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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
62/72

62、騒ぎの中で

 屋敷の中でも一際豪奢な一室で、二人の男が優雅な意匠のテーブルを挟んで座っていた。座っている椅子もテーブルと対になるような美しいものだった。

 テーブルには湯気を上げる紅茶が入った茶器類と菓子が一人分並べられている。

 静かな室内と違って、廊下や窓の外からは慌ただしい喧騒が漏れ聞こえていた。


「いや、これは忙しい時に来てしまいましたな。知らせを聞いてから気が急いてしまって、申し訳ない」


 カップに手を伸ばし紅茶を飲む男の顔には穏やかな笑み。壮年期も終わりに近い男は恰幅の良い体を平服で包んでいた。白髪混じりの茶髪は短く刈り込まれている。


「いえ、謝るのはこちらです。グラドール様に気を使わせてしまい申し訳ありません。侵入者は私共の不手際ですので」


 グラドールの前に座るのは金髪の秀麗な男。ラルスは片手を胸に当て軽く一礼する。


「またバルドの手先か?街を追われて一年も経つのにまだこんな事をしているのか」

「この街が諦めきれないようでして、こう度々来られると流石に困りますね」


 言葉と裏腹にラルスの顔には余裕の笑み。


「ですが、最近優秀な魔術師を雇いましたのでこういった騒ぎも今日で最後かと」

「ほう、最近は審問会を恐れて裏で働く魔術師がめっきりいなくなったからな。良いのを見つけたの」


 グラドールは半分に減った紅茶のカップを静かに置いた。

 ラルスは人の良い笑みを絶やさない。だが、その裏では重なった不運に歯噛みしていた。

 第一の不運はグラドールに顔合わせをする娘が一向に従わない事。どういうわけか白木蓮(マグノリア)が効かない娘は非常に強情で扱いづらい。

 第二の不運は娘の盾が逃げ出していた事。娘を従わせる為に奴隷窟に使いを向かわせたがいなかった。奴隷窟の従業員は叩きのめされており、盾の行方は不明である。

 第三の不運は侵入者が来た事。一年前の裏社会の派閥争いに負けた者たちの嫌がらせが続いていた。今回もその手だろうと考えていたが、どうも違う。侵入者は昨日捕らえた娘の元に行ったという。行方不明の盾が娘たちを取り戻しに来た可能性がある。

 本当に娘の盾が来ているならこれは不幸中の幸いだ。今、屋敷にはシャズとドーリウが居る。制圧に時間はかからないだろう。

 そして第四の不幸は、予定よりも大幅に早くグラドールが来てしまった事だった。この男はここの常連であり、黒髪で清楚な少女を何よりの好みとしている。 しばらく彼の好みの娘が入らなかったので、今回は早く会いたくてしょうがないようだ。こんな男がこの地区の騎士団長とは。裏社会の人間としてはありがたいが、この地区の一般人には憐れみを感じないこともない。昔は勇猛な人物だったらしいが、今は見る影もない。

 そういった内心全てに蓋をして、ラルスは完璧な顔を作る。


「それで、その娘にはいつ会える?」

「準備を終えておりませんので今しばらくお待ちください」


 グラドールの目にギラついた欲望が宿る。


「綺麗に飾り付けなくとも私は一向に構わぬぞ」

「最高の状態でお会いして頂くのが我が娼館の信条ですので」


 鼻息荒くなるグラドールをやんわりと制するラルス。娘が従わない限り合わせられない。この男なら反抗する娘を見ても受け入れそうであるが、従順に越した事はない。

 盾を捕え、交渉材料とするまでは彼にはここで待ってもらうしかないのだ。

 早く会いてくてしょうがないグラドールを御すのは手間である。

 ラルスがグラドールの言葉をかわしていると、遠くから大きな破砕音が響いてきた。


「何だ、今の音は。大丈夫なのか?」

「ご心配なさらず。些細なトラブルでしょう」


 怪訝な顔をするグラドールに対し、ラルスの表情は変わらない。微塵の動揺も見せないラルスの態度にグラドールも元の表情に戻る。

 空になっていたカップにラルスが紅茶を注ぐ。柔らかい茶葉の香りが広がった。

 菓子を摘むグラドールに笑みを送りながら、音の発生源を脳内で探る。音の方向からしてエントランスで何かが起こっているのは明白だった。

 シャズが交戦しているのか。彼は強いが、闘いを楽しむあまり命令違反をする事が多々あった。王都からここへ追い払われたのも重大な命令違反があったからだ。

 普段はつまらなさそうに従っているが、闘いとなると目の色を変えた凶暴な獣となる。護衛としては強力で、商品に手を出す事もないシャズは良き部下であるが、いかんせん戦闘狂過ぎた。獣憑きとは皆そうであるのだろうか。

 一年前の抗争では一人で敵対派閥を半壊させている。今シャズが闘っているであろう侵入者が手練だとしても彼には敵わないだろう。


 不運続きだとしてもいつか風向きは変わる、いや変えてみせる、そうラルスは思っていた。しかし、彼の顔からは余裕が失われていた。笑みは然程変わらないので、娘の事で頭が一杯な騎士団長はラルスの変化に気づかない。

 張り付いた笑みは機械的に口唇を歪ませ続けていた。



*****



 白いローブに頭から包まったイーリスが繰り返し魔術の構成を考えていた時、部屋の扉が開く音がした。 廊下からは人々が走る音が反響して聞こえる。そして、遠くからぶつかり合う金属音が断続的に響いてくる。

 一人の侍女が部屋に入り、装飾品の手入れをしていた侍女に声をかけた。その顔は焦りに満ちていた。


「今、エントランスでシャズ様と侵入者が闘ってるわ」

「だから騒がしかったのね」

「ねぇ、避難しましょう。今回の侵入者はいつもの違うみたい。警備の人が何人か殺されてるって。ここにいたらあたしたちも殺されちゃうかも」

「えっ…」


 部屋にいた侍女は反射的にローブに包まったイーリスに視線をやった。彼女は職務を放棄してもいいものか迷っていた。


「みんな避難してるわ。行きましょう」


 部屋に入ってきた侍女が腕を掴み彼女を引っ張る。侍女は動かない彼女の視線を辿った。


「あの娘の事が気になるの?大丈夫よ。目が見えないんでしょ。勝手に逃げられはしないわよ」


 侍女が言い聞かせるように話す。その時、遠くからでもはっきり分かる大きな破砕音が響いた。そこでようやく彼女は視線を同僚の侍女に向けた。目を合わせた二人の顔には恐怖があった。

 そして直ぐに二人分の足音が部屋から遠ざかった。部屋には静寂が残る。

 話を聞いていたイーリスは侵入者がソルではないかと感じた。きっと助けに来てくれたに違いない。そんな期待が胸に膨らんだ。自然と口元がほころぶ。

 期待が膨らむと、それを確かめたい気持ちが湧き上がる。


 イーリスは長椅子から起き上がるとローブの襟を合わせ、ゆっくりと立った。片手を伸ばし前を探りながら足を踏み出した。扉の方向は侍女らの声の位置から大体分かる。

 歩いて行くと伸ばした手が硬い物に触れた。壁だった。手を動かし扉を探す。手を右に動かすと、壁よりも硬質な手触りに変わった。これが扉に違いない。ノブを探し、扉を開けると空気の匂いが変わった。今まで感じなかった争いの匂いが混じっている。

 足が柔らかい絨毯から硬い大理石を踏み締める。


 長い廊下の先に人影があった。侍従たちが騒いでいる。


「エントランスには近づくな。シャズ様の邪魔をしたら殺されるぞ」

「しっかし、あの侵入者もヤバいな。普通にシャズ様とやり合ってるぞ」

「関わらないのが一番だ」


 侍従たちは廊下を曲がり消えて言った。誰一人としてイーリスの存在には気づいていなかった。目の前の脅威で一杯のようだ。


「ソルさん…」


 イーリスは遠くから聞こえる剣戟の音の方へ向かった。片手を壁に沿わせ一歩一歩確実に歩を進める。途中、置きっ放しの籠や衣類に躓いて転びそうになった。その度にバランスを取り踏ん張る。

 進むイーリスの脳裏に幼い頃の記憶が明滅した。病気で失明後もこうやって長い廊下を歩いていた気がする。あの長い廊下はどこだったのだろうか。病院にしては静か過ぎる場所だった。

 今はそんな疑問はどうでもいい。イーリスは記憶を頭の片隅に追いやると、近くなってきた剣戟の音と血の匂いに集中した。

 その顔には喜びや期待と不安が入り混じっていた。ソルに会える事は嬉しいが、自分のせいでソルが傷ついているのではないかと考えるとちくりと胸が痛む。

 複雑な感情を抱えたままイーリスは騒ぎの渦中へ歩んで行く。



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