76、第三者の影
イーリスとヒースが診療所に着いた時はもう日が暮れていた。ヒースは騎士団の記録を確認する事を約束し詰所の方へ去って行った。
イーリスはカルラの元で得たおばあちゃんの情報をソルに報告するべく診療所に入った。薬品と血臭が鼻を掠める。
診察室の前を通るとルーディの楽しそうな声と患者の悲痛な声が耳に入った。ハンナがルーディを嗜める声も聞こえる。賑やかな声を背にイーリスは清潔に掃除された廊下を歩いて行く。
二階の病室へ行くとうたた寝をしていたソルが起きた。
「遅かったな。杖職人には会えたか?」
「会えましたよ。中々過激な人でした」
イーリスは寝台に腰掛けると先程の出来事を話した。話を聞いたソルは表情を僅かに曇らせる。
「消息が途絶えてから結構時間が経っているな」
「おばあちゃんはどこに行ってしまったんでしょう」
イーリスは普段通りを装っているが、ソルの目は彼女の表情の裏に潜む不安を見逃さなかった。
「明日手配書を調べれば何か手がかりがあるかもしれない。可能性はゼロではないだろ?」
ソルの声音は自然と励ますような優しいものになっていた。
「不安な気持ちは分かる。だが今は情報を集める事だけを考えろ。事態の全容が見えない内から悲観するのはよくない」
ソルの言葉でハッとするイーリス。膝の上で握っていた手を開くと頬を軽く叩いた。
「イーリス?」
「そうです。ソルさんの言う通りです。私は余計な事ばかり考えていました」
寝台から立ったイーリスは拳を握りしめた。彼女の目には力が宿っている。
「情報を集めておばあちゃんの行方を追います。絶対見つけます」
静かに闘志をみなぎらせているイーリスを見てソルは安堵した。
今ある情報だけを並べると、どうしても悪い方へと考えてしまう。しかし、断片的な情報だけでは物事の全容は理解できない。確定してない出来事に対して悲観するのは時期尚早である。
ソル自身も一瞬最悪の事態を考えてしまっていた。イーリスを元気付ける為に言った言葉だったが、それは自分自身に向けた言葉でもあった。
「明日は忙しくなりそうだな」
「そうです。いっぱい動きますよ」
ソルが意気込んだイーリスの顔を眺めていると、あまり会いたくない人物の声がした。
「明日退院できるかは僕の診察の結果次第だからね。動けるからって勝手に行かないでくれよ」
開け放たれた入り口に中性的な人物と金髪の看護婦がいた。ルーディとハンナだ。
「分かっている」
ぶっきらぼうに言い放ったソルにルーディは疑いの眼差しを送る。
「本当かい?キミ、今にも逃げ出したいって顔してるよ」
「あんたを見てるとまた悪夢にうなされそうな気がしてな」
「僕はキミの命を救ったのにその言いようはないんじゃないかい?」
「治療には感謝する。だが、治療ついでに人体改造しようとしていたのはどこのどいつだ?」
「あれは医学の発展に必要なことさ」
ルーディはソルに半眼で睨まれてもどこ吹く風だ。人体改造が医学の発展に必要なはずがない。あれは絶対に趣味嗜好でやろうとしている。
「そうそう、今夜のこと団長から聞いたよ。他の患者もいるから静かにやってね。もちろん、攻撃魔術をぶっ放すのもナシだから」
「大丈夫です。派手な魔術は使いません」
ルーディの忠告にイーリスは片手を胸に当てて頷く。
「まぁ、よろしく頼むよ」
癖だらけの医者は手をひらひらと振る。そしてイーリスの寝台を指した。
「キミの寝台なんだけど、急患がたくさん来て空いてる場所が無くなったら使わせてもらうつもりだから。その時は寝てても叩き起こすよ。キミは元気なんだから問答無用だよ。」
今この診療所の寝台を使っている者の中で一番元気なのはイーリスであった。筋肉痛だけなので当然と言えば当然なのだが。
「分かりました。その時はソルさんの隣で寝るのでいくらでも叩き起こしてください」
しれっと言ったイーリスの言葉にソルは内心動揺する。宿の寝台では一緒に寝ていたが、ここの寝台は宿より狭い。これでは適切な距離が保てない。
ソルはどうやってイーリスの行動を辞めさせるか考えていたが、ルーディの大声で掻き消された。
「駄目だよ!彼は手術をしてまだ一日も経ってないんだ!いくら獣憑きと言えど激しい運動なんかしたら傷が離開してしまう!そんなの僕が許さない!」
頭を抱えて鼻息荒く叫ぶルーディ。ソルとイーリスは言葉の意味が理解出来ずに首を傾げる
数秒後、ソルだけが彼の言葉の意味を理解し羞恥と嫌悪が混じった顔になった。
「ちょっと待て。俺がそんな節操なしに見えるのか」
「だって、生殖可能な男女が同じ寝台に寝て何も起きないはずがないだろ?それに獣憑きって性よ」
ルーディの声が唐突に途切れた。ハンナの手が口を塞いでいる。
「うちの医者が失礼な事を。大変申し訳ありません」
まだもごもご何か言っているルーディの頭をハンナが杖で押して無理矢理下げさせる。かなり強引だ。かなり手慣れた動作なので、このような事は日常茶飯事なのだろう。
顔を上げたルーディはハンナの手を外す。ハンナはその手をルーディの頭に置く。
「先生もちゃんと謝罪してください」
「もーしわけありませんでしたー」
ルーディは嫌々ながらも謝罪の言葉を口にした。口はへの字に曲がっている。納得してない顔だ。
「よくできました」
ハンナがルーディの頭を撫でる。まるで母親と子供だ。ハンナの方がルーディよりも頭一つ分大きいので尚更そう見える。
ハンナは女性にしては背が高く、ルーディは男性にしては背が低い。いや、この医師は女にも見える。声もどっちつかずだ。ソルは言動で男だと判断していたが、女の可能性も否定できない。
ルーディは嫌がるでもなくハンナのされるがままになっていた。
そこへ話について行けないイーリスが純粋な疑問を投げかける。
「男女が同じ寝台に寝たら何が起こるのですか?」
ソルは額に手を当て俯いた。
「イーリスは気にしなくていいし、知らなくていい」
「え、気になります」
「僕が教えてあげるよ。いいかい、男っていうのは」
「先生、今度は鼻も塞ぎますよ」
部屋が俄かに騒がしくなる。
「いや、こう言う事はちゃんと知っておくべきだ」
「だとしても、それは今じゃなくてもいいだろう」
「早いに越したことはない。彼女も知りたがっている。それに人体に詳しい僕が説明した方が分かりやすいだろう」
「待て待て、そんな話は保護者の同意を得てからにしろ」
「過保護だなー」
このどうしようもないやり取りはハンナがルーディを引き摺って部屋から退散させるまで続いた。
結局イーリスが男女の謎を知る事はなかった。
*****
深夜、静寂に満ちたベルダンの街を音もなく動く影があった。影は闇夜に溶け込む黒い外套を頭から被った人物だった。フードの下の顔は特徴のない男のものだった。
彼の名はオットー。王都を中心とする裏社会の三大派閥の一角に所属する密偵であった。
紛失したある重要な物を探し、現在の所有者の行動を監視していた。監視対象の男は腕が立ち、勘がいい為下手に近づけない。
ラルスの館では隠匿どころか、姿を消す透過の魔道具を使っても気取られてしまった。距離は離れていたが、あの緑の瞳は確実にこちらの存在を捉えていた。
非常に厄介であるが、重傷を負っていた奴は眼下の診療所で治療を受けている。弱っている今しか機はない。
しかし、診療所は簡易的な結界が張ってあり術者に人の出入りを把握されている。それに警護の騎士団も在中しており侵入は容易ではない。あの団長もまだこの街に居る為、騒ぎでも起こしたら一貫の終わりである。
オットーは対象が運び込まれてから、向かいの三階建の家屋の屋根の上から診療所を監視し続けていた。植え込みの木と塀に邪魔されてはっきりとは見えないが、二階の端の部屋にいるのを確認している。
そして、今夜ようやく好機が訪れようとしていた。夜にあの忌々しい団長がこの街を発ったのだ。流石に何日も王都を空けられないのだろう。
更に奴と行動を共にしていた魔術師の娘が、誤認で捕らえた貴族の娘たちと診療所を出たのだ。部屋にはあの男一人。狙うなら今しかない。
簡易結界の突破法は考えてある。あとはその時が来るまで監視しながら待つだけだ。
半刻の後、診療所に二人の騎士団員がやって来た。警護の交代の時間だ。
オットーは素早く家屋の壁を伝って通りに降り立った。小指に嵌る鈍色の指輪が淡く光ると彼の姿は背景と同化し見えなくなった。
オットーは診療所に向かう騎士団員の後ろに付くと足音を立てずに着いて行く。騎士団員は背後をつけられている事に気づかない。
二人の騎士団員は診療所に入る。オットーは騎士団員にピタリとくっつくようにして診療所に足を踏み入れた。
これで結界はある程度誤魔化せたはずだ。術者が余程の手練でない事を祈る。
診療所内にも二人の騎士団員がいた。四人で交代と引き継ぎの話をしている横をオットーは堂々と通り過ぎる。術の効果に彼は僅かに口角を上げた。
普通の人間では透過の術を見破れない。あの男と団長が異常なのだ。
診療所内は静かだった。見回りの看護婦が巡回している程度で廊下には人気がない。いびきと寝言、痛みに呻くか細い声が各部屋から漏れ出ている。嗅ぎ慣れた血臭が鼻につく。
夜の診療所は不気味で、ありもしないものを勝手に想像してしまう。呻き声が怨嗟の声に聞こえるのも気のせいだ。
ヒースはこのような陰気な場所が嫌いだった。影となり生きる密偵としては失格なのかもしれないが、どうしても苦手意識が拭えない。悲惨な幼少期を地下遺跡の穴ぐらで過ごしたせいかもしれない。
気が逸れてしまったオットーは外套の下の短剣を握り、意識を男の捜索へ集中させる。
あの盾の男は二階の奥の部屋だ。気配を殺して階段を上る。途中で杖に明かりを灯した看護婦とすれ違った。魔術師が看護婦業をしているとは珍しい。
二階の廊下には誰もいなかった。好都合だ。
滑るように廊下を進む。隠密に特化した動きで、衣擦れの音もしない。
問題なく男の部屋の前まで来た。この部屋も他の部屋の例に漏れず扉は開いたままだ。
まずは室内の様子を窺う。窓からの星明かりのみで室内は暗いが、暗視も得意としているオットーにはおおよその状態は視認できる。
寝台が二つ。手前の寝台は空だ。奥の寝台には横になった人影がある。シーツに包まれた人影の肩は規則的に上下していた。
オットーはより慎重に部屋に侵入する。呼吸音すら押し殺し、彼は完全にそこから存在を消していた。
男の寝台の傍らまで来ると寝息が聞こえてきた。起きる気配はない。
内心安堵したオットーは音を立てぬように寝台の周りを探った。目的の物はここにあるはずだ。
寝台の下に荷物が入った籠を見つけた。彼の顔に今日初めて笑みが浮かぶ。装備品の上にベルトについた小物入れがあった。オットーは早る心を抑えて小物入れを開ける。そこには古銭に混じって水晶のような結晶が入っていた。
目的の物を見つけたオットーは静かに歓喜に打ち震えた。これで主人の失態は無かった事になる。大層喜ばれるであろう。自分も主人の右腕として重宝されるに違いない。結晶を手の中に収める。
オットーの脳内が輝かしい未来を思い描いていた。
しかし、突如として全身が何かに絡め取られ身動きが取れなくなった。
オットーは慌てて自分の体を見下ろす。彼の体には青白い蛇が何匹も絡みついていた。床から生えた蛇は両足もがっちりと固定している。蛇が動くと更に拘束がきつくなる。
これは不味いと周囲を見渡した彼は、背後の部屋の天井隅で緑に光る二つの目の存在に気づいた。
それが何か理解するよりも先に強烈な悪寒が背筋を駆け抜ける。それは捕食者を前にした本能的な身体反応であった。
光が揺らいだ一瞬の後、オットーの首には刃が突きつけられていた。速く静かな動きに、彼には目の主が瞬間移動したように見えた。
「動くな。抵抗すれば斬る」
背後から聞こえる明確な殺意のこもった低い声にオットーは冷や汗を流した。握られた肩から血の気が引いていく。
全身を蛇で絡め取られているので抵抗したくてもできない。いや、例え拘束されていなくとも抵抗などできるものか。
間近で見て分かった。力量が違い過ぎる。少しでも抵抗しようとすれば短剣に手をかける間もなく殺される未来しかない。弱っていると思っていたが、それは見当違いだった。
オットーが目を動かして活路を見出そうとしていると、寝台の人影が動いた。むくりと起き上がったのはあの貴族の娘と行動していた盾の男だった。
その顔は何故か怯えている。視線の先にはオットーに殺気を飛ばしている男。殺気の余波にあてられている。
罠に誘い込まれたと理解したオットーは絶望の淵に落ちた。
部屋に魔術の灯りが入る。首を動かせないオットーの視界の端に貴族の娘と魔術師の娘が映る。
「本当にそこにいるの?」
「はい、確かな手応えがあります」
透過の術を解いていないので周囲の人間にオットーは視認できない。
魔術師の娘が開いた手を握り込むと、半透明の蛇が拘束しているオットーを締め上げる。彼は苦鳴が漏れそうになるのを我慢した。
「俺も捕まえている。見えないがここにいる。こんな魔術もあるのか。厄介だな」
「だが、臭いや気配は消せない。視認できなくとも存在には気づける」
男とは別の声にオットーは息を飲んだ。声の主は紛れもなくこの街を発ったはずの第一区の騎士団長であった。
娘たちの間を通って厳しい表情の団長が部屋に入る。団長はオットーに近づくと手探りで体を調べ始めた。彼の手は蛇の隙間から出ている指に嵌った指輪を外した。すると、そこに黒外套の男が現れる。
オットーは周囲の人物の視線を浴びて情けない顔になっていた。最早活路を見出せるような状況ではなかった。
団長は鈍色の指輪を光にかざす。
「透過の魔術が使える魔道具だ。世に二つとない逸品だが、こんな低俗な者が持っているとはな」
殺気は感じられないが萎縮してしまう程の威圧感のある声だった。さっきの男の言葉とは違う意味で冷や汗が出る。
団長はオットーの手から結晶を奪う。
「皆ご苦労であった。これから先は私に任せてくれ」
刃が引かれ、代わりに首と両手首を繋ぐ金属製の頑丈な拘束具がつけられた。
蛇は最後に更に強い力でオットーを締め上げる。今度は我慢しきれずに苦鳴を上げた。骨と内臓を圧迫される苦痛と呼吸苦に顔が歪む。蛇はオットーの顔の前で威嚇するように牙のある口腔を開くと、青い燐光となって消えた。
オットーの肩が上下に大きく動く。
これから彼に待ち受けるのは輝かしい未来ではなく地獄であった。




