73、第三者とは
イーリスは部屋を出ると、診療所の出入り口へ向かった。
開いた病室や診察室の前を通ると血臭が漂ってくる。一般の患者より騎士団の負傷者が圧倒的に多かった。痛みに呻く声があちこちから聞こえる。
医師や看護師が忙しなく行き交う廊下の奥から二人の人物が歩いて来た。その人物はイーリスを見つけると一目散に駆け寄って来た。
「イーリス!身体は何ともないの?」
「はい。筋肉痛が酷いくらいです。エルネスティーネさんこそ大丈夫ですか?」
「あたしはこの通り元気よ」
エルネスティーネとカイだった。二人は病衣ではなく制服と甲冑であった。エルネスティーネの手には紅い魔石の杖が握られている。
カイはイーリスが動く姿を見て安堵していた。
「大事なくて良かったです。ソルさんも大丈夫ですか?昨夜は急に意識を失われたので心配で」
「手術をして眠っています。今は命に別状はないそうです」
イーリスの言葉にカイの顔から心配の色が消えた。エルネスティーネも嬉しそうにしている。
「良かった。ちょうどあなたたちの部屋に行こうと思ってたんだけど…これからどこかへ行くつもり?」
「おばあちゃん探しに行こうかと」
「そんな格好で!?」
エルネスティーネは思わず声を上げていた。イーリスはエルネスティーネの反応に首を傾げた。
「変ですかね」
「変に決まってるでしょ!そんな格好で彷徨いてたら悪目立ちするに決まってるじゃない!今は一区の騎士団が居るとはいえ、また変なのに目をつけられたら困るでしょ!」
「確かにそうですね。でも、替えの服が無くて…」
イーリスはハンナが回収していった服を思い起こす。酷く破れていたので破棄するか聞かれたが、おばあちゃんに買ってもらった服なので直ぐに返答できなかった。
すると、ハンナが仕立て屋に依頼する事を提案してくれた。二つ返事でお願いしたが、修復が終わるのは明日以降になるだろうとのこと。ついでに血まみれのソルの服もお願いした。
「あ、宿に予備の服がありました」
宿に荷物は置いたままだった。
エルネスティーネはカイに目配せをした。カイは静かに頷く。
「それならあたしたちが持ってきてあげるわ」
「いいでんすか?」
「あなたのおかげで助かったようなものだもん。それくらいはさせて」
エルネスティーネは今までにない優しい笑みを見せた。高飛車、高慢な態度の時の顔とは大違いだった。もしかすると、これが本来の彼女なのかもしれない。
イーリスは彼女の言葉に甘えて宿に荷物を取りに行ってもらう事にした。
宿の場所を伝えるとエルネスティーネとカイは通りへ出て行った。
予定が変わったイーリスは部屋へと戻る。
部屋ではソルが寝台で寝たまま脚の曲げ伸ばしをしていた。帰ってきたイーリスに気づき上体を起こす。
「よく眠れましたか?」
「あぁ、今回は割としっかり寝れたようだ」
「ふふ、声がいつもの調子に戻ってきましたね」
微笑んだイーリスは自分の寝台に腰掛けた。一つ一つの動作がぎこちない。
「さっき、エルネスティーネさんとカイさんに会いました。二人とも元気そうでしたよ」
「それは何よりだ」
「着替えがないって言ったら宿に荷物を取りに行ってくれる事になりました」
「ありがたいな」
その後も二人は他愛のない話をしていたが、やがて話題は昨日の出来事の違和感へと変わった。
イーリスはラルスが二人の情報をある程度知っていたことをソルに伝えた。
「そうか、やはり監視されていた可能性が高いな」
ソルはメルンを出てから度々視線を感じていた事を話す。
「たまに見られているような気がしていたんだ。気のせいかと思っていたが、昨夜館でも感じた。姿は見えないが誰かがいた」
「その見えない誰かが仕組んだって事ですよね」
「そうなるだろうな。でも相手の意図が分からない。奴隷や商品にする為にここまでするか?」
イーリスは俯きながら顎に指をあてて考えていたが、思いついたように顔を上げた。
「昨日私が殴っちゃったラルス、さん?だったかな。その人に聞いたら分かるんじゃないですか?館の一番偉い人みたいでしたから」
「あの男か」
ソルは金髪に瑠璃色の目をした美貌の男を思い出す。イーリスの強烈な一撃を喰らい昏倒していたが、あれは果たして生きているのだろうか。内臓破裂で死んていてもおかしくない。
「まずは生存しているか確認しないとな」
「あー、あの時は腹が立っていたのでつい魔力を込め過ぎちゃったんです。死んじゃってたら話が聞けないですよね」
肩を落とすイーリス。そんな彼女の様子を見たソルは首を横に振った。
「まだ死んだと決まった訳ではない。騎士団に聞いてみよう」
「そうですね」
イーリスの顔に明るさが戻る。
ソルは正直ラルスの生死はあまり気にしていなかった。イーリスを攫って娼館の商品にしようとした男だ。救出が遅れれば彼女も地下の少女たちのようになっていたかもしれない。男の所業を思えば、むしろ死んでいたとしても構わなかった。
謎の第三者の正体も気がかりだが、それ以上にラルスに対する怒りの方が上回っていたのだ。出来ればもうあの男の顔は見たくない。
イーリスは枕の横で寝ていたアビィを撫でながらエルネスティーネとカイの戻りを待つ。
「私、着替えたらあの杖職人の所へ行こうと思います。おばあちゃんのこと聞いてきます」
「待て、あんな所へ一人は危険だぞ」
寝台に横になろうとしていたソルは再び体を起こした。
「治安が悪い。せめて明日まで待ていないか?明日なら俺も動けようになっているはずだから」
「…早くおばあちゃんの行方を知りたいんです。メルンでもここででも時間を取っていますし。それに、今度は杖を盗られないよう気をつけます」
杖を両手で握りしめたイーリスはソルに向かって挑戦的な笑みを見せた。
「これを見てください。これなら杖を盗られる事はありません」
自信に満ち溢れたイーリスが右手で杖を掲げた。その手と杖には青白い魔術の蛇が巻き付いていた。イーリスが杖から手を離しても、杖に絡んだ蛇が保持しており落ちない。
確かにこれなら杖だけ持って逃げられることはないだろう。
「盗難対策には効果的だろうが、魔術を阻害する魔道具があったのを忘れていないか?」
「あ」
完全に忘れていたようだ。イーリスは掲げていた手を下ろした。蛇が青い燐光となって消える。
「魔術が使えなかったらこれも意味ないですね」
イーリスは悔しそうに唸り始めた。
「うーん。魔術がないと何もできない私には困ります。何とか強引に行けないですかね。魔術封じの腕輪もどうにかなったんだし。圧倒的な魔力で捩じ伏せられないかな。広範囲を一気にどかーんとやれば…」
唸りながら呟く彼女の言葉には少々物騒なものが混じっている。イーリスはどうしてもこれから杖職人の元へ行きたいようだ。
おばあちゃんを追うイーリスの気持ちは分かるが、ソルはまた彼女を危険に晒すような事はしたくなかった。負傷した自分の体がもどかしかしい。
そこへエルネスティーネとカイがやって来た。カイが両手に荷物を抱えている。
「持ってきたわよ。ついでに延泊した分の料金も払っといたから。大した金額じゃないから気にしないで」
「ありがとうございます」
杖を床について胸を張っているエルネスティーネにイーリスが頭を下げる。ソルも貴族の豊かな懐事情に感謝した。
カイが荷物を其々イーリスとソルに渡す。ソルはカイの右腕に視線を向けた。
「カイ、腕はもういいのか?」
「あ、はい。今朝くらいからようやく動くようになりました。まだ力は完全には戻っていませんが、医者からは直ぐ良くなると言われました」
カイは人懐っこい笑みを浮かべた。本当に争いごとに向かなそうな顔をしている。そうソルは思った。
「そうそう、料金のことより言わなきゃいけない事があったんだわ」
エルネスティーネは深刻な表情をしていた。
「あんたたちの部屋えらく物色されていたわよ。盗人が入ったみたい。とりあえず残ってた物全部掻き集めてきたけど。なくなってる物がないか確認してちょうだい」
一晩不在であった為、盗人に狙われてしまったのだろうか。金貨三枚の内の二枚は背嚢の奥底に隠していた。ソルの背筋に寒気が走る。背嚢の中身を出して底を確認する。すると、非常食の芋に隠れて金貨のきらめきが見えた。二枚とも無事だ。
心の底から安心したソルだったが、違和感を覚える。荷物を一つ一つ確認していく。そして違和感の正体に気づいた。
「イーリス、何か盗られていたか?」
「いえ、全部無事です」
ソルの荷物も何一つ盗られていなかった。蔦蛞蝓の実や角狼の魔石等の貴重品も盗られていないならば、これは盗人の仕業ではない。
「部屋の様子をもっと詳しく教えてくれないか」
ソルがエルネスティーネの方へ顔を向ける。目があった彼女は何故か顔を赤くして目を逸らした。ソルは自分の体を見下ろした。上半身に服を着ていなかったのがまずかったのか。ソルはそう考えたが、エルネスティーネの真意は分からない。
彼女は目を逸らしたまま話し始めた。
「荷物は散乱してるし寝台はシーツも引っぺがしてあったわ。クローゼットも開けっぱなしで、隈なく物色されてる感じがしたわね」
「宿の人は宿泊客意外の不審者は見てないって言ってましたよ。宿泊客に盗人がいたんでしょうか。物騒ですね」
カイも状況を捕捉する。話を聞いたソルはある一つの仮説を立てた。謎の第三者と繋がっていく。
ソルが頭の中を整理していると、エルネスティーネが急に大声を上げ思考が中断された。
「ちょっと!何やってんのよ!」
エルネスティーネの声はイーリスに向かっていた。そこには病衣を脱いで着替えようとしている半裸のイーリスが立っていた。
ソルとカイは瞬時に顔を明後日の方に向ける。ソルは顔が熱くなるのを感じた。カイは赤面し硬直している。
エルネスティーネはイーリスを隠すようにカーテンを閉めた。
「何って、着替えをしようと」
「そんなの見れば分かるわよ!あたしが言ってんのは男の目の前で脱ぐのが信じられないってコト!恥じらいとかないワケ!?」
「恥じらい、ですか」
イーリスは首を傾げている。その様子を見たエルネスティーネはため息をついた。
「昨日も思ったけど、あんたって本当自分に無頓着よね。どう生きたらそうなるのかしら」
頭に手を当て首を左右に振るエルネスティーネ。イーリスは着替えの手を止めた。
「男の人の前で着替えるのはおかしいことですか?」
「おかしいに決まってるでしょ!…あれ、このやりとりさっきもしたような気がするわね。とにかく、異性の前で服を脱がないの!これは常識よ!」
イーリスはエルネスティーネの強い口調に、自分がおかしいのだと今更ながら気づいた。そう言えば、ソルにも似たような事を言われていた。
イーリスは素直に頷いた。
「分かりました。今後気をつけます」
「本当気をつけてよね、全く」
エルネスティーネは腕組みをして、着替えを再開したイーリスを一瞥した。
彼女は手探りで胸のボタンを留めているが、途中から段違いになっていた。
「ちょっと、ボタン掛け違えてるわよ」
「そうでした。この服はボタンの位置が違うんでした」
掛け違えた部位を探すイーリスの手にエルネスティーネ手が乗せられた。
「このくらい手伝ってあげるわ」
そう言うと襟元からボタンを外し、掛け直して行く。胸元を掛け直す際に、意外に豊かな膨らみがある事に気づいたエルネスティーネの眉が跳ね上がる。
「ほ、ほら終わったわよ」
「ありがとうございます。助かりました」
イーリスはエルネスティーネに向かって微笑んだ。やや憮然とした表情だったエルネスティーネも釣られて笑みを見せる。
「そうだ、あんたのローブなんだけど、血で汚れてたから洗濯に出してるわ。できたら届けてくれるって」
「態々すいません」
「いいのよ。借りちゃってたしね。それにしてもかなり高価なローブを着てたのね。うちにあるのが霞んじゃうくらいよ」
「そんな高価なものだったんですか。おばあちゃんのお下がりなんですが、そんな事一言も言ってませんでした」
「そうなの?あんたのおばあちゃんって凄い貴族なのかもね」
エルネスティーネの何気ない言葉にイーリスは首を振った。
「それはないです。おばあちゃんはいつもお金ないって言ってました」
「そうなんだ。まぁ、魔術師ってお金使うからね」
イーリスとエルネスティーネが談笑している時、明後日の方を向いたままの男二人は小声で会話していた。カイはまだ顔が赤い。
「イーリスさんって、いつもあの調子なんですか?」
「…そうだ」
「宿とか大変ですね」
「全くもってその通りだ」
ソルは重々しく頷く。それでいてベッドに潜り込まれるのだ。心穏やかに過ごせるはずもない。
「まぁ、でもこれで少しは控えてくれるだろう」
ソルはエルネスティーネの言葉が効いている事を祈る。
二人が揃って窓の外の景色を眺めていると、廊下から重い長靴と甲冑が擦れる音が響いてきた。音はこちらへ近づいて来る。音の主が現れるのと同時にエルネスティーネがカーテンを開けた。
部屋の入り口に立っていたのは銀の甲冑に優美な剣を装備した騎士だった。兜は外している。天を現したような黄金の髪に蒼穹の瞳。絵画の如き美しき騎士であるが、鋭い眼光が周囲に威圧感を与えている。
第一区騎士団を統括する分団長ルードルフであった。




