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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
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65、魔術師との対峙

 ソルは重い体を動かし、今度こそイーリスの元へ向かう。


「あの、その辺に杖が落ちていないですか?」


 頭上からイーリスの声が降ってくる。


「細長い杖で中心に魔石が嵌っていると思うんですが」


 ソルが見回すがそれらしき物はない。


「見当たらないが」

「確かにあったと思うんです。私の杖は今エルネスティーネさんが持っているのでしょう?不慣れな杖で魔術師と戦うのは危険です。早く助けに行かないと」

「どうしてエルネスティーネが杖を持っている事を知っている?」

「内緒です」


 イーリスは欄干から身を乗り出して微笑している。

 歩くソルのつま先に固い物があたった。それは、シャズとの戦闘で使用した棍だった。細長く、中心部に黄金の石が嵌っている。


「もしかしてこれか…?」


 棍だと思っていたが杖だったのか。ソルはずっしり重い杖を拾うと肩に担いで持って行く。

 階段下で双剣を仕舞うと、手摺を支えにして階段を上る。

 階段の中ほどで急に両脚から力が抜けた。手摺を掴んでいるが、片手だけでは支えきれずに膝をついた。たまらず杖を階段に置く。立とうとするが力が入らない。血を失い過ぎた。視界が狭まり周囲の音が遠くなる。


「ソルさん?」


 異変に気づいたイーリスが、探りながら階段に足を踏み入れた。ゆっくりと階段を降りる。伸ばされた手がソルの頭を捉えた。

 柔らかい手の感触を感じたソルは鉛のように重い頭を上げる。狭い視界に白い顔が映り込む。心配そうな表情のイーリスがそこにいた。


「すまん、もう動けそうにない」

「…分かってます」


 イーリスは両腕でソルの頭を優しく包み、赤銅色の髪に頬を埋めた。咽せ返るような血臭がする。


「すいません、私が捕まってしまったばかりに…」

「イーリスのせいじゃない。俺の判断の甘さが招いた事だ」


 ソルは顔を包むイーリスの体温と心地良い匂いに安堵した。彼女が無事ならそれでいい。

 イーリスはソルの本心からの言葉に、彼を包む腕に無意識に力が入る。すると、制御できない震えが指先から肩まで広がった。

 イーリスはソルの頭から両腕を解放した。ソルは小刻みに震える細い指を掴む。


「どうした?あいつらに何かされたのか?」

「いいえ、これはさっきの反動です」


 イーリスはソルの手からそっと指を引き抜くと体の後ろに回した。


「反動?」

「説明は後ほど。今はソルさんの怪我をどうにかする方が先です。何か私にできることはありますか?」


 確かに、今はこの出血を止める事が優先される。ソルはイーリスが着ている白いローブに目をつけた。


「そのローブをくれないか」


 イーリスは直ぐにローブを脱いでソルに渡した。ソルは階段に腰を下ろすと、ローブの裾を剣で裂く。数本の簡易的な包帯が出来上がった。

 大きめに切ったローブを折り畳み腹部の傷にあて、包帯を強く巻く。傷を圧迫される痛みで声が漏れる。指先が上手く動かせず、結ぶのはイーリスに手伝ってもらった。

 包帯に血が滲んできたが、途中で止まった。何とか出血を止められたようだ。

 しかし出血量が多く疲労に倦怠感、感覚機能の低下は簡単には回復しない。常人ならとうに死んでいる出血量だ。まだ動けるだけマシである。

 ソルは隣に座るイーリスに残りのローブを返した。


「ありがとう。助かった」

「いえ、これ私のじゃないんでどんどん使ってください」


 微笑むイーリスを見たソルは、ここでようやく彼女の服の悲惨な有様に気づいた。


「イイ、イーリス、なんて格好してるんだ」

「あぁ、これですか。変な臭いの人にやられたんです。この服気に入ってたんですよ」


 イーリスは震える指で腹部まで裂かれた服の前面をなぞった。声には怒りの成分が含まれる。

 目を逸らそうしたソルだが、彼女に胸に散る血痕からは逸らせなかった。


「血もついてるじゃないか。本当に何もされていないのか?」


 イーリスは胸に染みのようについた乾いてざらついた血痕の上で指を止めた。


「これは変な臭いの人の血です。腕を潰した時についたんでしょうね。私は無傷です」


 あっけらかんと言うイーリスにソルは苦笑した。


「そうなのか」


 ソルはイーリスが膝に乗せているローブを手に取り広げると、彼女の肩にかけた。ローブは丈がだいぶ短くなっているが上半身を覆うには十分だ。


「しっかり着とけ。風邪引くぞ」


 ローブに袖を通したイーリスは心なしか嬉しそうにしていた。

 ソルは足元に置いてある棍、ではなく杖を拾い上げた。見た目に反して重いそれは武具にしか見えない。


「イーリス、言ってた杖だ。たぶん」


 両手を差し出したイーリスに杖を握らせる。


「かなり重いから気をつけろ」


 頷くイーリスの様子を見ながら杖から手を離す。すると重さで彼女の両手が大きく下がる。ソルはあまりの重さに面食らっているイーリスに手を貸した。

 階段につきそうになっている杖を彼女の膝に乗せる。あまりにも重いので、膝に負担がかからないようソルが半分支える。


「これは、重過ぎですね。持ち歩けません」

「俺が使っても重かったからな。で、杖で合ってるんだよな?」

「だと、思います」


 イーリスは膝に乗せた杖に意識を集中させた。すると、彼女の頭にいつもより鮮明な輪郭の世界が現れた。

 小さく息を飲むイーリス。エントランスの形状どころか屋敷全体の構造から生物の気配まではっきりと分かる。


「凄く使い易い杖です。とても高価なものなんでしょうね」


 目を輝かせたイーリスは杖の魔石部分を撫でた。黄金の魔石が光を反射して輝く。


「こんな特殊な杖もあるんだな」


 重過ぎる杖は普通の魔術師には携帯できない。鍛えられた魔術師にか扱えないだろう。そんな武人のような魔術師はいないだろうが。作り手は何を考えてこの杖を作成したのか謎である。


「ソルさん、外から何人か来ます」


 ソルが動こうとしたが、イーリスが手で制した。


「ソルさんは休んでいてください。ここからは私がやります」


 イーリスはソルを見上げると優しく微笑んだ。

 そこへエントランスの扉から数人の武装した男たちが雪崩れ込んできた。

 男たちはエントランスの惨状と倒れて動かないシャズを見ると明らかに動揺していた。


「おいおい、シャズがやられてるぞ!」

「ドーリウさんを呼んだ方がいいんじゃねぇか」

「ラルスさんは無事なのか?」


 男たちは倒れたシャズに気を取られ、中央階段にいるソルとイーリスには気づいていない。

 狼狽する男たちの声で騒がしくなる。


「ちょっと静かにしてもらえませんか」


 イーリスの声と共に、巨大な黄金色の剣が男たちの近くに突き刺さった。陽炎のように揺らめく剣を前に、男たちは慌てて後ろに下がった。

 ソルとイーリスの存在に気づいたが、動けない。


「あいつがシャズを()ったのか」

「魔術師もいるぞ」

「勝ち目ないだろ」


 男たちは冷や汗をかいて後退している。


「あら、尻尾巻いて逃げ出すんですか?」


 イーリスの声には挑発的な響きが入っていた。先程の優しい微笑みから邪悪な三日月の笑みに変わっている。


「この屋敷の護衛たちは腰抜けの集まりのようですね。残念です」

「何だと…」


 小柄な少女の言葉に、血の気の多い者が敵意を剥き出しにしてくる。


「道具のくせに偉そうな口をきくな」


 何人かの男がそれぞれの獲物を抜く。ここで後退する者と前進する者に分かれた。


「道具はあなた方でしょう。使い捨ての駒。自覚されているのでは?それに私、ここの商品になった覚えはありません」


 男たちが気色ばむ。

 階段の中腹に座っているイーリスが片手を上げる。

 そこへ左の通路から一人の男が入ってきた。


「やべぇことになってんな」


 黒髪に礼服の男は杖を片手に眉を顰めた。イーリスは上げた手を下ろす。


「ドーリウさん!あっちは片付いたんで?」

「影が追い詰めている。きな臭ぇ感じがしたから来てみたらこれだよ」


 男たちがドーリウを呼ぶ。影の魔術師はエントランス中央に進むと、大理石に突き立つ黄金の剣と倒れたシャズを一瞥した。


「マジかよ。シャズが負けたのか」


 驚愕と哀れみの表情を残したまま、階段のソルとイーリスを見上げる。ドーリウは肌に刺さる魔力探知を感じていた。


「そこの兄さんやるねぇ。まるで獣の殺し合いだ」


 ドーリウはソルの瞳を見逃してはいなかった。含みのある言い方にソルは不快感を露わにする。

 だが、ドーリウの関心はイーリスにあった。


「そして、さっきの異様な気配。あれはお嬢さん、あんただろ」

「さぁ、どうでしょう」


 はぐらかすイーリスにドーリウは困ったような表情になる。


「正直に答えてくれないと離れにいるお友達?をうっかり殺しちゃうかもよ」


 ドーリウが掬い上げるように腕を上げると、彼の周囲に四体の黒い影が盛り上がった。黒いローブを纏った人のような形状の影は、腕を突き出して揺らめいている。武装した男たちがドーリウから離れた。


「今、離れにはこいつを数体放っている。あの娘らはいつまで逃げ切れるかな」


 影の一体が黄金の剣に近づき、剣に抱擁した。すると剣は影に吸収され消えた。後には燐光さえ残らなかった。


「禁忌魔術ですか」


 イーリスがぽつりと呟く。ソルには禁忌魔術がわからない。でも危険であることはひしひしと感じる。

 ドーリウは涼しい顔をして近くの影を撫でた。


「ご名答。こいつは魔力を吸収するからね。君の魔術も全部食っちゃうよ」


 まさに魔術師殺しの魔術である。イーリスには天敵ではないのか。ソルは動かない自分の体に苛立ちを覚えた。

 そんなソルの様子を感じ取ったイーリスは、魔女の笑みをソルに向けた。


「大丈夫です。私も負けませんから」


 彼だけに聞こえるよう小さな声で囁く。ソルは彼女を信じて頷いた。黒魔女状態のイーリスは異様な雰囲気がある。彼女ならこの状況を打破してくれる、そう感じさせる何かがあった。

 イーリスは高らかに腕を上げた。


「私の魔術を食べる?食べたらお腹を壊して死ぬかもしれませんよ。それでもよければどうぞ召し上がれ」


 魔女の冷酷な笑みは禁忌の魔術師に投げかけられた。ドーリウの背筋に悪寒が走った。



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