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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第五章 後始末
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70、追われる者と追う者

 月明かりが差し込む狭い裏路地を一人の男が小走りで移動していた。焦っているのか、路地に蹲る人や打ち捨てられたガラクタを避けようともせずに進んでいる。当然、男の通った後には罵声と騒音が撒き散らさていた。

 走る人物は汚い裏路地には似つかわしくない高価な礼服を着ていた。手に持つ黒い魔石の杖は一級品だ。

 禁忌の魔術使いドーリウはベルダンの北区をひたすら北上していた。走る彼の左腕には一筋の裂傷が刻まれている。

 傷は浅いが、痛みが鬱陶しい。この傷を与えた小娘の荒々しい魔力が腕に残っている感覚がする。思い込みなのだろうが傷が熱い。


 あの小娘があれ程の魔術を使うとは想定外だった。あのまま闘いを継続していたらどうなっていただろうか。こちらにはこの杖がある。負けるはずはない。

 しかし、そう断言しきれない雰囲気があの娘にあった。自分の半分も生きていない小娘であるが、たまに老齢の狡猾な魔女のような雰囲気を纏う。それが不気味であった。出来ればもう遭遇したくない。


 ラルスに雇われて気ままな娼館生活を楽しみ、たまに仕事をして良い生活を送っていたが、早々に逃げ出す事になってしまった。これは大きな誤算だ。

 逃げ出した原因は小娘ではない。邪魔な騎士団でもない。彼が一番恐れている者がこの街に来たのだ。

 見つかる前に早く街から出なければならない。北には一部の者しか知らない街からの脱出ルートがある。そこまで行けば逃げられる。


 路地を抜けると家屋に囲まれた小さな広場に出た。中心には共用の井戸があった。端には薬物中毒の浮浪者が数人転がっていた。

 ドーリウは薬物に興味がない。一時の快楽の為に廃人になるのはあまりにも馬鹿らしいからだ。酒や女の方が遥かに良い。

 広場を横切って奥の路地に向かう。しかし、彼にとっての最悪がやって来ていた。


「お久しゅう御座います。我が師よ」


 背筋が凍るような冷たい女の声がドーリウの背中に刺さった。急停止したドーリウが脂汗を浮かべて振り返ると、通ってきた路地から黒衣に身を包んだ長身の女が歩んで来た。

 青白磁の髪を結い上げた氷のような美貌の女だった。銀朱の瞳から感情は読み取れない。ハルバハールの軍服に似たコートの裾が風ではためく。コートの背には剣を咥えた獅子の紋様が大きく刺繍されていた。銀糸の獅子には目がない。

 彼女の手には天秤の意匠の杖が握られていた。

 ドーリウは平静を装いつつ口を開いた。


「あー、弟子よ。相変わらずの仏頂面だな。美人が台無しだぞ。」

「師も相変わらずのようで。こうして再会できて感動しております」


 言葉とは裏腹に女の顔に変化はない。


「それならもっと嬉しそうに微笑んで欲しいね。オリーヴィアちゃんの笑顔が見たいな」

「生憎、表情を作るのが苦手でして。でも感動しているのは本当ですよ」

「そうかい?俺が恋しくなった?」


 冷や汗を流しながら軽口を叩くドーリウ。その目はオリーヴィアの僅かな行動も見逃さんとしていた。

 彼女はドーリウの軽口にも表情を変えない。


「そうですね、会いたかったです。貴方が断頭台に縛り付けられるのを早く見たいですから」

「怖い事言うねー。かっこいい師を逃がすとか多少温情があってもいいんじゃない?」

「そんなもの存在しませんよ」


 オリーヴィアの冷ややかな声がドーリウに威圧感(プレッシャー)を与える。


「審問官サマは容赦ないね」

「悪党に容赦は不要でしょう」


 ドーリウは退路を探すが、よく見るとこの広場を覆うように結界が張られていた。出会った時には既に張られていたのだろう。仮に逃げたとしても足では彼女に敵わない。背後からやられて終わりだ。


「では、数年ぶりの魔術訓練といたしましょう。実力は衰えていませんね?」

「俺は衰え知らずだからな。お前がペーペーだった頃みたいに泣かしてやるよ」

「それは安心しました」


 オリーヴィアの杖の頂点、金剛石のような魔石の上部から冷気漂う氷の刃が出現した。緩く湾曲した片刃の刃は月下で美しく輝いている。

 ドーリウは自分の周囲に複数の影人形を出現させた。対峙した二人の魔術師の間に静寂が訪れる。

 ゆらりと二本の杖が動き、月下の戦闘が開始された。



*****




 月明かりを遮る暗い森の中で、魔道具の無機質な光が淡く光っていた。苔むした地面や鬱蒼と茂った木々を照らしている。

 魔物の生息域である魔の森に今宵も無謀な侵入者がいた。


「このまま西に進むと川に出るはずです」


 セスは地面に残る僅かな痕跡を辿っていた。数日前に残した自分たちの足跡。それがこの森での道標となっていた。


「もう少しだな」


 セスの後方を歩くトールは周囲を警戒しつつ、再会の可能性を信じて目に闘志を燃やしていた。

 ここまでの行程は順調であった。ルーザ氏族領では“梟”に出くわす事なく通過できていた。森に入ってからは二頭の火蜥蜴を発見したが、今回は気づかれなかった。隠匿効果のかかった外套のお陰かもしれない。


 二人は慎重に森の中を進んで行く。川まであと少しの所で頭上から大きな羽ばたき音が聞こえた。

 セスが魔道具が入ったランタンを掲げる。すると、闇の中に動くものが見えた。

 それは大きく羽をばたつかせてランタン目がけて急降下した。

 セスが掲げたランタンを引っ込めるのと、トールが双剣を一閃させるのはほぼ同時だった。

 ばさりと音を立てて、両断された巨大な蛾が地面に落ちた。蛾の胴体からは緑の液体が流れる。鷹程の大きさの蛾は、触覚の下の複眼を左右に動かすと力尽きた。目に似た模様の羽と針のような太い口吻が不気味である。


「これも魔物か?」

「でしょうね」


 二人が歩を進めようとした時、再び頭上から羽ばたき音が聞こえてきた。しかも今度は複数聞こえる。

 セスとトールは目を見合わせた。そして川の方へと走り出す。

 背後から迫る蛾の気配を感じながら森を駆け抜ける。この暗い森の中で詳細不明な複数の魔物と闘うのは危険だ。せめて月明かりが欲しい。


「川に出たら迎撃しますよ!」

「おう!」


 幸い、蛾の魔物の速度はそこまで速くない。突き離す事はできないが、追いつかれる心配もなかった。羽音は常に一定の距離から聞こえて来る。

 前方の木々の隙間から月光が漏れていた。二人は速度を落とさずに木々を抜ける。川に出た。

 河原で反転すると、二人を追った蛾の群れが夜空に舞い上がった。その数はおおよそ二十。

 羽音を立て、鱗粉を撒き散らしながらセスとトールに殺到する。


 セスは腰の刀の柄を握り低く構えた。空いた手は鞘に添える。蛾の群れが眼前に迫る。

 セスは恐ろしい速さで刀を抜き放ち、真横に振り抜いた。

 刃の軌道上の蛾は全て上下に両断される。そして断面から瞬時に凍りつき、白い彫像となった。

 刃から逃れた蛾も冷気の衝撃波を受け、後方へ飛ばされていた。霜を付けた蛾の動きは明らかに鈍くなっている。

 セスの手に握られた刀の刃は、月下で美しい波紋を輝かせていた。刃から発せられる冷気が白い煙となって地面を這う。

 手から伝わる身も凍る冷たさに、セスの表情が険しくなる。刃を鞘に仕舞うと、懐に収納している棒状の暗器を両手に取った。

 動きが鈍っても蛾は諦める事なくセスに向かう。針のような口吻を突き出していた。

 セスは冷静に一番距離が近い蛾に暗器を投擲する。 暗器は正確に蛾の頭に突き刺さる。次々に投げる暗器はどれも蛾の頭部に命中した。絶命した蛾が地面に落ちて行く。


「厄介なのは数だけですね」


 セスは蛾から距離を取りながら暗器を投擲し続ける。


 一方トールは双剣で蛾を薙ぎ払っていた。双剣の刀身には蛇のような紫電が絡み付いており、斬られた蛾は焼け焦げ炭化していた。

 トールは伸ばされた口吻を右の剣で切断し、半回転して後方にいた蛾を左の剣で斬り払う。

 真上から飛来した蛾の攻撃を後ろに跳んで回避すると、右の剣を突き出した。剣に絡み付いていた紫電が鎌首をもたげ、飛来してきた蛾に向かって放たれた。

 紫電は蛾に命中するといとも簡単に炭化させた。トールが剣を引くと刀身に新たな紫電が纏わる。


 トールが双剣を振るう度に炭化した蛾の死体が出来上がる。周囲には焦げた臭いが充満していた。

 双剣に目を落としたトールは思わず笑う。


「こりゃあ強えわ」


 トールは河原の大きな岩に駆け上がると、蛾の群れに向かって跳んだ。蛾が一斉にトールへ口吻を突き立てようと集まる。

 トールは回転しながら双剣を大きく振った。すると剣先から紫電が四方に放たれる。

 眩い光と共に蛾の群れは一瞬にして双剣と紫電に蹂躙された。

 トールが着地すると同時に、炭化した蛾が地面に降り積もる。上を見上げると、紫電の直撃を回避した一匹の蛾がフラフラと飛んでいた。さっきの一撃で紫電は使い尽くした。双剣では高い位置を飛ぶ蛾を捉えられない。

 トールがどうしたものかと考えていると、彼の頭上を越えて飛来した暗器が蛾の頭部を貫いた。


「おっ、流石」


 トールは紫電が消えた双剣を納刀すると、後ろを振り返った。


「これで全部仕留めましたね」


 手の中の暗器をくるりと回したセスが周囲を見渡す。そしてトールに咎めるような目を向けた。


「それは非常事態の時だけ使う予定でしたよね」


 トールはセスから目を逸らして頬を掻く。


「いやぁ、今のが非常事態かなって…」

「この程度で非常事態にはなりません。あなたは剣の魔術を使ってみたかっただけでしょう」

「…バレてた?」

「バレバレです」


 トールは双剣の柄を握った。その顔は叱られる子供のようだった。


「だって、これを支給されてからずっと使ってみたくてしょうがなかったんだよ!」


 セスは呆れてため息をついた。


「その剣は魔術の使用回数が決まってるんですよ。使いどきを見極めないと直ぐに使えなくなります。魔術師の同行者は居ないのですから、もっと慎重に使ってください」

「…はーい」


 トールは一応反省していた。

 彼の持つ双剣は雷の魔術を付与されている。非魔術師でも込められた魔力の分だけ魔術を使用できる魔剣であった。

 しかしながら、込められた魔力が枯渇すれば魔術は使えなくなる。魔力を込めてもらえば再び使用できるようになるが、それができるのは魔術師のみ。

 この双剣には出発前に館の魔術師に魔力を込めてもらっていた。もちろんエリザ以外の魔術師に。

 彼もその事は承知していたが、初めて使う魔剣の魔術が気になり、つい使ってしまっていた。


「セスのはいいよな。使用回数に制限ないからよ」


 トールはセスの刀に目をやった。セスは嫌そうな顔をしている。


「あなたはこれの危険性を知らないのですか?」


 トールは首を縦に振った。


「これの前の使用者は戦闘中に全身が凍りついて死にました」

「マジかよ…」

「使い続けると身を滅ぼす妖刀の類いです」


 この刀は氷の魔術を付与されている。だが付与された魔術が強過ぎて、鞘から放つだけで勝手に魔術が発動してしまう。コントロールできれば非常に強力なのだが、一歩間違えれば使用者まで傷付ける。

 そしてどういう仕組みか、この妖刀はいくら魔術を行使しても魔力が枯渇する事がなかった。込められた魔力が強大なのか、内部に魔力を生み出す機関があるのか。はたまた呪いの産物か。それは遥か過去に存在した製作者にしか解らない。


「私だって出来れば使いたくない。でも残念ながらこれは私の事を気に入っているようでしてね」

「それは聞いた事ある。その剣は使い手を選ぶんだろ」

「そうです。全くどうして私が」


 セスは憮然とした表情で、蛾から暗器を引き抜き回収する。

 彼にとって、前任者を死に至らしめた妖刀は不吉の象徴だった。そんな存在に気に入られても嬉しくない。死神に笑顔を向けられている気分だ。

 セスは棒状の暗器を振り緑の体液を払った。それを見ていたトールも暗器回収を手伝う。


 作業が終了すると二人は川を越え対岸へ渡った。細い獣道を歩いて行くと、あの家がある広場に着いた。

 数日前の出来事が頭に蘇り、緊張感が増す。

 低木の茂みに身を潜めランタンの光を消した。月明かりに目を慣らすと家の様子を観察する。家に灯りはついておらず静まり返っていた。


「人の気配がないな」

「不在のようですね」


 二人は気配を殺し家へ接近した。セスが窓から内部を確認する。やはり人の気配はない。正面に回り玄関扉に手をかけると、軋んだ音を立ててすんなりと開いた。施錠されていない。

 足音を立てずに室内へ侵入する。トールが居間、セスが奥の部屋を調べた。

 結果、この家には誰も居なかった。例の魔術師が不在で、二人の張り詰めた空気感が少しだけ和らぐ。

 セスは光量を落としてランタンに光を灯した。


「今のうちに奴の痕跡を探しますよ」


 トールは頷き床下を調べ始めた。セスは寝室を再度調べる。ベッドは二つで、壁には本がぎっしり詰まった本棚が並んでいる。クロークには女物の服ばかりだった。

 セスは本棚から適当に本を手に取りページを捲った。内容はよくある魔術に関する本だった。しかし、これは普通の本ではなかった。分厚い紙に文字が深く刻まれている。触ると凹凸で文字の形が分かる。


「セス!こっちに来てくれ!」


 居間からトールの声が聞こえた。セスは本を戻し声の元へ行く。


「何か見つけましたか?」

「あぁ、これを見てくれ」


 トールの手には一枚の紙切れがあった。セスは紙を受け取るとランタンの光に当てる。そこにはおばあちゃん宛の伝言が書いてあった。

 おばあちゃんが帰らないので探しに行く事や元兵士の強い人が同行してくれるので心配しないで欲しい、まずはセレスタに行く、と簡潔に書かれていた。

 セスが顔を上げると、目を輝かせたトールが腕を高らかに上げていた。


「やっぱりソルは生きてんだ!俺の思った通りだ!」


 小躍りするトールを鬱陶しそうに見るセスであったが、彼も獣憑きの生存を嫌々ながらも確信した。状況から見て、伝言にある元兵士の強い人とは獣憑きで間違いないだろう。


「あの魔術師に私たちはまんまと騙されたようですね」


 ここで起こった事は全てあの魔術師の演技だったのだ。獣憑きを助け、同行者にする為の。見抜けなかった事が悔やまれる。


「早速そのセレスタって街に行こう!」


 トールは今にも家を飛び出しそうだ。それをセスが腕を上げて制す。


「待ちなさい。もっと例の魔術師に関する情報が必要です。あれと協力関係にあるなら非常に厄介ですよ。いくら魔剣があっても闇雲に突っ込んでは返り討ちに合うだけです」


 セスの言葉にやや冷静さを取り戻したトールは、前傾姿勢になった身体を起こした。


「そうだな。魔術師相手に油断は禁物だもんな」

「理解したなら魔術師の素性が分かる物を探してください。あと、アルバロ様に連絡を。鳥を飛ばします」


 二人は機敏に行動する。いつ魔物が来るとも分からないこの森に長居は出来ない。

 獣憑きの生存の確認から追跡へと変わった今、求められるのは彼らの痕跡を少しでも多く拾う事。そして早急に追わねばならない。

 セスにとって獣憑きの生存は想定外であった。ここで任務が終わらなかったのは不服であるが、前回の失態を取り返す機会が来たと思うしかない。

 縁が切れた筈の獣憑きとまた関わる事になるとは。セスは己の不運を呪いながら室内を調べる。


 追う者の気配が静かに国境を越えようとしていた。追走劇が再び始まる。



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