがガイアードを急かした事で彼は立ち去った。
ファルムスはソルに軽く会釈すると二階へと消えた。
観衆となっていた職員たちも各々職務に戻って行った。
「何か、凄い人でしたね」
「大きい方は魔術師には見えなかった」
「魔術師なのにソルさんと戦いたいなんて、珍しいですよね」
「宮廷魔術師にはとんでもない奴がいるんだな」
格好だけ魔術師で中身は武人なのかもしれない。そんな馬鹿げた事を考えてしまうくらい魔術師に似つかわしくない人物であった。
あの杖も
極太の棍である。魔術を発動している姿より、振り回している姿の方が容易に想像できる。
「もう一人の方は優しそうでしたが、持っていた杖が放射する魔力の圧が尋常ではありませんでした。世の中にはあんな杖が存在するんですね」
「そんなに凄い杖だったのか。俺は魔力云々はさっぱりだから全然分からなかった」
「杖自体が生きているようでした。あれを作った人は稀代の天才なんでしょうね」
ファルムスの持っていた杖は、確かにソルが今まで見てきた中で一番魔石を使用してあった。装飾も相まって宝杖のようだった。店に置いてある杖の何倍もの価値がるのだろう。
「宮廷魔術師になる人は何か、一段違うところに居るような感じがしました」
イーリスはアレクシスが己の事を宮廷魔術師候補だと言った。彼が実力を認めてくれていると嬉しく感じていたが、今、それは買い被り過ぎだったのではと疑問に思い始めていた。
「私ももっと魔術を磨かないと」
イーリスの呟きは喧騒に紛れて消えた。
それからしばし待った後、先程の職員がやって来た。イーリスの表情が引き締まる。
「お待たせしました。残念ですが、こちらに貴方の入院記録はありませんでした」
「…そうですか」
肩を落としたイーリスに職員は言葉を続ける。
「貴方は魔術師ですよね。もしかしたら、魔術師特有の病気を対象にした病院に入院されていたんじゃないでしょうか」
「えっ、そんな病院があるんですか!」
イーリスは思わず立ち上がっていた。正面に立っていた職員が勢いに押されて一歩後ずさる。
「はい。病院と言いましたが、実際は魔術の研究所ですね。研究の一環で病気の治療もされてます」
「それはどこにありますか?」
「ここから丁度王宮を挟んだ反対側にありますね」
そう言った職員はここで顔を曇らせた。
「ですが、その、研究所は十年程前に酷い火事になっています。貴方が入院していたとする時期と近いので、もしかすると記録は焼失している可能性もあります、その辺りはご了承ください」
言いにくそうに話す職員に対してイーリスは目を輝かせていた。
「大丈夫です。何か繋がった気がします。ありがとうございました」
イーリスが勢いよく頭を下げると職員は安堵した様子で去って行った。
ソルはイーリスの考えが分かった。
「火事と病院が繋がったな」
「はい!きっと私はその研究所にいたんです」
イーリスの記憶に該当する場所が判明した。彼女は魔術師特有の病気に罹って研究所で治療をしていたに違いない。
病院と火事、二つの事象が一度に解明されそうだ。
火事の事を調べているであろうギムレット夫妻には悪いが、このまま研究所へ向かう。気軽に報告しに帰れる距離ではない。
手がかりを掴んだ二人は足早に病院から外に出た。
太陽光を受けたイーリスの瞳が輝く。
ソルが腕を差し出すと、彼女は微笑んで腕を組んだ
二人は聳え立つ城壁の方へと歩み出した。




