75、杖職人
イーリスは路地を歩いていた。路地は昼間でも薄暗く湿っている。
彼女はベルダン初日に行って不在だった杖職人の元へ向かっていた。
彼女の隣には騎士団の甲冑を纏った青年がいた。兜から覗く明るい赤毛の下、薄茶の瞳が周囲を警戒している。
先刻、イーリスはアレクシスからの説明が終わった後に杖職人の所へ行きたいと彼に伝えた。すると、彼は快く護衛を付けてくれた。
ソルも護衛は付くならばと行く事を承諾した。
裏路地は二日前とは違い、転がっている人が居なくなっていた。そればかりか、裏で蠢いていた邪な者共の気配も消えている。
アレクシスの指示の下、裏社会の掃討がグラドールの捕縛と並行して行われていた結果だった。違法薬物の売人やその元締め、人身売買や違法売春宿の摘発等騎士団は精力的に動いていた。潜んでいた指名手配犯や盗賊も多くが捕縛されたという。
第二区の騎士団を立て直すまでの期間限定であるが、一区の騎士団は二区の治安維持に尽力していた。
イーリスの横を歩く青年、ヒースは周囲を警戒しつつも時折彼女を横目で見ていた。彼は何かイーリスに聞きたそうである。当然ながら彼女はそんなヒースの様子に気づくことはない。
しばらく歩くと、意を決したヒースがイーリスに話しかける。
「あの、イーリスさんは団長と親しげでしたがどういった間柄なんですか?」
「間柄?」
歩きながらイーリスは首を傾げた。ヒースは取り繕うように言葉を続ける。
「いえ、その、団長は老若男女に人気でありますが、近づくと少し怖いと言うか。かっこいいけどみんな緊張されるんですよ。それなのにあなたは全然そんな素振りがなかったもので」
イーリスに向けるヒースの目には単純に好奇心や興味の色が強いが、その裏には羨望が見え隠れしていた。
一方、イーリスはアレクシスのオフの顔は一部の者しか知らないと言う事を思い出していた。この様子ではヒースはオフの顔を知らないのだろう。
「アレクシスさんとはただの知り合いです。以前ちょっとお世話になったんです。私は目が見えないので怖いとかは分かりませんね。それに私、今まで人に対して緊張した事はありません」
「そうだったんですか。流石魔術師の方は若くても大人な感じがしますね」
淡々と話すイーリスにヒースはやや的外れな返答をする。
「ヒースさんはアレクシスさんが怖いですか?」
「あっ、えーと、少しだけ」
ヒースは自分より年下の少女に怖いとは言えなかった。少々強がり。誤魔化すように頬を掻いている。
「団長に憧れて騎士団に入ったんですが、いざ対面すると緊張してしまうんです。あ、これ団長には言わないでくださいね」
「ふふ、内緒にします」
部下に怖がられている団長と女言葉のアレクシスの差が面白くてイーリスは自然と笑っていた。
ヒースはイーリスの花が綻ぶような笑みに目を奪われていたが、前を向き表情を引き締めた。
話しをしている内に杖職人の家に着く。窓には分厚いカーテンが目隠しをしている。初日に来た時のままだ。
イーリスは試しに探知の精度を上げてみた。しかし、家の中に生命反応はなかった。地下の方は何かに妨害されているようで何も分からなかった。
家屋と家屋の間の狭い路地を通って裏口に行く。イーリスは普通に歩いて通ったが、ヒースには狭く体を斜めにして歩いていた。
裏口も表の扉と同じく金属製の重厚なものだった。ここは通路と違って少しばかり開けている。
「この辺りに地下への扉がありませんか?」
探知では地面の変化が分からない。ヒースがしゃがんで地面を調べると巧妙に隠された扉を発見した。
一見すると周囲の地面と変わりないが、若干扉の所だけ色が変わっていた。誤差レベルであるが。
扉があるという前情報がなければ見落としていただろう。
「ありましたよ」
「では、扉の上で飛び跳ねてください」
「え、そんな事したら怒られませんかね」
「それでいいんです」
にっこり頷くイーリスに、ヒースは渋々言われた通りにする。彼が飛び跳ねると地面とは違う乾いた音が響いた。ついでにギシギシと嫌な音も立てる。このままだと扉を破壊してしまいかねない。
心配したヒースがちらりとイーリスに視線を向けた時、何かが空を切る音がした。ヒースが反応するよりも先にイーリスの防御結界が発動していた。
ヒースとイーリスを中心とした結界に矢の雨が降り注ぐ。突然の出来事にヒースは固まっている。結界に弾かれた矢がばらばらと地面に散らばった。
鈍器が飛んで来るかもと言われていたが、矢の雨とは。
「思ってた数倍物騒でしたね」
イーリスは驚く事なく周囲を探知している。我に返ったヒースは剣の柄に手をかけていた。彼が視線を上に向けると屋根近くに設置された多量のボウガンが見えた。あれから一斉に射撃されたようだ。
追撃を警戒してると、裏口が錆びた金属音を奏でながら開いた。そこから一人の女が顔だけ出して現れる。長い胡桃色の髪を無造作に纏めた女は、イーリスとヒースの姿を見ると露骨に嫌そうな顔をした。
「ちっ、何で生きてんのよ」
女はイーリスの杖に気づくとギリギリと歯軋りをした。
「クソッ、あの悪徳高利貸しめ。とうとう魔術師まで雇いやがって。金なんてないよ。とっとと帰んな」
取り立てと勘違いされているがイーリスは気にせず口を開く。
「あの、私たちは人探しに来たんです。少し話を聞いてもらえませんか」
女はイーリスの頭からつま先まで凝視する。その目には疑いがこもっていた。
「人探しぃ〜?あたしを騙すつもりなんじゃないの?」
「騙していません。私たちは取り立てと無関係です。ほら、騎士団の方のも一緒ですし」
女は疑いの眼差しのままヒースをジロリと睨む。ヒースは背筋を伸ばして精一杯威厳を出そうとしていた。
「騎士団が居たって何の信用にもならないよ。給料泥棒の無駄飯食らいは金を積んだ方の味方にしかならないからね」
酷い言いようにヒースは怯むが、負けじと弁明する。
「私は第一区の騎士団員です。二区の騎士団を粛清、解体する為に団長と共にこの街に来ました。汚職に塗れた騎士とは違います」
堂々としたヒースの態度に女は眉を跳ね上げる。そして、彼の甲冑の左胸に刻まれている騎士団の紋章に目を凝らした。そこには交差した二本の剣と太陽を表す円環があった。円環の中心には古代文字で“一”と刻まれている。
女はヒースとイーリスを交互に見ると扉を大きく開けた。彼女は防火エプロンに頑丈な革手袋をつけた職人の格好をしていた。
「ふん。昨日から騒がしいのはあんたらのせいか。今よりマシになる保証はあるんだろうね」
「あります」
短いが自信あるヒースの言葉に、女の顔から険しさが消えた。
「入んな。話くらいなら聞いてやるよ」
女は二人に背を向け奥へ歩いて行った。
嬉しそうなイーリスとこっそり息を吐いたヒースが女の後に続く。
部屋に入ったイーリスが扉を閉めようとしたが、金属製の扉は重く全身筋肉痛の彼女ではびくともしなかった。ヒースが手伝うと、扉は耳障りな音と共に閉まった。
部屋では女が閉ざされたカーテンを開けていた。陽光が入り工具だらけの雑然とした部屋が照らされる。家具がなく生活感がない。物置きのようだ。
「その辺適当に座っていいよ」
女は鉱石が入った木箱に蓋をしてその上に腰掛けた。イーリスとヒースは座れるそうな場所を見つけられず立ったままだ。
「で、誰探してんの?」
壁に背を預け脚を組んだ女はイーリスに視線を向けた。
「あの、杖職人のカルラさんですよね」
「そうだけど」
「一ヶ月前くらいに私の杖と同じ魔石で杖の作成依頼に来た人はいませんか?」
カルラはイーリスの杖の魔石を一瞥した。
「いたね。珍しい依頼だったから覚えてるよ」
イーリスの表情が輝く。彼女はおばあちゃんの事とベルダンに来た経緯をカルラに話した。あまり興味なさげに聞いていたカルラだったが、途中から訝しげな表情となる。
「あの魔術師があんたのばあちゃんだってのかい」
「はい」
「随分若いばあちゃんなんだね」
「よく婆さんの中では若いと言ってましたけど、しわしわですよ」
まだ腑に落ちない様子のカルラであったが、肩を竦めると皮の手袋を外した。木箱の上で胡座をかくと、肘を膝に乗せ頬杖をついた。
「んで、あたしにばあちゃんの行方を聞きたいと。そういう事だね」
「はい、おばあちゃんはここに来た後の行き先を言っていませんでしたか?」
「あー、うん。次の行き先云々の前に、あんたのばあちゃんまだ完成した杖を取りに来てないんだよね」
「えっ」
思わぬ言葉にイーリスの顔が曇った。カルラはおばあちゃんが来た時の状況を話し始めた。
約一ヶ月前。地下工房の空気を入れ替えていたカルラの元に一人の魔術師がやって来た。
その人物は緑濃色のローブを頭からすっぽり被っていた。顔も黒い薄布で隠されており人相が分からない。杖を握る手も黒い手袋で覆われていた。杖には紫色の魔石が嵌っている。カルラはその杖をどこかで見た事がある様な気がした。だが、思い出せない。
「マーサ婆さんはいるかい?」
魔術師が発した声は女のものだった。カルラは自分の祖母の名が出た事に驚いた。
「…ばあちゃんは六年前に亡くなったよ。あんたはばあちゃんの知り合い?」
「そんなとこだね。そうか、婆さんはもう居ないのか」
マーサの死を悼み懐かしむような声が女の口から出ていた。カルラは得体の知れない魔術師を警戒していたが、その声を聞くと体の力を抜いた。
「もしかして杖の依頼?」
「そうさ。でも婆さんがいないなら他をあたるしかないね」
「あたしも杖職人だよ。ばあちゃん程じゃないけど自信はある」
踵を返そうとしていた女をカルラが呼び止める。女は体を戻した。カルラは視線を感じた。薄布の向こうから女が彼女を観察している。
しばしの沈黙の後、女はローブの下から青い魔石を取り出した。
「これで杖を作って欲しい。軸は指定しないけど、とにかく頑丈にして」
カルラは魔石を受け取る。深い青の魔石は彼女の手のひら程の大きさがあった。
「いいサイズの魔石だね。こいつの加工は難しくないから五日程でできるよ」
「そこをもっと短くできないか?三日とか。誕生日に間に合わせたいんだよ」
「それはあたしに寝食を削れって事だね。料金三割り増しならいいよ」
「早くできるなら構わない」
こうして商談は成立した。女は皮袋に入った金貨を前金としたカルラに渡した。
ずっしりと思い皮袋を手にしたカルラの表情が緩む。三日後の朝に来る、と女は言うと立ち去った。
カルラの話を前のめりで聞いたイーリスは、ここに確かに居たおばあちゃんの存在に笑みを浮かべた。しかし、問題はここからだ。
「で、そっから今まで来てないよ」
イーリスの顔から笑みが失われる。何故おばあちゃんは杖を受け取りに来ないのか。
「滞在先とか聞いてないですか?」
カルラは首を横に振った。
「知ってたら金の回収に行ってるよ。そもそもこの街に滞在していたかも分からない。最近物騒だからね。事件に巻き込まれてないならいいけど」
何気なく言ったカルラの言葉に、イーリスの脳裏にはこの街であったという魔術師の失踪事件が浮かんだ。しかし、おばあちゃんに限ってそんな簡単に攫われる事はないと、浮かんだ考えを否定し不安を押し込める。
深刻な表情となっているイーリスを心配そうに見ていたヒースは静かに声をかけた。
「気になるのであれば、この街で起きた事件をここ一ヶ月分調べてみましょうか。ここの騎士団がきちんと記録を残していれば、ですけど」
「いいんですか?」
「詰所の記録を確認するついでなので大丈夫ですよ」
「よろしくお願いします」
イーリスはヒースに向かって頭を下げる。
その様子を何事か考えながら眺めていたカルラだったが、急に思い出したように膝を叩いた。
「あんたのばあちゃんの落とし物があったんだった」
「落とし物…それは何ですか?」
「誰かの手配書だったよ」
イーリスは首を傾げる。
「何で手配書なんて持ってたんでしょう」
「さてね。手配書なんてどこにでもあるから意図なんて分からないさ。メモ紙用に取って行く奴もいるくらいだしね」
おばあちゃんが何を考えて持っていたのかはカルラの言うように分からない。だが、その手配書に何か手がかりがあるかもしれない。何でもいいので今は少しでも情報が欲しかった。
「その手配書見せてくれませんか?」
「あー、今それどこにあるか分かんないんだよね。捨ててないからどっかにあるはずなんだけど」
「探してください」
イーリスはいつの間にかカルラに詰め寄っていた。その顔からは気迫さえ感じられる。
僅かにカルラが気圧される。
「いいけど、散らかってるから時間かかると思うよ」
「構いません。お願いします」
カルラは距離が近いイーリスを手で制して下がらせ、木箱から下りた。
「あたしはまだ仕事が残ってんだ。明日来な。それまでには見つけといてやるよ」
「ありがとうございます」
イーリスはカルラに頭を下げた。
「その代わり、いい男見つけたら連れて来てよ」
不敵に笑ったカルラは木箱の上の革手袋を取って装着した。
イーリスは顎に指を当てて少し考え、ヒースを指した。
「いい男ならここに居ますよ。優しくて頼れる騎士ですよ」
いい男と言われたヒースは恥ずかしいのか顔を赤くしている。カルラはヒースを横目で見ると首を振った。
「こんなガキ臭さが抜けてないのじゃなくて、もっと大人な人をよろしく」
「ガキ…」
呟いたヒースの顔から赤みがすっと消える。彼の表情には内心の不服さが現れていた。
「ほれ、帰んな」
イーリスとヒースは追われるように表の扉から外に出された。重厚な金属製の扉が勢いよく閉まる。
日が傾いた空は茜色に染まりつつあった。路地には帰路につく住人が歩いていた。
二人は来た道を戻る。ヒースはまだ納得していない顔をしていた。
イーリスは頭の中でカルラの話を反芻する。そこで一つの違和感に気づく。メルンで聞いたおばあちゃんの詳細と違う点が一つあったのだ。明日カルラにもう一度確認する必要がある。
(おばあちゃん、無事でいて…)
イーリスは指が白くなる程杖を握り締める。
おばあちゃんの足跡を追い森を出て十日目。ここに来て初めて漂う不穏な雰囲気にイーリスは胸騒ぎを覚えた。それを誤魔化すように足早に歩を進める。体の痛みが増すが気にしない。
急に速度を上げたイーリスをヒースが追いかける。
徐々に暗さを増す路地に規則的な足音だけが残った。




