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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
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69、終幕

 ルードルフは剣を優美な鞘に仕舞うと、表情を変える事なく階段を上がる。彼はソルとイーリスを一瞥したが特段反応は無かった。

 ソルはグラドールの腕を斬った謎の剣技が気になっていた。落ちた腕の断面は美しく、非常に鋭利な物で切断されたと推測される。森で見た黒蛇姫(エキドナ)の攻撃に似ている。だとすれば、あれは魔術の一種なのだろうか。ソルは無意識にこの剣技をどう攻略するか考えていた。闘いを生業としていた者の癖だった。


「あれ、今横を通った人、会った事のある人ですか?」


 イーリスが小声でソルに問う。思考から引き戻されたソルは首を横に振った。


「今のはどこかの騎士団長だぞ。俺たちが会っているはずがない」

「そうですか、どこかで嗅いだような匂いが一瞬したんですが。気のせいですかね」


 イーリスは指を顎に当てて首を傾げている。これだけの実力を持った武人なら、一度会っていれば忘れないだろう。

 二階では腕を失って痛みに膝をつくグラドールをルードルフが鋼の瞳で見下ろしていた。腕の断面を押さえて呻くグラドールは、失血により蒼白になった顔を上げた。


「英雄気取りが、これで世直しでもしたつもりか」

「これはその第一歩だ。長い黎明の時が始まる」

「若造が、明けぬ夜を永遠に彷徨うがいい」


 グラドールが呪詛の言葉を吐く。しかし、英傑の騎士は揺るがない。


「アラン・グラドール、貴様を罪人として拘束し王都へ連行する。裁きを受けよ」


 ルードルフが片手を上げると彼の部下の一人が素早く階段を駆け上がり、グラドールの腰と残る腕に縄をかけた。出血の止まらない断面に手早く治癒の護符を貼ると縄を引っ張り、項垂(うなだ)れているグラドールを立たせた。

 階下では他の部下がグラドールの部下たちを拘束していく。意気消沈した団員の中に抵抗する者はおらず、皆自ら武器を放棄していた。

 事態が収集した事にソルはようやく心から安堵した。

 隣のイーリスは背後に転がっていた小箱に気づき、手に取って撫で回している。気になってしょうがないようだ。臭いので開けないで欲しい。


 二人の横をグラドールを引き連れた団員が降りて行く。グラドールはイーリスに目もくれず俯いたままだった。その顔には虚無感と絶望があった。権力に溺れた者の末路であった。

 その後をルードルフが降りて来る。彼はイーリスの横で足を止めると、彼女の手から小箱を取り上げた。


「あっ…」

「これはれっきとした禁具だ。魔力の強い者が触ると誤って術が発動してしまう事がある。観察は終了にして頂きたい」


 不満気なイーリスにルードルフは淡々と説明した。 彼はイーリスとソルを交互に見ると、この惨状について問うた。


「先にここで暴れていたのはお前たちか」

「そうだ。彼女が誘拐されてな、助けに来たらこうなった」


 ソルは経緯と、この違法娼館の連中と戦闘になった事を軽く説明した。


「そうか、そこの獣憑きを倒したのはお前か。奴には部下を何人か殺されていた。礼を言う」


 ルードルフはソルの目を見ても一切表情を変えなかった。だが、正面から見た蒼穹の瞳には僅かに暖かさが感じられた。


「そして影の魔術師を退けたか。審問会に追われている悪党だ。報復に来る可能性が否定できない。身辺には気をつけよ」


 ソルは顔を曇らせる。対してイーリスは何故か嬉しそうだ。


「あの人にはもう一回会いたいと思っていました。来てくれるならちょうどいいです」


 これにはルードルフの鉄面皮も理解不能と言わんばかりの表情に変わる。しかしそれは一瞬で、また元の厳しい顔に戻る。


「して、お前のその怪我。かなりの重傷と見た。街の外に腕の良い医者と魔術師を待機させている。治療にあたらせよう」

「ありがたい」


 ソルは赤く染まった脇腹を押さえる。やはり、完全に止血には至らず少しづつ出血していた。グラドールより遥かに顔色が悪い。

 イーリスがまた不安気にソルに顔を向ける。


「診療所まで運ばせよう」


 ルードルフは部下の一人に声をかけ指示を出した。


「離れにまだ」


 ソルがエルネスティーネとカイの事を伝えようとしたが、これまでに何回か感じた視線を察知し言葉を紡ぐのを止めた。気のせいではない。この視線はずっとソルを追いかけている。周囲を見回すがここには騎士団員しかいない。

 視線はルードルフも察知しており片手が剣の柄、女神の頭にかかっていた。

 緊張した空気の中、イーリスの腹が情けない悲鳴を上げた。


「お魚食べたいです」


 彼女の呟きが力なく落ちて行く。それと同時に感じていた視線が消えた。

 ルードルフが手を下ろす。ソルも警戒を止めた。

 玄関から荷車を引っ張った団員が入って来た。どうやらあれで運ばれるようだ。

 ソルは団員に支えられて立ち上がる。イーリスは杖を持って立とうとしたが、重くて持ち上げきれず諦めた。仕方なく杖を置いて立った時、琴切れたように前へ倒れた。

 ソルが手を伸ばすよりも先にルードルフが彼女を抱き止めた。頬に冷たい鎧の感触を感じたイーリス。自分の体が動かない事に気づいた。


「あれ?おかしいですね。何で動かないんでしょう」

「お前も治療が必要のようだな」


 ルードルフはそのままイーリスを両腕に抱え上げると階段を降りた。

 ソルも後に続く。動く度に痛みが体を駆け巡る。ようやく荷台に腰を下ろした時には、額に脂汗が浮いていた。

 先に荷台に横たわらせてあったイーリスの隣に寝転ぶ。彼女は神妙な面持ちで何かを思案していた。

 やがて荷車がゆっくり動き出す。すれ違うようにして新たな団員の一団が屋敷内に入って来た。ソルが少しだけ顔を上げると、エントランスの中央で指揮を取るルードルフの姿が見えた。まさに英雄に相応しい容姿と出で立ちの男はマントを翻し屋敷の奥へと歩んで行った。

 頭を戻したソルはエルネスティーネとカイの事を伝え忘れた事に気づく。再び頭を上げた時にはすでに玄関から外に出ていた。ルードルフの姿はもう見えない。

 ソルが荷車を引く団員に声をかけようしした時、横から聞き覚えのある足音が近づいて来た。荷車が停まる。


「あなた方もここへ捕らわれた被害者ですか?」


 団員が足音の主に問う。その声には警戒感が含まれていた。


「そうです。僕は誘拐されたお嬢様を助けにここへ来ました」


 その声を聞いたソルは痛む脇腹を押さえて上体を起こした。


「あ!ソルさん!良かった、無事だったんですね!」

「お前もな」


 ソルとカイの様子を見て警戒を解いた団員は、カイに背負われているエルネスティーネに視線を向けた。


「その方も診療所へ行った方がいいですね。荷台に載せますか?」

「いえ、僕はまだ大丈夫なので、このまま背負って付いて行きます」


 頷いた団員が歩みを再開する。動き出した荷車の隣にカイが近づいてきた。


「これ借りていた杖です。イーリスさんにお返しを、ってイーリスさんもそこに居たんですね!」

「その声は、確かカイ…さんでしたよね。エルネスティーネさんは無事ですか?」

「今は気を失っていますが無事ですよ」

「よかったです」


 イーリスは仰向けのまま安堵した表情となった。

 エルネスティーネが羽織っているローブのフードからアビィが飛び出してきた。短い足を荷車の縁に着地させると更に跳んでイーリスの横に転がった。そして、仰向けの彼女の体の上によじ登る。アビィの存在を感じ取ったイーリスは再開を喜ぶ。

 ソルは手を伸ばしてカイの腰にぶら下がっている杖を外した。そこで力なく垂れ下がるカイの右腕に気づく。


「その腕はどうした」

「悪徳魔術師にやられました。全く動かないんです」

「変な影を使う魔術師か」

「そうです。イーリスさんの助けがなかったら僕は死んでました」


 影との闘いを思い出したのか、カイの顔に苦悩が刻まれる。しかし、それを頭を振って振り払いイーリスに笑顔を向けた。


「イーリスさん、本当にありがとうございました。あの金色の狼、凄かったです」

「あれは金色だったんですね」


 やや照れたようなイーリスの呟きにカイは首を傾げた。そう言えばカイは彼女が盲目だと知らない。

 ソルは荷台に投げ出されているイーリスの手に杖を載せた。彼女にいつもの輪郭の世界が戻った。

 ソルは力尽きたように体を荷台に横たえた。


「あの小僧から取り返してイーリスに渡せるまでに随分時間がかかったな。すまない」

「ソルさんは何も悪くないですよ。謝らないでください。悪いのは杖を盗んだ人とあの屋敷の人たちです」


 イーリスがぼそっと、屋敷ごと潰せばよかったですね、と言ったがソルは聞かなかったことにした。彼女ならやりかねないので恐ろしい。

 ソルは冷たい指先で額の汗を拭った。夜のひんやりとした空気が心地いい。鼻に残った血生臭さが消えていく。ソルは微動だにしないイーリスに目を向けた。


「イーリスは大丈夫なのか?さっきから指すら動いていないが」

「何でしょうね。全身の筋肉が動くのを拒否しているみたいです。もしかしたらこれも身体強化の反動なのかもしれません」


 ソルはイーリスがラルスを吹き飛ばした時の事を思い出した。あれは身体強化によるものだったのか。それなら納得できる。


「今日は美味しい夕食はおあずけですね」

「治療が終わったら行こう。必ずだ」


 悲し気なイーリスにソルが断言すると、彼女の表情が和らいだ。


「そうですね。楽しみに待つとしましょう」


 期待のこもった声を聞きながら、ソルは急激に意識が遠くなっていくのを感じた。失血と疲労により体が活動限界に近い。半分まで下がった重い瞼を開けようとするが上がらない。

 ソルが意識を失う寸前に見たのは満点の星空だった。



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