86、鍛冶屋
街灯が灯る人通りの少ない路地をソルとイーリスが歩いていた。二人の間には長く重い沈黙が流れている。
アンリとの会話後からイーリスは魂が抜けたように空虚な顔となっていた。無理もない事だ。
情報屋でおばあちゃんの行方を得られなかったばかりか、当のおばあちゃんはどういう訳か亡くなっていた。
イーリスはそこで初めておばあちゃんはがアデリナでなかった事を知った。信じていた者から長年偽られていたという事実はそう簡単に受け止められるものではない。
この急な展開にはソルまでも動揺していた。
(俺たちが探しているのは誰なんだ)
目の見えない彼女を騙しておばあちゃんを装う事は難しくないだろう。特に彼女は幼い頃の記憶が曖昧だ。
問題は何故そのような事をしたかと言うことだ。何か明確な目的がなければ、他人を装う事などしないだろう。
いくら考えても会ったことのない人物の行動原理など分かるはずもない。
ソルは思考を止めると、ふらふらと歩くイーリスの手を引いて十字路を右に曲がる。
彼は当てもなく歩いているのではない。しっかりとした目的地がある。
路地を真っ直ぐ進むと大きめの通りに出た。ここにはまだ多くの人が行き交っている。中央通りよりも小ぢんまりとした建物が並んでいた。飲食店や露店からいい香りが流れてくるが我慢する。
イーリスのフードからそわそわした様子のアビィが顔を出す。さっき自分の体程のパンを食べたのにも関わらず、もう次の食事を狙っているようだ。
通り沿いを南に進んで行くと小さな菓子屋があった。本日は営業を終了しており、扉は閉まっていた。
菓子屋の横の路地に入ると鍛冶屋の看板が見えた。剣と槌が交差した印が描かれた看板は一部割れている。
僅かに開いた扉からは内部の灯りが漏れている。
ソルは扉を開け、中に入った。狭い店内には武具がぎっしりと並んでいた。鉄と油の匂いがする。
店内には誰もいなかった。カウンターには呼び鈴が置いてある。
ソルは呼び鈴を鳴らした。可愛らしい鈴の音が響く。
すると、カウンターの奥の扉が開いた。髭面の初老の男が出てくる。
「今日はもう店仕舞いじゃ。依頼ならまた明日来な」
そう言った男が来訪者に目をやる。途端に驚愕の表情となる。
「あんたらは…!」
「この前は世話になったな」
ソルの言葉に男は破顔した。
「いやーよく来たな!こんなに早く再開できるとは思っとらんかったぞ」
彼はセレスタまでの道中で同行したギムレットであった。
ソルはパン屋から立ち去る時にアンリからこの鍛冶屋の場所を聞いていたのだ。以前、ギムレットが王都の南に住んでいると言っていたのを覚えていた。孤児院が南の区画だったので近いのではとアンリに聞いてみたが、その通りであった。
男は煤で汚れた手を手近にあったボロ布で拭うとカウンターに手をついた。
「あんたらのおかげで依頼に間に合ったぞい。懐も温かくなったわい」
上機嫌なギムレットは満面の笑みを浮かべていた。だが、抜け殻のようなイーリスの様子に気づくと神妙な面持ちとなる。
「ありゃ、嬢ちゃんどうしちまったんだ?体調悪いのか?」
「あ、あぁ今日はいろいろ問題があってな。それでギムレットに聞きたい事があるんだ」
歯切れの悪いソルの言葉にギムレットは何かを察した。
「はーん。のっぴきならねぇ事情のようだな。いいぜ。協力するぞ。何でも言ってみろ」
太い拳で胸を叩きソルに笑いかける。
「王都に住んでいる者としての情報が欲しい。ギムレットはここに住んで長いんだろう?」
「おう。生まれも育ちもここじゃ。して、どんな情報が欲しいのかの」
「近くにある孤児院の事だ」
ソルは少しでも新たな情報を収集する為に、王都で唯一の知り合いであるギムレットを訪ねていた。何か一つでもおばあちゃんの事に関係する事象を集めたかったのだ。
「ばあさんが一人でやってた孤児院だな。知っとるぞ。じゃが、三ヶ月前にばあさんが亡くなったから孤児院は今はやっとらんぞ。おまえさんたちと何か関係があるのか?」
ギムレットの言葉にも反応を見せないイーリスを横目にソルが答えようとした時、カウンターの奥の扉が開いた。
「ちょっと、あんた、もう夕食にするよ。さっさと店仕舞いを…」
語気強めの声と共に初老の女が入ってきた。癖のある髪を纏めたふくよかな女だった。
女はソルとイーリスに目を留めると、打って変わって柔らかい口調になる。
「あら、お客さんがいたのかい。邪魔したね」
「客には客じゃが、店の客じゃねぇ。ほら、話したろ。街道で護衛してもらった魔術師と盾の二人だ」
ギムレットの紹介にソルは軽く頭を下げる。イーリスは微動だにしない。
女はにっこりと笑うとギムレットの隣に並んだ。
「うちのが世話になったね。まぁ可愛らしいお嬢さんだこと」
女がイーリスに微笑むも彼女が反応することはなかった。
「すまない、今彼女は精神的に参っている状態で…」
「あら、そうなの。それなら休ませなくちゃ。宿がまだならうちに泊まって行きなさいよ」
「そうだな。泊まってけよ。飯でも食いながら話しようや」
ギムレットはカウンターを上げると、返答に迷っているソルと無表情のイーリスの手を掴み奥の部屋へと引っ張って行った。
ソルは戸惑いつつもギムレットに問うた。
「いいのか?」
「いいって。嬢ちゃんがこんな様子なら相当な出来事があったんだろ?落ち着くまで居ていいからな」
「すまない」
ソルは感謝しつつギムレットの好意に甘えることにした。
奥の部屋は台所と居間になっていた。先に戻っていた女が食事の準備をしている。
ギムレットが椅子を引いて二人を強制的に座らせる。四人掛けのテーブルには女が次々と料理を並べていく。さして広くないテーブルが食器で埋まる。
ギムレットも席につき、店や家族の事などを話す。
女はギムレットの妻でマーガレットという。表の菓子屋を営んでる。家計の足しになればと始めた店だったが、思いの外繁盛し今や立派な収入源になっているとのことだ。
菓子屋と鍛冶屋は繋がっており、行き来が自由にできるようになっていた。
鍛冶屋の工房は裏手にあり基本的にギムレットはそこに篭って作業に勤しんでいる。
配膳を終えたマーガレットが席についた。
「さぁさぁ食べましょ。簡単なものしかないけど遠慮せず食べてね」
「かあちゃんの料理はうめぇぞ」
食卓を囲んで食事が始まる。肉団子と根菜、芋を煮込んだものにパンと季節の果物が並んでいた。
肉団子には刻んだ野菜とハーブが入っており、食感と香りが良い。味付けはシンプルであるが美味い。
ソルは食事を進めながらイーリスの様子を窺うが、彼女は料理に手をつける気配がない。代わりにフードから飛び出したアビィがイーリスの膝の上で鼻息荒くちょろちょろしていた。
ソルはアビィにちぎったパンを与える。
「変わったネズミだね」
「彼女の家族だ。こう見えて大食漢なんだ」
マーガレットはパンを齧るアビィを興味深そうに見ていた。そして、座したままのイーリスへ視線を上げる。
「イーリス、だったっけ。彼女は大丈夫なのかい?」
余りにも反応がないイーリスを見たマーガレットは心配の表情となっていた。
これにはソルも大丈夫だとは言えなかった。
「そうじゃ。何があったのか教えてくれんか」
パンを嚥下したギムレットがソルに視線を送る。
「事情が分かれば情報以外にも何か助けられるかもしれん」
「そうだな…」
イーリスを一瞥したソルは王都に来た経緯と情報屋、孤児院であった事を説明した。イーリスがおばあちゃんだと信じてきた人物がアデリナでなかった事も。
ギムレット夫妻は話を聞いている内に深刻な表情となっていく。
「ばあさん探していると言っていたのは覚えとるが、これまたえらい拗れとるの」
「おばあさんは誰なのかしらね」
食事の手を止めた二人は孤児院の事で知っている事を話し始めた。
「アデリナさんが孤児院を始めたのはもう五十年くらい前ね。獣憑きの事件で家族を亡くして一人になってしまったのがきっかけで始めたみたいね」
「それからはずっと孤児院で子供たちと暮らしておったようじゃ。イーリスは何年前まで孤児院におったのかの」
五十年前の獣憑きの事件と聞いてソルの体が強張る。ルーディは言っていた事件の事だろう。
今はその事は問題ではない。ソルはイーリスが話していたことを思い返す。
「確か、幼い頃までいたと聞いた。十年前くらいだろうか」
「その後自称おばあちゃんに引き取られたのかの」
「孤児院近くのパン屋の店主はイーリスは里子に出されたと言っていた。引き取って育てたのがばあちゃんなんだろうな」
「どうしてアデリナさんと偽ったのかしら」
「そんなの本人にしか分からんぞい」
「里親になった人の名前とか記録に残ってないかしらね」
マーガレットの言葉にソルは一筋の光明を見た。
「もしかしたら孤児院に残っているかもしれない。記録があれば素性が知れる」
「おぉ、それは良い案じゃ」
まだ孤児院の内部は確認できてない。当時の記録が残されている可能性はある。これは調べる価値がありそうだ。
希望が見えてきた時、食器が倒れる音がした。音の発生源はアビィだった。いつの間にかテーブルによじ登っていた鼠は、イーリスの食器を倒して中の肉団子に齧り付いていた。
まだ熱い煮汁がテーブルからイーリスの膝に溢れている。
「まぁ、大変!」
布巾を持ったマーガレットが急いでイーリスの服を拭った。
「熱かったでしょう。火傷する程ではないけど、一応冷やしましょう」
心配するマーガレットをよそにアビィは一心不乱に食べている。
ソルはアビィの額を軽く指で弾いて、傾いた食器を下に戻した。
「こら、おまえ何てことしてんだ」
アビィは弾かれても動じずに食事を続けている。
「食べ物への執着が凄いの」
ギムレットは呆れ顔だ。
服を拭かれているイーリスの目に急に意思の光が宿った。閉じられていた口が緩慢に動く。
「熱い…あの時もとても熱かった…肌を焼くような熱気…植物が、生き物が焼ける臭い…」
川のせせらぎのような静かな声だった。
「イーリス、大丈夫か?」
ようやく反応を見せたイーリスに一同は安堵した。ソルは彼女の肩に手を置く。
イーリスはゆっくりとソルの方へと顔を向けた。
「ソルさん、また少し思い出しました」
「そうか、良かったな」
無表情だったイーリスが少しだけ微笑んだ。
「やっと笑ったな!いやー心配したぞい!」
ギムレットがガハハと笑う。その声を聞いたイーリスは驚いていた。
「え、もしかしてギムレットさんですか?」
「そうじゃ。覚えておってくれたかい」
「どうしてここに?…というか、あれ、ここはどこですか?」
イーリスは今まで寝ていたのかと思うような反応を見せた。
ソルは苦笑した。だが、彼女のそんな言動が無性に嬉しかった。イーリスの心が戻って来たのだ。




