表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
64/72

64、転機

 ベルダンの中心街の中でも一際大きい宿屋があった。高級宿として有名で、多くの富裕層が利用していた。古代建築を模して造られた白亜の宿にはいつも多くの人々が出入りしている。

 しかし、今は人の動きはなく静まり返っていた。宿だけでなく、大通りや脇道に至るまで人影がなかった。雨上がりの薄靄が不気味に漂っている。

 静寂の中、高級宿の屋根の上に黒い影があった。漆黒の外套で全身を覆った男だった。男は息を潜め街の様子を窺っていた。フードを目深に被った特徴のない顔は苦渋に満ちている。


「クソッ、どうしてこうなった」


 男の手が強く握り締められる。


「途中までは計画通りだったはずだ」


 男の計画は完璧だった。魔術師と盾を引き離し、それぞれを処理する。それから例の物をゆっくり物色するはずだった。

 魔術師と盾は策通りに分断された。それを見届けて奴らの宿を物色したが、荷物の中から例の物は見つからなかった。やはり、あの盾が持ち歩いているようだ。そう思い、盾の男が捕われている奴隷窟へ行くも、そこには死にかけている従業員しかいなかった。 状況からして逃げられている。しかも昨日捕らえた男まで逃げ出していた。唯一無事だった酒浸りの管理人が盾の行方を知るはずもなかった。

 何故ガスを嗅がされているのにも関わらず逃げ出す事ができたのか。あの盾の力量を踏まえて安全策を取ったが、それすら見誤っていたようだ。

 態々商品の見返りとしてラルスに協力を仰いだのだが無駄足である。

 盾を一刻も早く見つけださなければならない。恐らく盾の男は魔術師の娘を探しているだろう。娘がラルスのとこに居る事は知らないはず。

 しかし、従業員が脅されて喋った可能性もある。一旦ラルスの屋敷へ向かおうとしたが、この街の状態である。


「よりにもよってこんな時に…」


 黒外套の男の悩みは逃げた盾の事だけではなかった。

 静かな通りに重々しい甲冑と馬の蹄の音が響く。薄靄を割いて現れたのは騎兵の一団だった。

 隊列を率いるのは黒馬に騎乗した男。銀色に輝く甲冑と、古代文字で一を示す数字と騎士団の紋章が描かれたマントを纏い、赤い房飾りをつけた兜を被った長身の男だった。兜の下には黄金の髪と蒼穹の瞳。誰もが見惚れるような美丈夫の顔がそこにあった。

 しかし、その目は刃のように鋭く畏怖さえ覚える。真一文字に引き結ばれた口唇はぴくりとも動かない。

 手綱を持つ手と反対の手は腰の宝剣に添えられていた。

 男はこの騎士を知っていた。王都を守護する第一区の団長だ。圧倒的実力で一般の騎士から短期間で団長に上り詰めた猛者である。

 王都ではこの男が団長になってから仕事がやりにくくて仕方ない。賄賂が効かない騎士は裏社会の天敵である。


 黒外套の男が大通りに来た時には既に一区の騎士団により戒厳令が敷かれていた。人々は皆家屋の中で息を潜めている。

 大通りの他にも多くの騎士団が投入されているようで、街のあちこちに銀色の光が見える。

 この街の騎士団は何をしている。ここには二区の団長か居る。管轄外の一区の騎士団が来て好き勝手しているのに、どうして奴は何も対処しないのか。たんまり賄賂を貰っている癖に肝心な時に役に立たない。


 今下手に動いて目をつけられると計画どころの話ではなくなる。機を待つしかない。

 男の眼下では隊列が南へ進路をとっていた。団長の後頭部に忌々しい視線を送る。

 不意に団長が動いた。後ろを振り返り、鋭い鷹の目を高い宿屋の屋根に向ける。

 男は咄嗟に体を伏せた。跳ねる鼓動を抑える。この距離で気付かれたというのか。強い隠匿の魔術がかかった外套を纏っていても気取られている。あの盾の男といい、感の良い者は厄介だ。

 体をずらして僅かに屋根から顔を出す。団長はもうこちらを見ていなかった。警戒する様子もない。南へ進む一団の後ろ姿を確認すると、男は次の一手を考えるべく暗がりに消えた。



*****



 右手で左脇腹を押さえたソルは、二階の欄干を握って立っているイーリスに視線を向けた。

 白地に金刺繍が施されたローブを着た彼女は、数刻前に別れた時と変わらない表情をしていた。ソルの険しかった顔に安堵が浮かぶ。


「イーリス、無事なんだな。良かった」

「はい。ソルさんは無事、じゃなさそうですね」


 イーリスの顔には憂いが滲む。いつもと違う疲労の濃い声音と、強い血臭が目の見えない彼女にもソルの状態が芳しくないと伝わっていた。


「無傷とはいかないが、五体満足で生きている。大丈夫だ」


 腹部の出血が止まらないので、このままだと危ないのだがそれは言わない。

 イーリスが欄干を伝って中央の階段に近づく。ソルも重い足を引き摺りながらイーリスの元へ向かう。血濡れた口周りを袖で拭き、落ちた双剣も忘れずに回収する。


「イーリス、その先には階段がある。危ないからそこで待っていてくれ」


 頷いたイーリスは歩を止めた。ソルは広いエントランスを進み、階段に足をかける。

 すると頭上から複数の足音がした。視線を上げると二人の武装した男がイーリスに駆け寄り取り囲むところだった。

 ソルが恐ろしい速さで抜刀し、駆け上がろうとするが武装した男たちとは別の声がそれを制止した。


「動くな。動くとこの娘の命はない」


 声の方を見ると二階の欄干、イーリスとは反対方向に金髪で長身の男がいた。秀麗な顔には隠しきれない憎悪があった。

 イーリスの喉元には武装した男の剣が突きつけられている。

 女と見間違う程の美貌の男は、動きを止めたソルを睥睨しながらイーリスに近づいた。

 双剣を構えた血染めの剣士からの殺気で背筋が粟立つ。だが、裏社会で育った男はこの程度では怯まない。

 その瑠璃色の目はソルから惨憺たる有様のエントランスと、血の海に沈むシャズに移った。


「まさかシャズが敗れるとは…」


 ラルスの声には驚愕があった。あの勇猛なシャズがそこらの野盗のような男に負けるとは。奴隷窟から逃走する程なのである程度の強さは予想していたが、シャズを倒してしまうのは想定外だ。

 しかし、この盾の男もかなりの重傷を負っている。あの出血量、放っておいてもいずれ死ぬだろう。


「武器を捨てて後ろに下がれ」


 ラルスの言葉にソルは双剣を床に置いた。数歩後方に下がる。


「もっとだ。もっと下がれ。お前は油断ならん」


 ソルは更に下がる。エントランスの中央付近で立ち止まった。


「ソルさん…」


 前に出ようとするイーリスを武装した男の腕と刃が阻む。

 イーリスの隣に立ったラルスは彼女を一瞥すると苦笑した。


「全く、あなたはとても良い商品になると思っていましたが、とんだ疫病神でしたね。この損失はあなた自身で払ってもらいます」

「お断りします」

「おやおや、いいんですか?あなたの盾は今にも死にそうですよ」


 イーリスの顔にはっきりとした動揺が現れた。ラルスは彼女の耳に口を近づけ囁く。


「あなたが素直に従えば彼を今直ぐ腕の良い医者に診せましょう。そうすれば彼は助かる」


 見開かれた夜明けの瞳が揺れる。


「彼の命はあなた次第ですよ」


 ラルスの甘い声がイーリスの耳をくすぐる。イーリスの口唇が僅かに動いた。しかし、発せられようようとした言葉はソルの朗々たる声に掻き消された。


「俺はこの程度では死なない!イーリス、耳をかすな!」


 ラルスは顔を上げると、ソルを忌々し気に見下ろした。赤銅色の髪に緑の瞳の男はラルスを見上げ不敵に笑う。足元に新しい血溜まりを形成し、今にも倒れそうな土気色の顔色をしているのにあの余裕は何処から湧いてきているのか。

 そこで女衒の目がソルの瞳に気づいた。


「こいつも獣憑きか」


 獣憑きは身体の頑強さが普通の人間とは大きく違う。この獣の余裕はそれなのか。

 シャズが敗れた理由も理解できた。魔術師でもない一介の人間にあの猛獣がやられるはずがない。シャズはより強い猛獣に倒されたのだ。

 だが、その猛獣の弱みをラルスは握っている。何も恐れる事はない。

 ラルスは冷酷な笑みを浮かべる。


「それなら捕らえて鳴かせるだけですね」


 後ろの部下に手で合図をする。黙礼した男が階段を降りて行く。

 イーリスは駆け降りる男の足音を聞きながら、決意したように深呼吸をした。喉に一瞬冷たい刃の感覚がした。

 ソルは傷だらけの体でイーリスを護ろうとしている。


「私も護るって決めたんです」


 彼女の小さな呟きはソルの耳には届かない。目を閉じて胸の中心に両手を当てる。

 ソルは腹部に手を当て、これからどう動くか思考を巡らせていた。強がっているが、視界の端が霞んできた。出血量が多い。シャズの与えた傷は深かった。近づいてくる男と二階の様子を交互に観察する。


 ラルスとイーリスを捕らえている男は彼女の変化に気づいていない。

 階段を駆け降りた男が剣を抜いた時、耳障りな金属音がイーリスの両手首から響き渡った。耳を塞ぎたくなるような音に、その場に居る者全て顔を顰める。

 ラルスは音の発生源であるイーリスの肩を掴んだ。胸に当てている手の下に、真紅に光る銀の腕輪が見えた。腕輪は音を発し小刻みに振動している。

 嫌な予感がしたラルスがイーリスの肩を揺さぶろうとしたが、腕輪が砕け散る方が先だった。


 悲鳴のような音が消えた瞬間、異様な気配が全ての空間を埋め尽くした。

 まるで四方から巨大な目で凝視されているような威圧感と圧迫感があった。呼吸さえも重苦しく感じる。

ラルスはイーリスから手を離すと自分の首元を触り、荒い呼吸を繰り返す。

 それは他の者も同じで皆動きを止めていた。ソルも初めて感じる異質な空気感に思考が止まっていた。

 そんな空間の中でイーリスだけは満足気に口元を綻ばせていた。


「あぁ、視えました」


 イーリスの目が開かれる。すると、空間を満たしていた異様な気配が消えた。

 圧迫感から解放されたラルスの体が揺らぐ。

 イーリスは迷う事なく刃を突きつけている男の腕を掴むと力任せに前に投げた。男は抵抗する間もなく欄干の上から一階に落下する。

 非力な少女が武装した男を投げ飛ばす異様な光景に、ラルスは一瞬固まってしまった。

 イーリスは間髪入れず腕を横に薙ぐ。ただ腕を横に振っただけに見えたが、細い腕はラルスの腹部に埋まり後ろの壁まで吹き飛ばした。

 壁に全身を強打したラルスは床に倒れ伏す。


 イーリスの一連の動きを見ていたソルは、抜剣している男に向かって疾走した。男は落下した同僚に気を取られている為、ソルの行動に気づくのが遅れた。

 いつもの速度には及ばないが、男に近づくには十分だった。

 男が剣を向けるがソルの足払いによって転倒し、顔面を蹴り抜かれて昏倒した。

 落下した男やラルスに動きはない。

 ソルは痛みを(こら)えイーリスを見上げた。


「ソルさん、やりましたよ」


 イーリスは満面の笑みで手を振っている。ソルもつられて笑う。

 どうして急にイーリスの腕っぷしが強くなったのかは分からないが、彼女のおかげで助かった。まさか人を投げるとは思わなかったが。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ