79、騎士の期待
準備を終えたソルとイーリスは部屋を出た。ソルは背嚢を担ぎ、修復されたフードを被っていた。フードは破れてボロボロだったのが嘘のように綺麗になっていた。若干布の色味が違う部分が修復された部位なのだろう。僅かな差異は近くで見ないと分からない程度なので問題ない。
穴だらけの服も仕立て直されて新品同様となっている。それはイーリスの服も同じであった。彼女は部屋を出る前に、綺麗になった服を嬉しそうな顔で丁寧に鞄に仕舞っていた。
鞄を斜め掛けにしたイーリスは軽い足取りで廊下を歩いている。
階段を降り、民間や騎士団の患者が列をなす診察室の前を通る。医師や看護婦とすれ違い、エントランスを抜けて外に出た。
晴れて自由の身となったソルは何とも言えない開放感に浸っていた。一つ大きな伸びをする。
たった一日程の入院であったがソルには長く感じられていた。何もせず横になる事は彼の性に合っていなかったようだ。
治療と休息は彼の体を回復させた。死にかけていた時の事が遠い昔に思える。
ソルは改めてルーディとハンナに感謝すると歩みを再開させた。
狭い中庭を進むと前方から二人の人物が診療所の敷地に入って来た。フル装備で団長モードのアレクシスと武装した見知らぬ人物であった。
「貴殿ら、丁度良い。昨夜捕縛した者から得た情報を伝えたい」
圧を放つアレクシスは親指で離れた植え込みの木陰を指した。
ソルとイーリスはアレクシスらに付いて木陰へ行く。ここは中央通路や診療所から離れており誰もいない。
振り返ったアレクシスは表情を軟化させた。
「ソルちゃん退院おめでとう〜。昨日はありがとね♡」
アレクシスの声量はいつもより落とされていた。
「重ねて言うが礼を言うのはこちらだ。これで俺たちが狙われる事が無くなった」
「いいのよ〜。で、情報なんだけどね、その前にちょっと紹介していいかしら」
アレクシスは彼の隣の人物の両肩に手を置いた。その人物は無精髭を蓄えた四十代程の男で、錫色の長髪を無造作に束ねていた。薄水色の瞳は武装に似合わない柔和な光を帯びている。腰には二振りの剣。どちらもかなり使い込まれていた。
「これから二区の騎士団長になる予定のジークハルトさんでーす」
アレクシスの軽い紹介にジークハルトは人の良い笑みで頷いた。顎の無精髭を撫でながらソルとイーリスに握手を求める。
「やぁ、ジークハルトだ。君たちがソルとイーリスだね。話は彼から聞いているよ。あの獣憑きを倒し影の魔術師を退けたんだってね。才能ある若者が活躍しているのは喜ばしい事だ」
ジークハルトはにこやかにソルとイーリスの手を握っていった。
褒められ慣れていないソルは戸惑いの表情。イーリスは照れたようにはにかんでいる。
「研鑽を怠らず、是非その力を正しい事に使って欲しい」
春の暖かい日差しを彷彿とさせる優しい笑みと声だった。その容貌と雰囲気から武に身を置く騎士団長という肩書きからは果てしなく遠く感じられた。どちらかと言うと庭で動物に囲まれて穏やかに暮らしている方が似合っている。
ジークハルトは言い終えると軽く一礼し去って行った。
診療所の敷地から出るジークハルトの背を目で追いながらソルは疑問を漏らした。
「新しい団長殿はどうして態々俺たちに挨拶しに来たんだ?」
「それは彼があなたたちに会いたがっていたからよ。娼館での事を話したら直接会いたいって。彼はね、才能ありそうな若者がいると直ぐ目を付けたがるんだから」
アレクシスは片目を瞑った。
「凄く優しそうな方でしたね」
「昔はとんがってたけど今は丸くなったわね。でも根本は変わってないわ」
イーリスは柔らかな声の主のとがった姿とやらを想像しようとしたができなかった。
「団長になる程の人物なら相当強いのだろうな」
「私の剣の師匠だもの。強いわよ」
「師匠なのか…!」
ソルはアレクシスの剣技を思い起こして感嘆した。剣を一振りしただけ。しかもはっきりと見ていないが彼の動きは研鑽を積んだ熟練者のものであった。そのアレクシスの師匠となるとかなりの猛者である事が窺える。
「俺もまだまだだな。見かけだけで判断していた」
「あー、師匠に関してはしょうがないわよ。剣を抜かなければ武のカケラもないんだもの」
苦笑したアレクシスは本題を切り出した。
「で、ここからはあの暗ーい外套男から引き出した情報よ」
まず、外套男であるオットーは王都を中心とする裏社会の一角の手先であった。オットーはソルが偶然にも拾ってしまった白木蓮の結晶を奪取する為に裏で暗躍していた。
これは先にアレクシスが想像していた通りであった。
では、何故あんな所に貴重な白木蓮の結晶があったのか。それはエルネスティーネたちも関わる事であった。
セレスタでエルネスティーネが捕らえた盗人の男が白木蓮の結晶の運び屋だったのだ。
白木蓮の売人に取引場所に指定されたのがセレスタ。取引後に運び屋がいつもの癖でスリをしてしまい、その場に居合わせたエルネスティーネに捕縛された。結晶は捕縛の際に運び屋の懐から転がってしまったのだと考えられる。
騎士団の収容所で白木蓮がなくなっている事に気づいた運び屋が賄賂を使って王都に連絡し、オットーが派遣された。
セレスタ中を犬を使って捜索したが白木蓮は見つからず。
人の手により持ち出されたと考えたオットーは、運び屋が捕縛された際近くに居合わせたソルとイーリス、エルネスティーネたちに狙いを定め追跡した。
まずは可能性の高そうなエルネスティーネたちを捕まえたが、彼女らは持っていなかった。
そして、次に来たソルに犬がはっきりと反応した為持っていると確信した。それからはオットーの仕組んだ罠でソルとイーリスはそれぞれ囚われてしまった。
「あの盗人は運び屋だったのか」
「間接的に私のパンを落とした人ですね」
ソルはカイに担がれた男を、イーリスは自分の手からこぼれ落ちたパンを思い出していた。
「程度の低い運び屋を雇ったのが奴らの失態ね」
冷笑したアレクシスは腕を組み、顔をソルとイーリスに近づけた。オフの状態にしては真剣な眼差しだ。
「一つ、あなたたちにとってはイヤーな情報があるのよ」
「何だ」
ソルの表情も固くなる。イーリスの表情に変化はない。
「オットーは逐一状況を上に報告していたみたいなの。だから奴の所属する組織にはあなたたちの事を詳細に把握されている可能性があるわ」
「それはご丁寧に。厄介だな」
「組織の主戦力である獣憑きと魔術師を退けたあなたたちは目をつけられているでしょうね」
不安要素が一つ解決してもまた一つ増えてしまう。ソルは自分の運の無さに、乾いた笑いしか出なかった。
「もうほっといて欲しいものだ」
「裏の人たちはねちっこいから無理でしょうねー」
アレクシスの蒼穹の瞳には憐憫の情が見える。真剣に憐れまれると、不吉な予感しかしない。
「まぁ、娼館で暴れまくったあなたたちなら大丈夫よ。その調子で裏を潰してってくれたら助かるわ〜」
ソルとしてはそのような展開は断固として拒否したいところだった。だが、彼女は違った。
「降りかかる火の粉は払うまでです。いつでも相手をしてあげますよ」
「イーリス?」
「こちらはだいぶ理不尽な目にあってますからね。あちらが来るならば、それこそ理不尽なまでに叩きのめしてあげましょう」
「えーと、イーリス、さん?」
黒魔女が見え隠れする彼女からは今までにない好戦的な圧が放たれていた。困惑したソルはイーリスを宥めようと声をかける。
「裏社会との対立はおばあちゃん探しの障害になるぞ?」
「対立しようがしまいが、どうせああいう人たちは障害にしかならないでしょう。それならば完膚なきまでに潰すしかありません」
ここ数日で人の悪意にさらされ続けてきたイーリスの意思は固かった。ソルは思わず顔を手で覆っていた。
「あらー、イーリスちゃんとても頼もしいわ。でも無茶は禁物よ」
アレクシスは面白そうに目を細める。彼はイーリスの手を取ると、どこからともなく取り出した黄金の魔石の欠片をのせた。
「これは餞別よ」
「これって」
イーリスはこの魔石を知っていた。
「館で使った杖の魔石ですね」
「そうよ。杖を使ったなら分かると思うけどこの魔石は超高性能なの。欠片でも杖の強化になるし、売っても高値がつくわよ」
アレクシスが言うにはあの杖は何年も前に王宮から盗まれたものだと。杖は売られ流されあの館に調度品として飾られていたようだ。
「杖と残りの魔石は王宮に返還するけど、欠片くらいならバレないでしょうからもらって♡」
秘密よ、とアレクシスは片目を瞑った。
イーリスは手の中の魔石の感触を確かめるとそっと鞄に仕舞った。
「アレクシスさん、何から何までありがとうございます」
「いいのよ〜。いっぱい活躍して私を楽させてちょうだいね」
アレクシスは悪戯っぽく笑うと、診療所に敷地に入ってきた騎士団員を見つけ厳格な騎士の顔となった。
「私は職務に戻る。これから罪人を王都まで護送するのでな。貴殿らの武運を祈る」
低い芯の通った声の余韻を残してアレクシスは去って行った。
急な人格変換に未だ慣れないソルは無言で騎士の背中を見送った。
「良いものをもらいました。アレクシスさんの期待に沿えるように頑張りましょう」
「本来の目的から逸れるなよ」
「もちろん、それは分かっています。おばあちゃんが第一ですから。でも、次襲われたら容赦なく潰しに行きます」
「うーん」
面倒事と関わりたくないソルは曖昧に頷いた。
イーリスは今回の事件を相当根に持っているようだ。騙され娼館の商品になるところだったので当然と言えば当然であるが、彼女の秘めた闘志は今後トラブルの種になりそうである。
ソルはフードの下で苦い顔をしていた。イーリスがそれに気づく事はない。




