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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
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66、黄金の狼

 イーリスの手が振り下ろされると、彼女の頭上から巨大な金色の狼が現れた。黄金の燐光を纏った狼はドーリウの眼前に降り立ち、激しく威嚇し始めた。見上げるほどの体高の狼の額からは一本の角が生えていた。

 ソルはその狼を覚えていた。角狼(ホーンウルフ)だ。実物よりかなり大きく荒削りであるが間違いない。

 ドーリウは全身が粟立つ感覚に襲われた。桁違いの高濃度の魔力で造られた角狼からは、押し込めきれない魔力が放射されている。


「何だこの化け物は…」


 背中を冷や汗が流れる。

 イーリスが手を横に振ると角狼は高く跳び、二階の窓を突き破って外に出た。


「二人を護ってくださいね」


 角狼を送り出したイーリスは再び手を上げた。


「すいません、お待たせしました。あなたにも同じものを差し上げますね」


 イーリスの手が動くとさっきと同様の角狼が現れた。金色の角狼は牙を剥いて主人の命令を今か今かと待っていた。


「おいおい、こんな威圧感(プレッシャー)オリーヴィアと対峙した時以来だぞ」


 ドーリウは杖を掲げる。彼の周囲の影人形が大きさを増した。イーリスの角狼の体高には及ばないが、それでも大きい。

 イーリスの手が振られるのと影人形が角狼に殺到するのはほぼ同時だった。

 角狼は一体の影人形を強靭な顎で噛み砕き、前脚の爪で二体をまとめて切り裂く。残る一体の影人形が角狼に纏わりついた。影人形が触れた部分が削り取られるように消えた。

 首から下をごっそり削られた角狼が揺らぐが、瞬く間に黄金の体が再生した。纏わりついていた影人形を体を振って剥がし、前脚で粉砕する。

 攻撃を受け霧散した影人形も次々と再生する。

 角狼と影人形が破壊、吸収、再生を繰り返す。


「あっちの魔力が尽きるのが先か、こっちの容量オーバーが先か…」


 ドーリウは苦しげに呟くと、魔術による擬似生命体同士の戦いの場から数歩後ろに下がった。


「そんなの悠長に待ってるワケないだろ」


 ドーリウの背後に何本もの黒槍が孔雀の羽のように広がった。黒槍は影人形たちの上を飛び、一直線にイーリスへ殺到した。

 しかし、黒槍は結界に阻まれて全て弾かれる。ドーリウが手を開き、握りしめた。すると弾かれた黒槍が帯状に分解され結界に巻き付いた。黒い帯は結界を締め上げる。

 イーリスは帯が触れている部分の結界が薄くなるのを感じた。これも魔力を吸収するのだろう。彼女に焦りはない。手首をくるりと回すと、帯が幾重にも切り裂かれ黒い粒子となって消えた。


 ソルの目は帯が何に切り裂かれたか捉えていた。これは偽木生(フェイクツリー)との戦闘時に見た魔術だ。結界から多数の刃が生え、それが高速で周囲を旋回していた。結界に近づく者を問答無用で細切れにする凶悪な魔術だった。


「こっちもお返ししないとですね」


 イーリスが五指を広げると、彼女の背後に五本の巨大な剣が現れた。カリーナの両手剣に形が酷似している。直立不動の騎士のように黄金の剣が並ぶ。

 白い指がドーリウの方へ向けられると、剣が高速射出される。剣の軌道上にいた影人形二体を真っ二つにし、五本の剣がドーリウの首を狙う。

 結界で防御しようとしていたドーリウだったが、黄金の剣を見て瞬時に結界での防御不可だと判断。自身の周囲に複数の影人形を作り出した。影人形たちは縦横に伸び主人を覆った。

 煌めく黄金の剣は影に触れた瞬間に吸い込まれ消えた。イーリスは指揮者のように手を動かし、残る三本の剣の軌道を上へと変えた。三本の剣は寄り集まって螺旋状に動き天井を貫いた。大穴が空いた天井からは、瓦礫となった屋根の一部が真下にいるドーリウに降り注ぐ。

 影では落ちてくる瓦礫を防ぎきれない。影の魔術師は横に転がって瓦礫を回避する。そこへ五本に増えた剣が天井を大きく破壊して降って来る。

 ドーリウは影を伸ばし身を守ろうとするが、剣の方が速かった。闇夜の瞳が黄金の輝きに埋め尽くされる。

 剣がドーリウを貫く寸前、彼の頭上に虹色の魔法陣が出現した。三本の剣は魔法陣に当たると粉々に砕け散った。剣と魔法陣の衝突の衝撃でエントランスに嵐が吹き荒れる。窓硝子が割れ、所在無さげだった男たちが慌てふためいている。

 短い嵐が去った後には金色と七色の燐光だけが残っていた。


「金貨二百枚が消えた…」


 悲しげなドーリウが懐から灰になった護符を取り出し放った。


「命には代えられないか」


 イーリスの魔術を防いだのは非常に高価な護符だった。持ち主の意思によって発動し、強力な結界を展開する。この護符に防げない魔術はない、らしい。


「おもしろいですね、もっといろんな魔術を知覚させてください」


 イーリスは悠然とドーリウを見下ろす。この状況を本気で楽しんでいる。好奇心に満ちた目は本来なら可愛らしいもののはずだが、彼女からは狂気じみた邪悪さが感じられた。


「俺で魔術のお勉強か?勘弁してくれ」

「禁忌魔術なんて使う人いないですからね。あなたのような魔術師は貴重です」


 ドーリウの背には冷や汗。この娘からは異質な何かを感じる。膨大な魔力とコントロール力を持ちながら、行使する魔術は荒々しい。嵐と闘っているような感覚になる。


「精々頑張って私を楽しませてください。今日は嫌なことが多かったですから、少しは楽しい思いをしないと割に合いません。ほら、禁忌魔術をもっとください。私はまだまだ空腹ですよ」

「お前、いい感じにイカれてんな」


 イーリスの毒の滴る微笑みにソルはどっちが悪者なのか一瞬分からなくなる。

 ドーリウは角狼を相手している影人形に目をやった。影人形は再生し続ける角狼を吸収していたが、明らかに吸収速度が落ちている。一方的に蹴散らされる時間が多くなっていた。


「魔石の限界に近いな…」


 ドーリウの声に焦りが混じる。彼の魔術は吸収した魔力を杖の魔石に蓄積させる。当然容量があるため、無限に吸収できるわけではない。

 それでも、今まで一人の魔術師相手にここまで蓄積させる事態になったことはなかった。対峙する魔女のような少女に魔力切れの兆候はない。まさに化け物級だ。

 魔石の容量が埋まれば魔力の吸収はできなくなる。影人形はただの的と成り下がる。影人形の変化にはイーリスも気づいていた。


「あら、もしかしてそちらはお腹いっぱいですか?案外少食なんですね」

「うちの影人形はお上品でね。粗暴な魔力はあまり口に合わないようだ」

「粗暴とは心外ですね」


 そう言いつつもイーリスは楽しそうに笑っている。

 ドーリウは寒気を覚えながら杖を掲げた。


「とんでもねぇ暴力的な味だよ。だが、使わせてもらうぜ」


 死者の五指に握られたような装飾の頂点に鎮座している黒い魔石から闇が広がる。闇は巨大な球体になり空中に浮遊した。


「さぁ、今度は食うのは魔力だけじゃねぇぜ」


 球体が弾け、内部から無数の蝙蝠が現れた。蝙蝠自体は小さいが、(おびただ)しい数が集まって波濤となりエントランス天井を埋め尽くしていた。羽音と高い鳴き声が騒がしい。

 照明が遮られ薄暗くなった室内で、ドーリウの後方にいた男たちが異様な状況に耐えられず玄関へと逃げ始めた。


「おい、動くな。今動くと」


 ドーリウの警告が男たちに届く前に黒の波濤が動いた。逃げる男たち目掛けて雪崩のように襲いかかる。 男たちの悲鳴は一瞬で掻き消され、黒い雪崩で見えなくなった。


「あーあ、可哀想に」


 ドーリウが杖を振ると、波となった蝙蝠たちが天井付近に戻った。

 蝙蝠が去った跡には無惨な残骸と化した人間だったものが複数転がっていた。白い骨を覗かせた赤黒い塊が血溜まりの中で僅かに動いている。ぽっかりと空いた眼窩と口腔から粘液質の黒い血が流れる。全身を無数の小さい顎で喰い千切られた人間の末路だった。


 あまりの残酷な状況に、幾つもの戦場で悲惨な光景を見てきたソルも顔を顰めた。イーリスは変わらず楽しそうだ。

 生き残った数人の男たちは頭を抱えて蹲っている。

 角狼と闘っていた影人形の一体が惨劇の跡に移動し、両腕を広げた。痙攣して今だに死にきれないでいる憐れな男たちの上に覆い被さる。すると、男たちの動きが止まった。


「同僚だしな。せめてもの情けだ」


 絶命した男たちを横目に悲哀の表情をしたドーリウが杖の先を角狼に向ける。


「さて、まずはあいつを始末してもらおうか」


 ドーリウの言葉と共に黒い波濤が角狼に降り注ぐ。黒い塊となった角狼は体を振っていたが、直ぐに動きが無くなった。

 数秒で角狼を食い尽くした蝙蝠は再び天井に舞い上がる。金色の燐光が蝙蝠の動きに合わせて宙に舞った。

 あっさり角狼が消滅させられ、ソルの顔に不安がよぎる。


「まだ魔力を吸収できるのか」

「いえ、あれは吸収したのではありません。あの魔術師が言ったように食べたのです」

「そんな魔術があるのか」

「あれは魔術でできた生命体ではありません」


 ソルは彼女の言っている意味が理解できなかった。魔術で作っていないとしたらあれは一体何なんだ。


「正真正銘生きた生物です。彼はどこかの空間と繋げて蝙蝠を召喚したようですね」


 イーリスの推測にドーリウは薄く笑った。


「ご明察。あれはハルバハールのシミョート洞穴に生息する悪食の蝙蝠さ。まだ学名もついてないマイナーな生物だけど中々に凄いだろ?」

「興味深いですね」


 頭上には小さな悪鬼が渦巻いているが、イーリスに緊張感は皆無だ。

 ソルは上を見上げた。皮膜の羽に体毛が生えた体、豚のような鼻に鋭い牙が並ぶ口。見た目はほとんど普通の蝙蝠と変わらない。

 蝙蝠を観察していると、それらの意識が何となく伝わってきた。意識の中には凶暴なまでの食への欲求のみがあった。嫌悪感が生まれ、蝙蝠から視線を外す。 イーリスの結界がなければなす術なく食われていただろう。

 ドーリウは蓄積した多量の魔力を消費して異国の凶悪な生物を召喚していた。異なる場所と空間を繋げるには莫大な魔力が必要となる。一般の魔術師が行使できる魔術ではない。しかし、彼の魔術と黒い魔石が合わさりそれを可能としていた。


「きみはこれに耐えられるかな?」


 ドーリウが杖をイーリスへ向けた。渦を巻いていた蝙蝠の群れが真下のイーリスたちへ殺到する。

 結界を覆い尽くした蝙蝠は、鋭い牙を剥いて獲物を喰らおうとしている。間近で見ると地獄の光景だ。結界が凄まじい速さで喰らわれて行き亀裂が入った。ソルの背筋に悪寒が走る。

 イーリスが手首を回すと結界周囲の蝙蝠が細切れになった。結界に赤黒い血と蝙蝠の黒い肉片が張り付く。

 蝙蝠の勢いは一瞬緩んだが、膨大な数を全て切り裂くの不可能であった。仲間の死体を潜って新たな蝙蝠たちが結界を喰らう。

 イーリスが手首を回す。蝙蝠が切り刻まれる。また蝙蝠が結界を喰らう。どんなに死体を積み上げても蝙蝠の勢いは衰えない。補修した結界も直ぐに薄くなる。矢や剣を放っても散会して避けられる。


「このままではマズいんじゃないか」


 ソルの緊張した声にイーリスは微笑みを返した。


「私にいい考えがあるんです」


 イーリスが腕を横に広げた。すると結界を中心として巨大な金色の花弁が現れ美しい花の形を作った。それは彼女が鉱山に咲かせた花に似ていたが、蝙蝠に覆われた結界内のソルは気づかない。

エントランス中に広がる幾重もの花弁はドーリウの側まで届いていた。


「何をするつもりだ…」


蝙蝠の制御に神経を割いているドーリウは、一歩後退し警戒するしかなかった。

 イーリスが広げた腕を畳むように胸の前に持ってきた。花弁が一気に閉じられ巨大な蕾となる。花弁のあまりの大きさに、閉じる際天井を破壊し突き破っていた。屋敷の外からは屋根から蕾の上部が見えていることだろう。

 蕾の内部には閉じ込められた大量の蝙蝠たちが飛び交っていた。

 ドーリウはイーリスの魔術の意図を理解した。舌打ちして影人形を作り出すが、突如として現れた新たな角狼に噛み砕かれた。


「こんなんバンバン作りだせるのは反則だろ」


 蝙蝠を制御している時は影人形を複数出せない。この蝙蝠は少しでも制御を誤ると術者にも襲いかかってくるからだ。制御以外に集中力を分散させるのは危険であった。

 蕾が一回り収縮する。イーリスが胸の前で手首を回す。狭い蕾の中で複数の刃が踊る。

 そこは一方的な虐殺の場となった。逃げ場のない空間で回転する刃が飛び回り蝙蝠を刻む。結界に蝙蝠の死体が積み上がる。

 何か起こっているか知る由もないソルは、延々と続く殺戮の音を聞いているしかなかった。隣のイーリスは指揮者のように手を動かしている。その顔には上機嫌な笑み。鼻歌でも歌い出しそうだ。


 しばらくすると音が聞こえなくなった。イーリスが腕を開くと蕾が開いた。

 黄金の花弁を血と肉片で赤黒く染めた禍々しい花が出来上がった。

 角狼に苦戦していたドーリウはその光景に目を覆いたくなった。あれ程大量に召喚した蝙蝠がほとんど死に絶えている。花弁の拘束から逃れた少数の蝙蝠しか残っていない。

 結界に降り積もった死体が滑り落ち、脇に流れ広がる。ようやく結界の外を確認できるようになったソルは周囲の惨状に目を見開いた。


「これはまた凄いことになっているが…」

「閉じ込めて一網打尽にしました。鉱山の花を参考にしたんですが、それっぽくできていますか?」

「似ている、が…」


 形は近いが、鉱山で見た美しく白い花と血と死体で溢れた花とでは雰囲気、印象全てが正反対だった。


「色…が違うかな」

「やっぱり私には色の表現は難しいですね」


 表現の問題ではないのだが、ソルがそれを言うことはなかった。

 花弁が消えると残骸が階段や階下に流れた。一面血と蝙蝠の死体の海となる。

ドーリウは残る蝙蝠を杖の上に集めると、闇の球体の中に帰した。

 そして影人形を増やし角狼に対抗する。

 魔術による攻防は振り出しに戻ったかのように見えた。


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