78、医師
「さっきは勘違いしてすいません」
誤解が解け、気まずそうに笑うヒース。
彼はソルたちが朝食を終えた頃にやって来た。快活そうな青年は前髪に寝癖をつけ、目の下にはクマを作っていた。
よく見ると額に薄っすら二本の赤い線が横断していた。線は甲冑の腕の手甲の継ぎ目と一致している。兜をしていないので彼の寝不足具合が一目瞭然だった。
恐らく夜通し調査をしていてくれたのだろう。
「それで、昨日頼まれた調査の件ですが、イーリスさんのおばあさまが巻き込まれたような事件の記述はありませんでした」
ヒースの報告を受けて、寝台に座るイーリスが安堵の息をつく。
「よかった…ヒースさん、ありがとうございました」
イーリスが頭を下げるとヒースは照れたように笑った。
「意外にも二区の奴ら、記録はしっかり残していたので助かりました」
「事務仕事は真面目にしていたのか」
「そのようです。見張りで立っているよりも人気な職務だったのかもしれません」
ヒースの揶揄にソルは苦笑した。本当にここの騎士団はお飾りだったようだ。
一方で、裏社会と癒着していたとしても街全体が北区のように悲惨な治安となっていた訳ではない。一応、一般と裏の住み分けはなされていた。グラドールは裏社会への対応をある程度していたと推測される。完全に悪党が野放しではなかったようだ。己の騎士団しとしての体裁は保ちたかったのだろう。
ソルにある考えが浮かんだ。
「この街にいた騎士団は今どうしてるんだ」
「収容所に詰め込まれています。彼らに何か用が?」
「ばあちゃんの目撃情報がないか聞いてみようと思ってな」
ソルの案にイーリスが目を輝かせた。
「いい案ですね。カルラさんのところに行く前に寄りましょう」
そこへ、ヒースが申し訳なさそうに声を挟んだ。
「すいません。収容所は関係者以外立ち入り禁止でして」
イーリスの目から輝きが消え、項垂れる。そんな様子を見たヒースは慌てて声をかけた。
「あの、僕が聞いてきますよ」
イーリスの目に再び光が灯る。
「いいんですか?」
「はい、任せてください」
寝不足の顔に頼もしい笑みが浮かんだ。本当に人の良い青年だ。
「収容所の見張り役を交代してもらえれば聞き取りは容易ですから」
「よろしくお願いします」
イーリスは深々を頭を下げた。ヒースは一礼し軽快な足取りで去って行った。
「助かったな」
「はい。ヒースさんには何かお礼しないとですね」
イーリスは自分の鞄を引っ張り出し探っている。手持ちに礼に値する品があるかは微妙なところだ。
そこへ二人分の足音が近づいて来る。ソルはもうこの足音が誰なのか理解していた。彼は無意識に左脇腹の傷痕に手をあてている。
ソルの予想した通り、部屋に来たのはルーディとハンナだった。
「やあやあ、昨夜は事が問題なく進んで良かったね」
「ハンナさんの協力のおかげです。ありがとうございました」
イーリスの微笑みにハンナは慈母の笑みを返す。
「みなさんのお役に立てて幸いです」
イーリスとハンナが話す横をルーディはつかつかと通り過ぎる。寝台に座るソルの真正面に立つと腕組みをし、斜め上から睨め付けるように彼を見下ろした。
睨まれたソルは目を逸らす。これから言われる事が予想できたのだ。
「きみさぁー、あんま動くなって僕言ったよねぇー」
「…あぁ」
ルーディは目を逸らすソルの視線の先に顔を割り込ませる。闇の深淵の如き暗き瞳が動揺する緑の瞳を覗き込む。
「昨夜さぁー捕縛の為に結構動いたらしいじゃん?」
「…必要最低限にしか動いていない」
「へぇー、必要最低限ってどのくらい?」
「ちょっと壁に張り付いてちょっと跳んだだけ」
気まずそうに話すソル。そう、彼の中ではあれは大した動きではないのだ。ちょっと動いただけ。
しかし、ルーディにはそんな言い訳が通用しない事も薄々分かっていた。
「へぇー、ちょっと壁に張り付く、ねぇー」
ルーディの声に抑揚がなくなった。
「知ってる?壁に張り付くには手足だけでなく体幹の筋肉も大いに使うんだよ。ましてや、その体勢を維持するには結構力が必要だよね。動き自体は少ないかもしれないけど、全身に負荷がかかるよねぇー。もちろん傷にもねぇー」
「…はい」
「そしてちょっと跳んだぁー?跳ぶには瞬間的に全身の筋肉使うよね。力も使いますー。傷に負荷かかりますー」
「…はい」
ルーディの深淵の目が徐々にソルに近づく。ソルはただ返事をする事しかできない。
「僕はねぇー、治療した傷がダメになるのが一番嫌いなんだよぉー」
最後は最早怨嗟の言葉だった。
ソルは昨夜の軽率な自分の行動を後悔した。作戦にあたって傷の具合をアレクシスに確認された際に軽々しく問題ないと言ってしまったのだ。
実際、体は問題なかったが、この医者の変態的なまでの傷の治癒過程からの逸脱に対する拒否反応は問題であった。
朝ばっちり動いていた事がバレたら殺される可能性がある。比喩ではなく割と現実に。
それ程ルーディの放つ威圧感は凄まじかった。動いたという負い目もあるのでソルはただひたすらに耐えるだけである。
「す、すまない…傷に問題はないはずだから…」
ソルの絞り出した声はルーディの深淵の瞳に理性の光を与えた。
「そう、傷だよ。傷。僕は傷の具合を診に来たんだ。説教してる暇はないんだよ」
我に返ったルーディはソルの頭を押さえつけて強引に寝台に倒す。病衣の裾を豪快にたくし上げ包帯に覆われている腹部を露わにした。
ソルは抵抗する事なく手足を投げ出してされるがままになっている。その顔には諦めがあった。
包帯を毟り取られると、左脇腹から斜めに伸びる傷が現れた。
「嘘。もう表面はくっついてる。獣憑きと言えどこれは早過ぎ」
傷を舐めるように観察していたルーディは驚きの声と共に顔を上げた。そして、イーリスと話しているハンナに向けて苦々しく言い放つ。
「ハンナ、彼に治癒魔術を使ったね」
「あら、何のことでしょうか」
ハンナは柔和に微笑み、ルーディの瞳を真っ向から見つめ返す。
ルーディはため息をつくと、寝台のソルに向き直った。
「もう、死ぬ傷以外は自己治癒力に任せろって言ってるのに」
口を尖らせたルーディは腕や脚の傷も確認する。ソルの体から包帯が解かれていく。
「浅い傷は完治しているね。この調子なら退院してもいいよ」
ソルの待ち望んだ言葉が来た。寝台から上半身を起こす。
包帯の山を寝台に纏めるルーディはまだ不服そうだったが、白衣のポケットに手を突っ込むと表情が一転し半月の笑みとなった。
「でさ、医学の発展の為にきみの協力が必要なんだ。もちろん、協力してくれるよね」
「内容による」
ルーディの表情に不吉さを覚えたソルは直ぐには同意しない。
ポケットから出た医師の手には鋭利な刃が握られていた。食事用のナイフに見えるが、それは手術用のメスであった。
ソルの脳裏には人体改造されそうになった記憶が蘇る。
「断る」
「まだ内容言ってないのにー」
メスを光らせたルーディがソルににじり寄る。
「どうせ、ろくでもない事に決まってる」
「酷いなー。大丈夫、怖くないよ。ちょっとちくっとするだけだから」
今にも逃げ出しそうになっているソルにハンナが声をかける。
「これは先生の趣味ではなく本当に医学の為に必要な事なのです。ほんの少しだけ血液をいただけませんか」
警戒していたソルの動きが止まった。
「自己治癒力の高いソルさんの組織を調べる事によって新しい薬や治療の可能性を探りたいのです」
「そうそう、そういうこと」
「先生がきちんと説明しないから断られるんですよ」
うんうんと頷くルーディにハンナの柔らかい非難の矢が刺さる。
ハンナの至極真面目な説明にソルは逃げるのを辞めた。血の提供で人々を救う医学の発展の為になるのであれば断る理由もない。
「そういう事ならば協力しよう」
「そう言ってくれると思っていたよ。ほら、手出して」
ソルが手を差し出すと、ルーディが素早く親指の腹にメスを滑らせた。僅かな痛みの後に赤い血液が玉となり流れ出る。医師は硝子容器に赤い雫を受け止めた。必要量を採取すると、容器に蓋をする。
「協力感謝する。これで治療費はチャラにしてあげるよ」
「それはありがたい」
ソルは親指の傷を山積みになっている包帯の一部で押さえて止血した。思わずして出費を避けられ安堵する。
血液を採取したルーディはご機嫌で踵を返した。
イーリスと何やら魔術の話をしていたハンナも退室しようとしている。
ソルはここを出る前にどうしても二人に聞きたい事があった。
「待ってくれ、最後に聞きたい事があるんだ」
「何?傷のこと?」
振り返ったルーディがソルに疑問の目を向ける。
「いや、違う。えーと、その、だな。」
「何だい?はっきり言ってくれる?」
呼び止めておいて言い淀むソルの態度に、ルーディは疑問から不審なものを見る目へと変化する。
「…どうして獣憑きと分かっても俺を治療してくれたんだ?」
「ん?何言ってんだい?死にそうになって来たんだ。治療するのは当たり前でしょ」
ルーディの顔にはソルの言動は理解不能と刻まれていた。
「…俺の国では獣憑きと分かると治療拒否されることが多かった」
続くソルの言葉でで医師の目に理解の光が灯る。
「そう言うこと。きみガルドラント出身ぽいもんね。相当苦労したようだね」
意外にも優しいルーディの声音にソルは戸惑う。
「きみの国では獣憑きは嫌われ者だろうけど、この国では少し違うのさ」
「何が違うんだ」
「この国の若い世代の殆どは獣憑きと関わった事がないんだ。実際に会った者は王宮関係者以外いないんじゃないかな」
ソルはエルネスティーネを救出した時に彼女が言っていた言葉を思い出した。
「獣憑きは王宮に集められているんだったな」
「おや、知ってたのかい。この国では獣憑きが生まれたら王宮に召し上げる決まりとなっているんだ。だから市中に獣憑きはいない。彼ら、彼女らは一生王宮で暮らすからね」
「幽閉されているのか」
「幽閉、ではないかな。僕も実際見たわけじゃないけど、きちんと衣食住を与えられて王宮の雑務とかに従事してるらしいよ。みんな従順に仕事してるみたい。これは王宮で働いている友人の話ね」
ここで、ソルには当然の疑問が湧いてきた。
「どうしてここではそういう決まりになっているんだ?」
「あーそれはね、五十年前にあった事件がきっかけさ。全部説明すると時間がかかるから割愛するけど、事件の内容は多数の獣憑きの暴走による大規模な無差別殺戮だよ。かなり人が死んだらしいね」
「なっ…」
思わずソルは絶句していた。
「その時、僕のじいちゃんも獣憑きに襲われて死にそうになったけど、別の獣憑きが助けてくれたって言ってたな。まぁ、結局この事件の黒幕は高位の魔術師だったらしいけどね」
「そんな事件があったのか」
「それから当時の王が獣憑きを王宮に集め始めたんだ。他の王族からの反発が凄かったらしいけど。王は目の届くところで管理したかったのかな。詳しく知りたければ書庫で調べて」
王宮には選ばれた王宮近衛の騎士団と宮廷魔術師がいる。王は何かあっても直ぐに鎮圧できる体制にしておきたかったからなのかもしれない。
ソルは慈悲深い王だと思った。そのような事件が起こった後なら獣憑きは全て幽閉、処分されてもおかしくないのに。少なくともガルドラントならそうなるだろう。
「ま、そんな感じで僕ら世代は獣憑きと言われてもあまりピンとこないんだよね。神話とか本の中でだけの話だし。きみが倒した獣憑きが王都で暴れた時は少し話題になったけど。みんなそんなに関心はなさそうだね」
「そんなものなのか」
「そうそう。きみは気にし過ぎ。そんな卑屈にならなくてもいいでしょ」
ルーディの軽い言葉にソルは唸った。
「それに、きみは目が獣なだけだから気づかない人も多いんじゃないかな。あ、でも事件のあった世代の人や事件で家族を亡くした人は今でも獣憑きにいい感情を抱いていないから気をつけた方がいいよ」
それは当然の感情だ。ソルは小さく頷いた。
ルーディはソルに背を向ける。
「僕はどんな人だろうが治療にあたって差別しない。一皮剥けばみんな同じだからね。獣憑きも例外でないよ。怪我したら僕のところへ来るといい」
手をひらひらと振ってルーディは部屋を出て行った。ハンナも一礼して追従する。
イーリスがソルの方を向いた。
「ソルさん、良かったですね。ここではあまり獣憑きの事は気にしなくても大丈夫そうです」
「そのようだな」
彼女の微笑みに釣られ、ソルも笑む。
ルーディの話でエルネスティーネやカイがソルの顔を見ても特段反応しなかった理由が分かった。獣憑きを見た事がない彼女らは目が違うだけのソルを獣憑きと認識していない。シャズのように明らかな身体的特徴がなければ判別に至らないのだ。
ソルの中の不安要素が一つ薄れた。それと同時に変人だと思っていたルーディが見せた僅かな気遣いが少しだけ嬉しかった。




