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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
67/72

67、袋の鼠

 割れた二階の窓から一匹の小鳥が入って来た。小鳥はドーリウの周囲を一周飛び、彼の肩に止まった。小さく囀るように鳴く。ソルにはそれが人の声に聞こえた。距離があるので何と言っているかは分からない。それはイーリスも同様だった。

 囀った小鳥は急にこと切れ床に落ちた。落下した衝撃で小さな羽毛が数枚舞った。

 ドーリウの顔が険しさを増す。


「あーあ、面倒臭い事になったな」


 頭を掻きながら杖で床を突いた。彼の足元から黒い霧が発生し周囲を覆っていく。霧は瞬く間にエントランスに広がり視界を遮った。霧は視界だけでなく、魔力探知も妨害しており完全にドーリウを隠していた。


「まさか、逃げる気ですか?」

「そのまさかだよ」

「させません」


 イーリスの周囲に数十もの黄金の矢が展開し、ドーリウがいた場所に射出される。角狼は半身を影人形に残して上半身のみでドーリウへ飛びかかる。

だが、手応えがない。


「じゃあな、恐ろしい魔女っこ」


 遠くからドーリウの声が聞こえたのを最後に静寂が訪れる。イーリスの周囲に展開していた第ニ陣の矢は、射出される事なく金色の燐光となった。

 霧が消失した跡にはドーリウ姿はない。白い大理石に数滴の血痕が残るのみだった。獲物を捉えられなかった矢は床や壁と大きく穿っている。矢が消失すると、館の外を逃げていく護衛たちの後ろ姿が見えた。

 怯えていた生き残りの男たちもいなくなっている。どさくさに紛れて逃げたようだ。


「探知を妨害されると狙いが定まりませんね」


 イーリスは残念そうに息をついた。

 ソルは正直安堵していた。自分が闘えない状態で魔術の応酬の渦中にいるのは、砲弾飛び交う戦場に装備なしで放り込まれたような気がして、変に緊張してしまう。

 エントランス惨憺たる有様になっていた。白い大理石は蝙蝠の残骸と血で染まり、天井には巨大な二つの穴。暗い空がこちらを覗いている。窓硝子は全て割れ、冷んやりとした外気が入ってきている。


「まだいろんな魔術を経験できると思ったのですが」


 不服そうなイーリスは口を尖らせていた。

 獲物を見失った角狼がイーリスの側に寄る。その時、乾いた音を立てて黄金の魔石が砕け散った。

 途端に角狼の形が揺らぎ消えた。


「あら、この杖も持ちませんでしたか。使いやすかったのに残念です」


 ソルはセレスタのコンラートの言葉を思い出した。頑丈な魔石でないとイーリスの魔力に耐えられないと。この黄金の魔石もまた彼女の魔力に耐えられなかったのだ。

 イーリスは杖を労うように撫でた。


「んー、探知くらいなら少しだけ使えそうですね。もうしばらく頑張ってもらいましょう」


 膝の上の杖の中央付近を握る。その顔には薄っすら疲労の色が見えた。


「疲れたのか?」

「…はい。今日はいろいろありましたし、やっぱり慣れない杖で魔術を使うといつもより集中力が必要でした。それに…」


 イーリスの腹からひもじいと悲しい音が聞こえた。


「お腹減りました」


 ソルの顔が緩む。

 蝙蝠の血が階段を伝って流れてきていたが、疲労に満ちた体に気にする余裕はない。イーリスの白いローブも赤い斑模様ができていた。

 重傷を負ったソルには疲労感と倦怠感が強く空腹感はあまり感じていなかった。よく考えたら朝食べた以来何も食べていない。しかし、疲労した体は何も欲していない。

 それでもソルの口からは同調の言葉が出ていた。


「確かにそうだな」

「夕食は美味しいお魚が食べたいです」

「あぁ、いい店を探そう。この街は川沿いにあるから期待できそうだ」

「楽しみです」


 ソルには食事よりも医者が必要なのだが、今は彼女の楽しみを奪いたくなかった。重い瞼を開けてイーリスの横顔を眺める。

 魚の調理法で悩む彼女の言葉に相槌を打ち、魚の種類によって最適な調理法は変わることを話す。

 血と蝙蝠の細切れ死体の山に囲まれて、和やかな会話が繰り広げられる。満身創痍の剣士と空腹の魔術師の他愛のないやり取りが、非日常の中に少しだけ日常を取り戻していた。




*****




 離れの二階の奥で、エルネスティーネを片手で背負ったカイが歩いていた。右腕は力なく垂れ下がっている。その足取りは重く、歩く速度も遅い。

 背中のエルネスティーネは、疲労と魔力切れにより気を失っていた。カーテンを割いて作った紐で彼女の体を固定しているが、何度かずり落ちそうになっている。

 カイの腰には小さな青い魔石が嵌った木製の杖が紐にぶら下がっていた。歩く度に甲冑に当たり軽い音を立てている。

 若き剣士は今ここに自分の命がある事が信じられなかった。命を吸い取る影人形に追い詰められ死を覚悟していた。だが、あの時救世主が来たのだ。


ー数十分前ー


 エルネスティーネとカイは何体もの影人形に追われ奥へと逃げていた。カイは歩行が困難なエルネスティーネを脇に抱えて後退する。

 影人形はじわじわと追い詰めるように追って来ていた。あの魔術師が追って来ていないのがせめてもの救いだった。カイは距離を取って退路を考える。右腕が動かない為逃げるしかない。動いたとしてもどうしようもないのだが。


 廊下の角を曲がった時、突如として異様な空気にのまれた。嫌な威圧感を感じる。エルネスティーネも同じで身震いしていた。


「何よ、これ。これもさっきの奴の魔術なのかしら…」


 カイは角から顔を出して影人形たちを確認した。すると、影人形は動きを止めていた。


「あいつら、動いていません。もしかしたら別の人の魔術か何かかもしれません」

「だとしても、こんな威圧感放つ奴がまともとも思えないわ」


 エルネスティーネは抱えられたまま自分の腕をさする。

 謎の威圧感はその後数秒程で消えた。結局何だったのかは分からない。

 影人形は主人の命令を待つかのように動かない。そして、二体を残して他の影人形は床に沈み消えた。

 魔術師に何があったのか知る由もないが、カイに僅かな希望が差した。

 だが、その喜びも束の間に影人形が動き出した、しかもさっきより速度が速くなっている。慌てて顔を戻したカイは奥へと走って逃げる。


 最深部には倒れている侍従と、開け放たれた監禁部屋があった。カイは侍従の側に落ちていた鍵を拾うと部屋に逃げ込んだ。エルネスティーネを下ろし扉に鍵をかける。これで少しは時間を稼げるはずだ。

 カイはエルネスティーネを奥の窓側まで移動させた。壁を背もたれにして座らせる。


「あたしたち、袋の鼠ね」

「僕が、護ります」


 悲壮なエルネスティーネを励まそうとカイは精一杯の虚勢を張った。

 扉に何かが当たる音がした。


「来たわね」


 カイはエルネスティーネの前に立ち左手で盾を構えた。


「ねぇ、あんただけだったらそこの窓から逃げれるんじゃない?鉄格子、魔術でぶっ壊してあげるから」

「お嬢様を置いて逃げられません!」


 エルネスティーネの提案にカイは振り返って即答した。


「少なくともあたしは直ぐに殺されることはないんだから、今は自分の心配しなさいよ」

「いいえ、それはできません。こうなったのは僕のせいです。僕がもっと強ければお嬢様を誘拐されずにすんだのに」


 忠実な従者の顔には苦悩が刻まれていた。エルネスティーネは強張った口元を緩ませた。


「ふっ、あんたって本当バカ真面目ね。何食べたらそんな風になるの?」


 カイは叱責はあれど、笑われるとは思っていなかったので一瞬固まる。


「これはあんたの責任じゃないわ。あたしの慢心のせい。索敵は魔術師であるあたしの役目なのに気づけなかった。もっと注意を払っておくべきだったわ」


 素直に己を見つめるエルネスティーネにカイは驚いた。いつもなら失態があってもこんな愁傷な言葉は出てこない。


「何よその顔。あたしだって成長するんだからね」


 少し照れた様子のエルネスティーネ。しかし、その顔は直ぐに真剣な面持ちに変わる。


「だから、逃げなさい。これは命令よ」

「そんな!」

「逃げて、増援を呼びなさい。追い詰められた以上他に手はないわ」

「いけません!」


 カイは魔術を使おうと集中し始めたエルネスティーネの肩を掴んだ。


「ちょっと、離しなさいよ!この杖使いづらいんだからちゃんと集中しないと種火すら起こせないの!」

「やめてください」


 カイの真っ直ぐな眼差しがエルネスティーネの目を捉えた。


「もうお嬢様を一人にしません」

「この分からず屋!あんたがここにいても殺されるだけでしょ!」


 扉からはミシミシと大きな圧力をかけられている音がする。扉が破壊されるのも時間の問題だろう。

 カイの肩越しに軋む扉を一瞥したエルネスティーネは杖を振って彼を追いやった。

 この愚直な従者はどこまでもエルネスティーネの心配をしている。ここで彼女から離れたら再び会える保証はどこにもないのだ。例え増援を連れて来れたとしても、その間に彼女の心身が害される可能性もある。

 カイはエルネスティーネの前で片膝をついた。


「二人でここを脱出します。それしか選択肢にありません」

「本っ当バカね!」


 エルネスティーネの目に涙が滲む。彼女は慌ててカイから目を逸らす。

 カイの背後で扉が歪んだ。限界が来たようだ。立ち上がったカイは、嫌な音を立てる扉に盾を向ける。

 エルネスティーネは両手で杖を握りしめた。

 本当は一人になるのがたまらなく怖かった。だから逃げる意思のないカイを見て、内心安堵している自分がいた。

 しかし、カイはここにいたら影人形に殺される。張り倒してでも逃げさせたい。混沌とした感情が渦巻き思考が纏まらない。

 その時、扉が膨張して弾け飛んだ。


 二体の影人形が部屋へ侵入する。カイは盾を構えて突進した。手前の一体を盾で薙ぎ払う。後方の影人間の手が伸びて来る。カイは横に転がって回避し、起き上がり様に床を蹴ってもう一体に盾ごと体当たりした。

 霧散した二体の影人間は直ぐに元通りに再生する。両腕を広げてカイに迫る。

 カイは盾を振って影の腕を払った。残る腕がカイの脚へ伸びる。脚を引くが影人形の方が速い。だが、伸ばされた腕は結界によって阻まれた。その隙にカイは影人形から一歩下がる。結界は脆く、秒で壊された。


「もう死にそうになってんじゃない!」


 エルネスティーネの怒鳴り声が響く。しかし、その声に張りはなく呼吸も荒い。魔力は枯渇寸前。結界を形成するのも精一杯だった。


「助かりました」


 影人形の抱擁を回避しながらカイが返事をする。死を目の前にした緊張で額に脂汗が浮いていた。

 攻撃を回避して盾で霧散させる。危うい攻撃はエルネスティーネが結界で防御する。ギリギリの均衡だった。カイはいつ死んでもおかしくない。こんな状況、長くは耐えられない。

 エルネスティーネは極限の緊張の中、助けが来るのを祈っていた。何でもいい、この状況を打破できるものであれば。

 影人間の腕が鞭のようにしなり盾に叩きつけられた。軽そうに見えたがその衝撃は強く、カイは後方に飛ばされた。

 そこへもう一体の影人形が素早く近づき覆い被さろうとした。エルネスティーネの脆い結界では阻めない。

 カイが体勢を立て直そうとするが間に合わない。迫り来る死に少しでも抵抗しようと、転がったまま盾を掲げる。

 エルネスティーネの顔が悲痛に歪む。


「カイ!」


 彼女が叫んだその時、部屋の窓硝子を壁や鉄格子ごと破壊して巨大な黄金の狼が飛び込んで来た。狼は太い前脚でカイを襲おうとしていた影人形を薙ぎ払う。 強靭な後ろ脚はもう一体の影人形を蹴り飛ばす。

影人形が再生すると牙を剥いて噛みちぎり、攻撃の(いとま)を与えない。

 狼にとってこの部屋は狭いが、エルネスティーネやカイが攻撃に巻き込まれないよう器用に動いている。

 命の危機を脱したカイは身を低くしてエルネスティーネの側へ行った。その間も狼は影人形を執拗に攻撃し続けている。


「こ、これは一体…」


 突然の事に呆然としていたエルネスティーネだったが、カイの声で我に返った。この黄金の狼、これを形成している荒々しい魔力は彼女の知ったる者だった。


「イーリス、あの子の魔術だわ」


 エルネスティーネは眼前の狼を信じられない思いで観察する。命令を組み込んで自動で行動する擬似生命体を作り出すのは、並大抵の魔術師では出来ない。構成が複雑で緻密なコントロールと膨大な魔力を必要とするからだ。


「とんでもない奴ね…」


 その声には感嘆と呆れが混じっていた。そこに嫉妬や羨望はなかった。あの盲目の魔術師の実力を素直に認めていた。

 隣のカイは額の汗を拭いて深呼吸をしている。


「イーリスさんのって事は、ソルさんが無事救出したんですね。よかった〜、命拾いしました」

「でも、彼女たちがここに来ないという事は向こうで何か起こってるんでしょうね。あのクサレ魔術師以外にも厄介なのがいるのかしら」

「そうかもしれませんね」


 二人の目の前では黄金の狼が影人形をおもちゃのように破壊され霧散している。よく見ると狼の額からは一本の角が生えている。エルネスティーネにはイーリスが何を思って造形したのか分からない。

 狼が幾度となく攻撃を継続していると影が薄くなり、最終的には霧散して消えてしまった。影の魔術師が魔力の供給を辞めたのか、影人形の耐久力が無くなったのかは不明である。ひとまず大きな脅威は去った。

 狼は部屋の中央に座って二人を見ている。

 カイは廊下に顔を出し新手が来ないか確認した。廊下は静まり返っており敵の気配はない。

 実は狼がここへ来る際に、離れ玄関付近にいた男たちを蹴散らしていたのだが、二人は知る由もない。


「誰もいないみたいです。ここを出ましょう」


 カイはエルネスティーネを連れて脱出を試みた。


 そして現在に至る。エルネスティーネは緊張の糸が切れたのかあの後直ぐに気を失った。救世主である黄金の狼もしばらく着いてきていたが、急に消えてしまった。イーリスやソルに何もなければいいのだが。


 薄暗い廊下をカイは進む。相変わらず動かない右腕がやたら重く感じる。背中のエルネスティーネの方が重いはずだが、それは気にならなかった。主人が居ると言う確かな重みが、今の彼の気力の源となっていた。

 不安も尽きないが、それらを振り払って無心で歩む。

 前を見ていたカイの視界の端に光る物が映った。顔を横に向けると窓の外、外壁の向こうに銀色の甲冑の群れがあった。騎士団だろうか。まだ完全に日は沈みきっていないが、ランタンを持っている者もいた。

 彼らがしっかり仕事をしていてくれたらこんな事にもならなかった、カイはそう思ってしまった。八つ当たりであるがそう思わずにはいられなかった。騎士団の腐敗は今に始まった話ではないが、いい加減どうにかして欲しい。

 頭を振って気を取り直し、角を曲がる。この先には階段がある。カイは警戒しつつ慎重に歩を進めた。


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