↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第六章 王都シュトリア
88/105

87、過去の記憶

 ソルとギムレットの状況説明により、イーリスはアンリとの会話後からの経過を知った。


「すいません。頭が真っ白になっていました。途中からはおばあちゃんの事を思い返すのに夢中で…」

「事情が事情だから仕方ないさ」


 申し訳なさそうにしているイーリスをソルは擁護する。


「儂らも協力するでな。安心せい」

「お腹空いてないかい?遠慮せず食べていいんだよ。話はその後にしましょう」


 ギムレット夫妻は温かい目でイーリスを見守っている。完全に孫を愛でる爺婆の顔である。

 マーガレットが肉団子と根菜類を皿に注ぎ直し彼女の前に置いた。

 テーブルの上で芋を頬張っていたアビィはイーリスの膝に飛び乗って丸くなった。腹が満たされて眠くなったようだ。どこまでも自由な鼠だ。

 イーリスは夫妻に礼を言うと、杖をテーブルに立てかけ食事を開始した。


 先に食事を終えたソルとギムレットは自然と雑談していた。マーガレットは空いた皿を片付けている。


「おまえさんは何でずっと頭巾なんぞ被っておるんじゃ?家の中でくらい外したらどうだ」

「いや、これは…」


 ギムレットの疑問にソルは言い淀んだ。

 ギムレット夫妻は五十年前の獣憑きの事件を経験している。獣憑きに対していい感情は無いだろう。


「何だ?もしかして顔を見られちゃ不味いお尋ね者なのか?」

「そう言う訳ではないんだが…」


 冗談めかして言うギムレット。ソルは言葉に迷っている。


「ソルさん、ギムレットさんなら大丈夫ですよ。お世話になるのに隠しておくのもどうかと思いますし」


 そこへ食事中のイーリスがソルの背中を押す。

 ギムレットはイーリスの言葉を不思議そうに聞いていた。

 ソルは決心したように頷いた。そしてフードを下ろす。赤銅色の頭と緑の獣の目が露わになった。

 ギムレットは目を見開く。彼の背後で片付けをしていたマーガレットも動きを止めた。


「おまえさん、そりゃあ獣の目じゃないか。獣憑きだったんか。なるほど、それが顔を隠していた理由か」


 妙に納得した様子のギムレット。発せられた言葉に非難は感じられない。


「…隠していてすまん」


 目を伏せるソルにギムレットは豪快に笑った。


「謝んなって。儂らは別に気にしないから気楽にしてろ」


 大きな手がソルの背をバシバシと叩く。体を前後に揺らされながらもソルの顔から険しさが剥がれていった。


「獣憑きに会ったのは久しぶりじゃ。今は皆王宮におるからの」

「…昔にあった事件のせいか」

「知っておったのか。あの時、儂はちょうど工房に篭っておったから事件に気づくのが遅れたんじゃ。でもかあちゃんは危ない目に遭うての」


 ソルがギムレットの背後のマーガレットに視線を向けると、彼女は強張った顔をしていた。彼女は明らかにソルに対して恐怖心を抱いている。

 ソルの視線に気づいたマーガレットは取り繕うように笑った。


「そうなのよ。外が騒がしいのにこの人ったら全然工房から出てこないんだもの。あたしは死にかけたっていうのに」

「すまんの。工房にいると外の声なんぞ聞こえんのじゃ」


 ギムレットはまた豪快に笑った。


「死にかけたって、マーガレットさんも襲われたのですか?」


 食事中であるがイーリスも話に参戦する。

 マーガレットは当時の出来事を話し出した。


「え、えぇ。その夜はとても綺麗な満月だったから、用事の帰り道でぼんやり月を見ていたの」


 若きマーガレットは人の少ない通りを歩いていた。大きな満月が煌々と大地を照らしており、灯りは必要ない程だった。

 通りの先に自宅が見えている。もう直ぐ着く。

 月を見上げながら歩いていると、急に悲鳴が聞こえてきた。悲鳴は近くから上がっている。マーガレットが周囲を見渡すと、若い男が路地から飛び出して来た。

 男とマーガレットの目が合った。男が縋るような目をすると同時に獣の咆哮が空を裂いて響いた。

 次の瞬間、男は彼女の目の前から消えた。今度は呻き声と鈍い音が横から聞こえてくる。

 マーガレットが緊張した面持ちで顔を横に向けると、首を大きく傾げた男の虚な目があった。

 男は大柄な男の手に首を握られ宙に浮いていた。

 男の力のない腕と脚が振子のように揺れる。彼の首からは夥(おびただ)しい量の液体が溢れ出していた。

 逞しい五指が男の首を握り潰していた。

 マーガレットは息を飲んだ。悲鳴を上げそうになる口を手で押さえる。

 大柄な男は握った男を掲げ、溢れる血を浴びていた。

 恐ろしい光景から逃げだそうとしたマーガレットだったが、恐怖のあまり体が上手く動かない。震える脚で後ずさるのが精一杯だった。

 それでも、一歩一歩凶悪な人物から遠ざかる。しかし、踵が段差に当たり転倒してしまった。

 不味い、と思った時には遅かった。血を浴びた男の赤く染まった目がマーガレットを捉えていた。その目は獣のものだった。爛々と光る目は獲物を見つけた悦びに満ちていた。

 マーガレットは死の恐怖に打ちひしがれる。体を起こす事も出来ずに、無惨な遺体を投げ捨てる獣憑きの男をただ見ていた。

 あぁ、次は自分だ。マーガレットの目から涙が溢れる。

 獣憑きの男の体が揺らいだ。

 来る、と思ったが男の体はそのまま前のめりに倒れた。男の背には矢が刺さっている。

 倒れた男の背後、遠く離れた場所から一人の人物が走って来た。

 それは大きな弓を持った若い娘だった。娘は獣憑きの死を確認するとマーガレットに駆け寄った。


「大丈夫?怪我はない?」


 傍で見ると美しい娘だった。だが、両耳が人にはあり得ない獣の耳であった。この娘も獣憑きだ。

 命の危機が去ってもマーガレットの心には恐怖が染みついていた。上手く声が出せず、首を縦に振る。


「よかった。歩ける?」


 腰が抜けて歩けない。マーガレットは首を横に振った。

 娘は弓を体にかけて背負うとマーガレットを抱えた。同じくらいの体格であるのに軽々と抱えている。優しい灯火のような目がマーガレットを見下ろす。


「家まで送るわ。あっちであってる?」


 頷くマーガレットを抱えて娘は疾走する。マーガレットは娘の腕の温もりで体の緊張が解かれていくのを感じた。


「それで、ここまで送ってもらったわ。あの子が来なかったらわたしはここにはいなかった」

「そんなことがあったんですね」

「遠くから聞こえる悲鳴と逃げる人たちの騒がしい声が朝まで続いていたわ」


 そこで話を切ったマーガレットはソルへと声をかけた。


「さっきはごめんなさいね。あなたの目があの時の赤い目と同じに見えてしまったの。あなたはあの獣憑きとは違うのにね」

「大丈夫だ。気にしない」


 ソルの言葉は強がりにも聞こえた。

 マーガレットは僅かに笑むと食器の片付けに戻った。


「儂はかあちゃんが工房に避難してようやく騒ぎに気づいたの。後で聞いた話じゃが、王都と周辺の街の獣憑きが魔術によって一斉に凶暴化していたらしい。でも、かあちゃんを助けたのも獣憑きじゃ。あの娘さんには効かなかったのかの」

「そんな魔術が存在するんですか」

「そう聞いとる。首謀者の魔術師は捕まって処刑されとるぞ」


 続くギムレットの話で事件の全貌が見えた。

 獣憑きだけ狙って凶暴化させる魔術がある事にソルは戦慄した。我を忘れて本物の獣になってしまう恐ろしい魔術だ。


「その魔術師は獣憑きに恨みがあったのだろうな」

「動機については何の噂流れて来なかったからその辺は不明じゃの」

「魔術の効果範囲がかなり広いので、相当入念に長時間準備して実行したのでしょう。それほどまでにその人を動かす強い感情、いや執念を感じます」


 イーリスは魔術と魔術師の事を考えているのか顎に指をあてて動かない。

 テーブルの食器は空になっている。彼女はいつの間にか食事を終えていた。

 凄惨な事件の話で空気が重くなる。


「よし、次は本題に入ろうかの」


 コップの水を飲み干したギムレットが話題を変えた。


「イーリスのおばあちゃんのことじゃ」


 イーリスの手が膝に下ろされた。彼女は静かに目を閉じる。


「孤児院から里子に出されたと聞いたが、その辺のことは覚えておるかの」

「…断片的にですが、少し思い出したんです。私は里子には出されていません」


 思ってもみないイーリスの返答にソルは疑問を呈す。


「でも、パン屋の店主は里子に出されたと確かに言っていたぞ。店主の勘違いだったのか?」

「その可能性もありますが、おば…先生がアンリさんに心配かけないように里子に出たと言ったのかもしれません」

「どういうことだ」

「私が孤児院を離れた原因は病気です。治るか分からない病気を発症してしまったので病院に入院したのです」


 イーリスの指が自身の瞼に触れる。


「失明の原因になった病気です。投薬や治療をし続けないと命が危ない、そう先生に言われました」

「そうだったのか」

「病院に行ってからは治療が辛かったことしか覚えていません。失明した後のことはもっと覚えていないです」

「大変な子供時代だったの」


 ギムレットは彼女の幼少期の苦労を厭っていた。


「でも、さっき追加で思い出したことがあるんです」

「あぁ、アビィがやらかした時のか」

「はい。何かが激しく燃えている音と熱気です。多分、病院で火事があったんだと思います」


 イーリスはその時の感覚を思い出すように頬に触れた。


「熱風は凄くて焦げてしまうんじゃないかと思うくらい熱かったです」

「かなり激しい火事だったんだな」


 話を聞いていたギムレットとマーガレットは首を傾げた。


「難しい病気を診れるなら中央の病院しかないじゃろうな」

「えぇ。そうね。だけど…」

「あそこは儂らの知る限り火事になったことは一度もないぞ」


 目を開けたイーリスも首を傾げる。


「では私がいたのは違う病院だったのでしょうか」

「いや、ここには病院は一つしかない。他は小さな診療所のみじゃ。ちなみにその火事が起きたのも十年くらい前かの」

「はい。孤児院を出てそんなに時間は経ってないと思いますので」


 ギムレットは腕を組んで椅子に背を預けた。背後には片付けが終わったマーガレットがいる。


「火事のことは儂らが調べてみるから、おまえさんたちは中央の病院に行ってみたらどうじゃ。病院にいたら記録が残っているはずじゃろう」

「あら、あんたにしてはいい案じゃない」

「もっと率直に褒めて欲しいもんじゃの」


 ギムレット夫妻は目を合わせて笑っている。


「俺も案に賛成だ。幼い頃のイーリスの動向を追えばどこかでばあちゃんの正体に辿り着く。正体が分かれば居場所も推測できるかもしれない」

「…そうですね。病院に行ってみましょう」


 次なる目標が出来た事でイーリスの行く先に道が出来た。

 アデリナがおばあちゃんでなかったという事実を知り、バラバラに砕けてしまった彼女の道が再構築されていく。

 イーリスは胸の前で手を握った。


「どんな理由であれ、おばあちゃんが私をここまで育ててくれたのは事実です。全てが偽りだったとしても、感謝の気持ちは変わりません。でも、真実を知りたい…おばあちゃんと会って話しをしたい…」


 言葉を切ったイーリスは深々と頭を下げる。


「皆さん、改めて協力をよろしくお願いします」

「任せてくれ。ここでの人脈には自信があるでの」


 ギムレット夫妻が朗らかに笑む。ソルは頷いた。


 顔を上げたイーリスの夜明けの瞳には眩しいまでの強い決意があった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。