81、次の目的地
騎士団の詰所には一区の騎士団員が忙しなく出入りしていた。その中にヒースの姿を探すが、見当たらなかった。
収容所は詰所の内部を通らないと行けない造りになっている。詰所が見えるこの辺りで待っていればヒースと会えるだろう。
詰所近くの街路樹の下に休憩用に長椅子があった。そこで座って待つ事にする。
ソルは手に持っていた二つの包みの内一つをイーリスに渡した。これは来る途中に露天で買った昼食だった。
包みを開けているとイーリスのフードからアビィが顔を出した。食べ物の気配に敏感である。イーリスの肩から膝の上に跳んで着地した。
包みの中から出てきたのは焼いた魚と新鮮な野菜が挟まれたパンであった。
イーリスはパンをちぎってアビィに渡した。アビィは爆速でパンを齧っていく。
ソルもパンを口に入れる。淡白な白身魚だが、濃いめに塩を振ってあるので味が野菜やパンに埋もれていない。爽やかな柑橘系のバターソースとサクサクとした小エビの素揚げが全体の味を一段上げていた。
隣ではイーリスが目を輝かせながらパンに齧り付いている。顔から美味しさが滲み出ていた。
「やっとお魚食べられました」
「二日前から言ってたもんな」
軽食であるが、立派な魚料理である。しかも美味。イーリスは満足気に食べ進めている。
早くも食べ終えたソルは口の周りを指で拭きながら詰所の出入り口を眺めていた。まだヒースが出てくる様子はない。
ソルは咀嚼を続けるイーリスに、抱いていた疑問を投げかけた。
「イーリスは何であの森に住んでいたんだ?」
イーリスはパンを嚥下すると首を傾げた。
「何ででしょうね」
「え?」
予想外の返答にソルは間の抜けた声を上げていた。
「ずっと住んでいたんであの森に居るのが当たり前だと思っていました」
「生まれた時からあの森に居たのか?」
「いえ、どこで生まれたのかは分からないですけど、小さい頃は孤児院に居ました。場所はもう覚えていないですけど。森に行ったのは目が見えなくなってからですね」
「孤児院育ちだったのか」
イーリスの新たな個人情報にソルは驚いた。
「ばあちゃんは?ずっと一緒だったんじゃなかったのか」
「ずっと一緒ですよ。おばあちゃんは孤児院の先生でしたから」
「ばあちゃんとは血は繋がっていないんだな」
「そうです。でも私にとっては本物のおばあちゃんです。だって、ずっと育ててくれたから…」
イーリスはおばあちゃんを思いつつパンを口に入れる。
血の繋がらない孤児を育てるおばあちゃんは人格者だったのだろうとソルは思った。
「どうして孤児院から森へ行ったんだろうな」
「うーん、その頃は記憶が曖昧なんですよね。病気になって辛い思いをして光を失った事しか覚えていません」
「そうか」
急に視力を失うのは幼い子供には辛い出来事だったたはず。いや、大人だとしても視力を失うのは恐ろしい。辛い時期だったのだ。他のことは覚えていなくとも何ら不思議ではない。
「そう言えば、ばあちゃんの名は何だ?」
「アデリナです。凄く久しぶりに名前を言った気がします」
ソルはもう一つ気になっていた事を聞いてみた。
「ばあちゃんは何で顔を隠してるんだろうな」
「それは、多分顔に怪我の痕があるからだと思います。私が病気になった時と同じくらいに不注意で怪我をしてしまったと聞いています」
「そうだったのか」
イーリスは最後の一口を頬張った。彼女の口のサイズよりもやや大きいのでリスみたいに頬を膨らませている。これは飲み込むのが大変そうだ。
ソルはイーリスに一声かけると、近くの露天で葡萄の果実水を購入した。木製の杯には濃い紫の液体が並々と入っていた。
まだ口をもぐもぐさせているイーリスに杯を渡すと、彼女はゆっくりと果実水に口をつけた。喉が上下に動き嚥下していく。
そして、その動きは止まらない。イーリスは杯の果実水を一気飲みしていた。飲み終えると大きく息を吐く。
「ふー。これ凄く美味しいですね。甘いけどさっぱりしています」
至福の表情のイーリスの顎には口角から伝った紫の雫がついていた。こういうところは非常に子供っぽい。
ソルは反射的にイーリスの顎を人差し指で拭った。幼い頃、彼が弟にしていた仕草だった。
イーリスは拭われた顎に指先をポンポンと当てると、汚れていた事を察し鞄から小さな手拭いを出して口周りに当てた。
「すいません、汚してしまいましたか?」
「いや、滴を取っただけだ。気にするな」
ソルはイーリスから杯を受け取り露天に返却しようと振り返った。
すると、そこには怪訝な表情のヒースが立っていた。彼の接近に気づいていなかったソルは一瞬動きを止めた。
「いつの間に来ていたんだ」
「ついさっきです。お二人がカップルみたいにいちゃついていた時からですね」
「いちゃついてない」
ソルの否定の言葉をヒースは疑わし気に一蹴する。
「いーや、してましたね。何か距離近いですし。今朝僕が見たのは誤解でなかったのでは?」
「あれは間違いなく誤解だ」
「えー、魔術師と盾が男女の組み合わせの時は訳半数がデキてるって言いますよ」
「何の話だ」
ヒースはソルに向ける疑いの眼差しを崩さない。そこへ杖を持ったイーリスが割り込んでくる。
「ヒースさん、目撃証言はありましたか?」
「え、あ、はい」
イーリスの顔を見て冷静になったヒースはコホンと咳払いをした。
「すいません。寝不足で、つい突っかかってしまいました」
彼は疲労感のある顔で話し始めた。
「何人かおばあさまを見たという団員がいました」
イーリスの目が輝いた。
「船着場を警邏していた者なのですが、誤って川に落ちた民間人を助けていたのを見たそうです。水を操ってあっという間に助けていたので団員が手を貸すまでもなかったとか」
「流石魔術師だな」
「えぇ、そしておばあさまは王都行きの船に乗ったそうです」
「王都ですか」
イーリスは胸の前で拳を作った。
「行きましょう」
ソル即座に頷く。今にも駆け出しそうなイーリスを止め、背嚢から残しておいた蔦蛞蝓の実を取り出した。ヒースの手を掴み、彼の手にのせる。
「仕事で忙しいのに世話になった礼だ。受け取ってくれ」
「これは…」
「今貴族に人気の果実だ。美味いし高く売れるぞ」
礼は何がいいかとイーリスと考えた結果だった。手持ちで一番喜ばれそうな物はこれしかない。
まじまじと紅い果実を観察していたヒースはソルの説明で目を見開いた。
「聞いたことがあります。こんな貴重な物をありがとうございます」
ヒースは喜びに顔を綻ばせると果実を両手に抱いた。ここまで喜ばれるとソルも嬉しかった。
ソルに襟首を掴まれているイーリスはハッとしたようにヒースに向き直った。
「ヒースさん、色々とありがとうございました」
「あ、いえ、お役に立てて良かったです。王都へ行くなら、定期船より個人の船の方が早いですよ。少し割高になりますが」
イーリスの目が光った。
「ソルさん、お金は十分ありますよね。個人船を探しましょう」
「そうだな」
ヒースは別れる前に船着場の場所を教えてくれた。西門から出ると近いらしい。
ソルは杯を店に返却すると、船着場に行く前に馬屋へ寄る事を提案した。預けていた馬の管理期間の延長を申し込む為だ。船に馬は乗せられない。
王都の滞在期間は不明。長期に渡る可能性もある。一応前金を多めに渡しておかないといけない。
これには急いでいるイーリスも同意した。
二人は詰所近くにある馬屋に行くと管理人に事情を伝え、前金を払った。
ソルとイーリスは中央の通りに戻り、西門から外に出た。門から続く道は緩やかな下り坂になっており、下方には切り立った渓谷を流れる川が少しだけ見えている。
歩くイーリスの歩調がどんどん早まる。気が急いでいるようだ。下り坂なので勢いで転ばないようソルはまた彼女の襟首を掴んだ。
葡萄の段々畑に囲まれた道を延々と下っていくと船着場に着いた。
船着場には商人や旅人といった風体の人々が船乗りたちと交渉していた。
今この船着場には、見える範囲で六艘の船が係留されている。どの船も十人乗り程の大きさで造りは然程変わらない。
ソルはどの船に乗せてもらうか考える。
(船が変わらないのであれば、船頭次第だな)
船頭の男たちを順に目で追っていく。すると、見た事のあるボサボサの赤毛頭が目に入った。
大荷物を背負ったその人物は一人の船頭と乗船金額の交渉をしていた。
「もう少し!そこをもう少しマケて!」
「それは無理だな。俺の船は速さが売りなんだ。これ以上はマケらんねぇ。嫌なら他の船に乗んな」
船頭の速いと言う言葉に惹かれたソルは交渉の輪に入った。
「他の船より速いのか?」
「あん?もちろんだ。俺の船は特別だからな」
船頭の男は自慢気に自分の分厚い胸板を叩いた。その正面にいた赤毛頭が乱入者に気づく。
「あー!あの時のおにいさん!」
分厚い眼鏡の下で目を丸くさせているこの人物は、セレスタでゴミに扮装していた商人の女だった。
「また会うとはな。あんたも王都へ行くのか?」
「んーん、あたしはもっと河口の街まで行くんだ」
商人はソルの後ろに立つイーリスに目を止めた。
「やっ、これは可愛らしい魔術師さん。あなた盾だったのね」
「まぁそんなところだ」
イーリスはソルと商人のやり取りをキョトンとした顔で聞いていた。商人はイーリスの前に立つとにっこり笑った。
「あたしはルアン、旅商人してるんだ。よろしくね」
「イーリスといいます。ソルさんの知り合いですか?」
「知り合いって言うか、お客さん。前にあたしの商品買ってくれたんだ」
ルアンはイーリスの手を握るとぶんぶんと縦に振った。そして、ついでと言わんばかりにソルの手も握った。
仮にも客に対して失礼ではないかとソルは思ったが面倒なので口には出さない。
「おーい、で、乗るのか乗らねぇのかはっきりしてくれ。乗船してる客が待ってんだ」
待たされている船頭が不機嫌な声を上げる。
「ごめん、ごめん。乗るよー」
ルアンがごそごそと懐から小汚い皮袋を出す。ソルも腰の小物入れから小さな皮袋を出した。
「俺たちも乗せてくれ」
「いいぜ。一人銀貨十枚な。」
「高いな」
「お高い魔道具使った船だからな。これでも安い方だぜ」
ソルはルアンかマケろと言っていた気持ちが分かった。だが、イーリスの事を思うと速いこの船に乗った方が良い。
ソルは足りない銀貨を背嚢から出し船頭に渡した。
「よし、あの右から二番目の船だ。適当に乗っててくれ」
ソルとイーリスは船頭の指す船に乗った。船には既に五人の乗船客がいた。二人は船尾の方に腰を下ろす。
遅れてルアンも乗船してきた。彼女はイーリスの正面に座った。上機嫌な笑みで大きな荷物を下ろすと、中身を出し始めた。
ソルは嫌な予感がした。
「イーリスちゃん、面白い道具があるから見せてあげる」
イーリスは興味を持ってしまったようでルアンの声にじっと耳を傾けている。
「これは遥か東の国の呪具でね、呪いたい相手の髪をこれに入れて…あれ、どうするんだっけ。あー、確か夜中にギロチンにかけるんだったような」
不穏な言葉を並べるルアンが持つのは、藁を人の形に撚り合わせてある人形だった。
「何かそんな感じで相手を呪える便利アイテムだよ」
「呪術的なアレですか?呪術系は行程や代償が凄いので難しいと本に書いてありました。それをそんなに簡単に使えてしまう道具なら気になりますね」
「でしょー。そんな便利アイテムを今なら超割安で買えちゃうよ。今しかないよ」
ルアンは清々しいまでの笑顔でイーリスの購買意欲を唆る言葉を吐いていく。イーリスは興味深々となってしまっている。
ソルは苦い顔をしていた。
「ソルさん、買いましょう。凄い道具ですよ」
「そうそう、今ならなんと一つの値段でもう一個ついてくる!」
「わぁ、すごーい!」
盛り上がるイーリスとルアンを冷めた目で見ながらソルは口を開いた。
「ちなみにそれはいくらなんだ」
「金貨三枚」
「高過ぎる!」
ソルは藁人形を受け取ろうとするイーリスの手を止めた。
「効果の程が怪しい品には手を出すな。ガラクタを売りつける奴も世の中にはいるんだ」
「ちょっとその言い草は酷くない?」
ルアンが口を尖らせている。
「あたしは本物しか扱ってないの」
「ソルさん、ルアンさんを信じてみませんか?」
イーリスはすっかりルアン寄りになってしまっている。金より好奇心を満たす事の方が彼女にとっては大事らしい。
「例え本物だとしても、その金額は払えない。イーリス、収入があったからと言って無駄遣いは良くない。それに買うならもっとまともな物を買うべきだ」
ソルはイーリスを諭す。しかし、彼女は納得していない顔をしている。
「ほら、おばあちゃんにもしもの事があって金が必要になったら困るだろ?なにが起こるか分からないんだから金は多めに持っておいた方がいい」
「…確かに、そうですね」
理性的になったイーリスは手を引っ込めた。
「すいません、ルアンさん。そう言う事で今回は買えません」
「ちぇ、しょうがないね。それなら、別の…」
藁人形を下げたルアンが荷物から別の道具を取り出そうとする。ソルは素早く彼女の行動を阻止した。
「もう余計な物を出すな」
「えー、これがあたしの商売だしー」
ルアンは世間知らずなイーリスをカモにしている節がある。路銀を減らしたくないソルはこれ以上変な道具を出さないで欲しかった。
荷物に手を突っ込むルアンと彼女の腕を握るソルの間に無言の圧力が発生した。
その時、船頭が一人の客を連れて船に乗って来た。
「よーし、じゃあ出発するぞ。揺れるからしっかり掴まってろよ」
船尾の縁に座った船頭は係留していた縄を外した。
ルアンは渋々といった様子で道具を出すのを止めた。ソルも手を離しイーリスの隣に座り直す。
船はするすると川の流れに沿って動き始めた。船頭が船尾から飛び出ている櫂のような物を左右に動かすと船の向きが変わる。
船は船着場から深い緑の大河へと合流した。




