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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第五章 後始末
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77、夢と記憶

 空が茜色に染まる夕刻。ぼろぼろの塀に囲まれた古い家屋の前で遊んでいる子供がいた。しゃがんで地面に開いた小さな穴を棒でほじくり返している。

 長い黒髪が地面についているがお構いなしだ。穴は徐々に大きくなるが、中からは何も出てこない。

 そこへ、建て付けの悪い門を開けて敷地に入る者があった。錆びた音を聞いた子供は顔を上げる。


 何かを抱いた老婆が子供の元へ歩み寄る。子供は穴掘りを中断して立ち上がった。


「せんせいおかえり。なにかもらってきたの?」


 老婆は深い皺の刻まれた顔に笑みを浮かべると、腕の中のものを子供に見せた。それは安らかに眠る赤子だった。


「あかちゃん?」

「そうだよ。久しぶりの小さい友達さ。イーリスもこれくらいの時にここに来たんだよ」

「わたしもあかちゃんだったの?」

「そうさ。よく泣いて先生を困らせたものだよ」


 イーリスは自分の体を見下ろして赤子をもう一度まじまじと観察する。彼女はこんなに小さい生き物が大きく成長するのが想像できなかった。

 老婆は不思議そうにしているイーリスの頭を撫でた。


「イーリスは何してたんだい?」

「たからものさがししてたの。みつけたらみんなであんりさんのぱんをかいにいくんだ」


 夕日を受けてきらきらと輝くイーリスの瞳からは、子供特有の真剣さが伝わってくる。


「アンリのとこのパンは美味しいからね。宝物が見つかったら私にも買っておくれ」


 老婆がニッと笑うとイーリスが任せて、と胸を叩いた。

 夕刻の鐘が鳴り、冷たい風が通り過ぎていく。赤子がもぞもぞと体を動かした。


「冷えるね。ほら、もう家に入ろう」


 老婆の言葉にイーリスは素直に従う。

 イーリスが老婆に続いて家に入った時、急に世界が暗転した。急な出来事にイーリスは立ちすくむ。


「せんせい?」


 老婆を呼ぶが返事はない。それどころか、何も聞こえない。シンと静まった暗闇の世界に取り残されたイーリスの目に、大粒の涙が盛り上がる。


(こわい!)


 涙が頬を伝い流れ落ちる。

 恐怖心に押し潰されそうになっていると、誰かの声が聞こえた。低い男の声だった。二人分聞こえる。二人は何やら言い争っている。


「これ以上負荷をかけると被験体に更なる障害が発生する可能性があります。中止にしましょう。」

「何を言う!もう悠長に待っている時間などない!」

「ですが」

「黙れ!お前は黙って従えばよいのだ!」


 怒声と共にイーリスの体が焼けるように熱くなる。胸が握り潰されるような痛みも発生した。声なき悲鳴が食いしばった歯の間から漏れる。幼い子供には耐え難い苦痛と恐怖が続く。


(いたい!くるしい!)


 どうして私がこんな目に遭うのか。

 どうして私はこんな暗闇にいるのか。

 どうして誰も助けてくれないのか。

 どうして、どうして、どうして。


 暗闇で苦痛に耐える子供はいつの間にか成長したイーリスになっていた。彼女は両腕を抱き、胎児のように丸まっている。

 体が成長したイーリスから苦痛が薄れていく。それと同時に誰かの腕に抱かれている感覚がした。背中から優しく包まれている。


(おばあちゃん?)


 腕の主が返答する事はない。イーリスは固く閉じられた瞼を開ける。当然の如く何も見えない。

 イーリスは自分を包んでいる腕をそっと握った。すると、その腕は滑らかでおばあちゃんのものではなかった。

 では誰なのだろうか。それは分からない。しかし、不思議と安心する。イーリスは再び目を閉じた。心地よさにに身を任せ温かい闇を漂う。






 暖かい朝日を浴びて、植え込みの白い花が輝いている。花特有の甘い芳香を漂わせていた。

 地面は伸び放題の芝が埋め尽くしている。緑の絨毯の上を病衣を着た人物が歩いていた。赤銅色の髪によく日に焼けた肌。美しい緑の瞳には所々に金が散らばり宝石のようだった。長細い瞳孔は獣のもの。

 ソルは診療所と植え込みの間にいた。両手を広げると診療所の壁か植栽に触れてしまう程の狭い空間であった。診療所の裏手で誰も来ないのだろう。手入れされている様子はなかった。

 冷たい芝の感触が足裏から伝わる。


 ソルは歩みを止めると腰を落とし半身の構えをとった。徒手での戦闘時の構えである。

 引いた右腕を軽く前へ突き出す。連続して左腕も同じ軌跡を辿る。左右の正拳突きの後は左足に重心をかけて右の中段蹴り、回転の勢いをつけてそのまま左の後ろ回し蹴り。途中でつま先が壁や植栽に当たらぬよう軌道修正される。蹴りの終点で静止した左脚はぶれる事なく宙に留まっていた。

 一瞬で終わった一連の動きに、ソルは満足そうな顔になった。脚を下ろすと左脇腹に手をあてる。

 

 昨夜少しだけ体を動かしてしまったが、治癒過程に特に問題はないようだ。昨夜部屋の隅に張り付いていた時はもう少し痛かったが、今はだいぶ回復している。これならルーディの退院許可も出るだろう。

 本来ならば体を動かすのはルーディの許可を得てからの方がいいのだろうが、朝起きたらどうしても調子を確認したくなってしまった。

 こっそり部屋の窓から植え込みの木に飛び移り、人の来ない空間で体の調子を確認していた。


 ソルはまた軽く動きながら昨夜の出来事を思い起こしていた。

 第三者の捕獲と元凶である結晶のこと。

 捕獲にあたってアレクシスの提案した策は実に入念なものだった。第三者が確実に動くよう、ソルの周囲から人を離した。

アレクシスは王都へ戻ったと思わせる為に一度街から出た。イーリスやエルネスティーネたちも診療所から出て宿に行く振りをしている。

 その後、彼らは診療所への物資の荷物に紛れてこっそり帰って来ていた。第三者が来るまではソルの隣の部屋で待機。

 第三者が診療所に侵入して来たら、簡易結界の管理をしているハンナがソルたちに伝える事になっていた。

 アレクシスの睨んだ通り、第三者は見張りの交代時に侵入。ハンナの知らせを受けてカイがソルの身代わりとなり、ソルは部屋の隅に身を潜めた。

 後はイーリスが魔力探知で侵入者を把握し、ソルと捕縛する。エルネスティーネは診療所に強固な結界を築き、万が一侵入者に逃げられたとしても外に出さないようにしていた。

 結果、策は上手くいき第三者は捕縛された。アレクシスが情報を引き出しているだろう。


 元凶である結晶の事だが、奴がここまで執拗に狙うのには理由があった。あれはイーリスにも使われた白木蓮(マグノリア)が凝縮された結晶だったのだ。

 最近出回り始めた新種の薬、白木蓮。その効果から瞬く間に広がった出自不明の薬はアレクシスの悩みの種であった。

 通常、白木蓮は粉状だが、純度を上げて濃縮すると水晶のような結晶になる。結晶状態の白木蓮は効果が倍増するという。当然、結晶は希少なもので非常に市場価値が高い。

 また、結晶の状態だと白木蓮独特の甘い香りが軽減し、周囲に気づかれずに持ち運びしやすい。


 アレクシスが白木蓮の調査をしている内に、騎士団内部の者が裏社会との売買に関わっている可能性が出てきたと言う。由々しき事態である。

 今、彼は騎士団の汚職をの撲滅と立て直しに奮闘しているが、この白木蓮の件も解決しなければならない問題だった。


 これが昨日アレクシスから聞いた詳細であった。

 聞いた後、ソルは激しく後悔した。セレスタで結晶を拾わなければ、このような事件に巻き込まれる事はなかったのだ。己の貧乏性が憎い。

 イーリスからは気にしない、アレクシスからは運が悪かった、と言われたが落ち込んだ気分は簡単には治らない。

 第三者を捕縛する時には、半ば八つ当たりのように殺気を飛ばしてしまった。らしく無い行動であった。

 動きを止めたソルは頭(かぶり)を振って深呼吸した。


 一通り動いたソルは植え込みの木に足をかけ、するすると登ると空いた窓に跳んだ。静かに窓の縁に着地し、白い床に足を下ろす。


 寝ているイーリス起こさないように無音で寝台に戻る。

 第三者の捕縛後、イーリスはソルの寝台に潜り込む事はなく自分の寝台で寝ていた。急患で叩き起こされるような事態もなく無事朝を迎えている。

 ソルがこちらに後頭部を見せて寝ているイーリスを何となく眺めていると、唐突に彼女が起き上がった。

 その顔は寝起きとは思えない程しっかりとした驚きの表情があった。シーツを握る手には力が入っている。彼女は起き上がった体勢のまま動かない。見開いた目は虚空を見つめ続けている。


「イーリス?大丈夫か?」


 いつもと様子が違うイーリスにソルは思わず声をかけた。

 ソルの声にピクリと体を動かしたイーリスは無言で彼の方に体を向け寝台を下りた。そして杖も持たずにソルに歩み寄る。

 寝台に座ったソルのつま先にイーリスのつま先が当たる。固かったイーリスの顔に安堵したような柔らかさが宿った。

 彼女は両腕を広げる。両翼を広げた渡り鳥を彷彿とさせた。

 ソルが何事かと思っていると、急にイーリスが飛びついて来た。予想外の彼女の行動にソルは寝台に押し倒されてしまった。


 戸惑ったソルが抗議の声を上げるよりも先に、無言だったイーリスが口を開いた。


「幼い頃の夢を見ました」


 イーリスの声は僅かに震えている。

 彼女はソルの首に腕を回し、彼の胸に顔を埋めていた。彼女が喋ると振動で胸がくすぐったい。天井を仰ぐソルは熱い体温を感じ、乱れる心を抑えて平常心を保つ。


「怖い夢だったのか?」

「苦しくて暗くて怖い夢でした」

「そうか…」


 ソルは顔を埋めたままのイーリスの頭に優しく手をのせた。


「でも、懐かしい夢も見ました。まだ見えていた頃の光景です。おばあちゃんが居ました。いつもは夢を見ても起きたらぼんやりとしか覚えていないんですが、今日はしっかり覚えています」

「幼い頃の記憶が残っていたんだな」


 首に回すイーリスの腕に力が入った。埋めていた顔を横に向け瞼を開ける。


「夢を見て思ったんですが、私、おばあちゃんの事で何か大切な事を忘れているような気がするんです」

「それはばあちゃんが帰って来ない事と関係あるのか?」

「それは、まだ分かりません。でも、とても大事な事…」


 イーリスはそう言うと考え込み口をつぐんだ。ソルを離す気配はない。

 声をかけづらい雰囲気に、ソルは黙って見守る体制となった。頭を上げ、イーリスの様子を窺う。

 すると、彼女の長い睫毛の向こうに人影が見えた。視線を人影に向けると、それは部屋の入り口に立つ騎士団員だと分かった。年若い騎士団員は顔を赤くしていた。

 ソルと目が合うと物凄い速さで頭を下げた。


「すすすすいませんでしたー!出直します!」


 青年は謝罪の言葉を叫ぶと踵を返した。

 赤面したソルは反射的に上半身を起こす。急な動きにイーリスの腕が外れ、彼女は寝台に転がった。


「待て!おまえ何か誤解しているだろう!」


 ソルの言葉は廊下を駆ける騎士の背中に届いていたが、彼が止まる事はなかった。足音は遠ざかり、やがて聞こえなくなる。

 凄く誤解された気がする。ソルは顔を手で覆った。


 寝台に転がっているイーリスは思考を中断され口を尖らせていたが、叫び声の主を思い出す。


「ヒースさんの声でしたね。」

「ヒースって、昨日イーリスの護衛についた奴か」

「頼んだ調査が終わったのかもしれませんね。どうして行ってしまったのでしょうか」

「盛大に誤解されてしまったようだ」


 ソルがため息をつく。イーリスは仰向けに寝たまま首を傾げている。

 後に、再度訪れたヒースに対してソルはまず誤解を解く事から始めるはめになった。


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