61、新手
シャズから距離を取ったソルはエントランスの端へ走った。そこには観葉植物や高価な調度品が展示された台座が並んでいた。それらの裏に身を隠す。
シャズは爪を鳴らしながらソルを追った。
「隠れて不意打ちでもするつもりか?」
シャズは笑っていたが、既にソルの実力を知ったその目は警戒を怠らない。ゆっくりと歩み相手の出方を待つ。
台座の調度品がいくつか消えている。あの男の仕業だろう。
前方の台座と台座の間を影が通り過ぎた。反射的に影を目で追う。その時、影が向かった先から何かが物凄い速さで飛んで来た。シャズは爪を一振りし飛んできた物体を破壊した。甲高い音と共に白磁の皿の破片が散らばる。
それは調度品の皿だった。美術品に疎いシャズには価値など分からないが、とんでもなく高価な物である事は想像できる。ラルスが見たら何と言うか。
今はそんな些細な事はどうでもいい。破片を踏み進むと今度は壺が飛んで来た。それも軽く爪を振るい簡単に破壊する。精緻な模様が描き込まれた壺は無惨な破片となった。
こんな足止めにもならない攻撃で何をしようと言うのか。
また前方から壺が飛んで来る。同じように爪を振るう。年代物の壺は粉々になったが、同時に中から茶色の土が噴出した。
土をまともにくらったシャズの視界が遮られた。壺の中に鉢の土を入れたか。してやられた。
シャズは咄嗟に両の爪で身体の前面を防御した。来たる攻撃に備える。双剣なら防げる。
しかし、台座の間から飛び出してきたソルが両手に持つ物は双剣ではなかった。間合いを詰めたソルは渾身の力で腕を真横に一閃した。爪が破砕される澄んだ音が響く。
シャズが土に塗れた目を見開いた。ソルが持っているのは棍だった。見た事がある。あれはそこの壁に美術品として展示されていたものだ。ここまで威力を出せるものだったとは。
一瞬の思考の後、次に来る一撃を避けようと後方に跳ぼうとしたが、一瞬の思考すら過ちだったと気づく。
横に振り抜かれた棍が手首を返し旋回され、シャズの肩口付近に振り下ろされた。あまりに滑らかな一連の動きにシャズの回避は間に合わない。
棍はシャズの右肩から鎖骨を粉砕する。棍はその勢いのまま大理石の床を深く抉った。
シャズは骨が砕かれた痛みに耐えつつ、今度こそ後方へ跳んだ。左腕で顔の土を拭う。
はっきりした視界に映ったのは棍を肩に担いだソルだった。棍が相当重いのか重心が傾いている。鈍色の棍には細かい紋様が刻み込まれ、中心部には金色の石が嵌っていた。
「どうだ、自慢の爪を折られた感想は」
シャズは半ばから折られた爪を一瞥した。
「爪伸ばすの大変なんだぜ。でも、まぁこういうのも悪くねぇな」
だらりと垂れ下がったままの右腕はピクリともしない。
「死にたくなかったら娘の居場所を言え」
「おいおい、まだ闘いは終わっちゃいねぇぞ」
シャズの闘志は消えていない。むしろ強く燃え上がっている。
「まだこれからだろ?」
爪を折られ、肩に重傷を負い明らかに不利であるのにも関わらず、それは彼にとって戦闘を止める理由にならなかった。
ソルも薄々分かっていた。この闘いを糧とする獅子はどちらかが死ぬまでと止まらないと。
ソルは棍を床に落とした。棍の重みで大理石にひびが入る。
「そいつはもう使わねぇのかよ」
「重過ぎて扱いづらい」
この棍は見た目に反して重量がかなりある。この重さの長柄を長時間扱うのはソルでも困難であった。爪を破壊できたのでもう必要ない。
シャンデリアの上で目をつけていたが想像以上に役に立った。鑑賞する美術品というより実戦に使用されそうな頑丈さである。
ソルは双剣を抜き放つ。
「怪我人相手でも容赦はしない」
「へっ、お前も怪我人だろ」
シャズは左腕を構えた。半分の長さになった爪が鈍く光る。痛みで額に脂汗が浮いているが、表情は猛獣そのものだった。
ソルは大理石を蹴り、一気にシャズを間合い内に捉える。左の剣で掬い上げるようにシャズの右側面を狙う。シャズは右半身を引いてかわし、左胸を貫こうとする右の剣を短い爪で下に叩き落とす。
上に上がった左の剣が急下降しシャズの首を落とさんと迫る。左手を首の防御に回したが、同時に右の剣が脚を狙って横に振り抜かれようとしていた。
シャズは後ろに跳んだ。それでも大腿部は大きく斬り裂かれていた。
ソルの追撃は止まらない。跳んだシャズが着地した時には舞のような双剣の連撃が襲ってきた。どれをとっても致命的な一撃の数々を左の爪で受け、蹴りで散らすが、かわしきれない斬撃の傷が刻々と増えていく。どんなに己の血を流してもシャズの意思は揺るがない。
ソルは片腕となっても致命傷を避け攻撃の機会を窺うシャズの技量に、自分の方が優位である事を忘れさせられていた。両腕が健在だった時よりも身体の捌き方が繊細になり、研ぎ澄まされているように感じる。 それに大振りな攻撃が無くなった分隙が減っている。逆境であっても成長する獣だ。
油断できない攻防が続く。
*****
離れでの攻防は膠着状態が続いていた。二階からエルネスティーネが放つ魔術を恐れた男たちは階下から様子を見るだけになっていた。階段へ向かうと炎の矢が飛んで来るので近づけない。
エルネスティーネの隣には退避したカイがいた。疲労で立っていられない彼女を支えていた。エルネスティーネの魔力はもう殆ど残っていない。即席の杖で無理に救難信号を出し続けた事がたたっていた。
また、慣れない杖での魔術行使も疲労の原因であった。この杖は出力が低く、多くの魔力を込めないと矢を形成できなかった。結界形成にも普段より魔力を必要とした。今更ながらに、こんな杖で平然と魔術を行使しているイーリスが信じられなかった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「…これが大丈夫に見えるワケ?」
「…見えません」
「なら聞くな」
主人に一蹴されたカイは八の字眉になっていたが、まだ彼女の声に力がある事を感じていた。
眼下に集まった男たちは当初より増えて十人以上いる。今はエルネスティーネの魔術を警戒しているが、これがいつまで持つか。
疲労したエルネスティーネでは男たちを一掃できるような広範囲高威力の魔術は行使できない。この状況を打開出来るのはソルしかいないとカイは考えていた。イーリスを救出したソルが戻って来なければ、遅かれ早かれ捕まってしまう。
「ソルさん、早く戻ってきてください…」
カイの呟きはエルネスティーネの耳にも入る。ソルの体温と逞しい腕の感触が彼女の頭によぎり、顔に熱が生まれる。
「あれ、耳が赤いですよ。もしかして疲労による発熱!?辛いなら僕に寄りかかってください!」
エルネスティーネの変化に目敏く気づくカイ。だが、彼女の心情を察する程の眼力と経験はなかった。
「うるさい!平気だから黙ってなさい!」
エルネスティーネは忠犬を叱ると杖を握り直した。階下から近づいて来ようとしている男へ炎の矢を放つ。矢は男を掠め後ろの集団の真ん中に突き刺さる。男たちは慌てて玄関付近まで退避した。
幾度となく繰り返した攻防。エルネスティーネの疲労が蓄積されていく。今直ぐにでも倒れ伏し目を閉じてしまいたかったが、ソルにここを任された以上期待に応えたかった。
しかし、あとどれほど頑張ればいいのか、終わりの見えない状況はエルネスティーネの精神を削っていた。
気力を振り絞り魔術の構成を続ける。
階下の男たちがにわかにざわついた。エルネスティーネはいつでも矢を放てるように身構える。
開け放たれたままの玄関扉から一人の男が入ってきた。歳の頃は三十代半ばくらいか。癖のある黒髪を後ろに撫で付けている。仕立ての良い礼服に身を包み、左手には漆黒の魔石が嵌った杖を持っていた。
側にいた男の一人が頭を下げた。
「ドーリウさん、態々すいません」
「気にすんなって。魔術師相手なら俺の出番さ」
ドーリウと呼ばれた男はきっちりとした身なりに反して砕けた物言いだった。頭を下げた男の肩を叩いて最前列に出る。
エルネスティーネの心に絶望が広がる。まさか、魔術師が来るとは。この攻防の均衡が一気に崩れ去る事態だ。カイの表情も曇る。
ドーリウの黒い目が二階のエルネスティーネとカイを捉えた。
「なんだ、まだ学生じゃないか。それにそんな貧相な杖じゃ大した魔術は使えないだろう」
ドーリウは拍子抜けした様子だった。そして、目を閉じ、再び開けた時には憐れみの眼差しに変化していた。
「若い芽を摘むのは心が痛むが、これも仕事だ。せめて苦しませずに終わらせてあげるよ」
エルネスティーネはドーリウの憐れみの奥に潜む冷酷さを感じ取っていた。命を奪う行為に心の痛みなどないだろう。死の宣告に恐怖が心を蝕む。
ドーリウの言葉に一番動揺したのは彼の背後の男たちだった。
「あの、ドーリウさん。魔術師の娘は王都へ送る事になってまして…無傷で捕らえよとの命令なんですが…」
背後からの声掛けにドーリウは指で頭を掻いた。
「あれ、そーなの?」
振り返ると男たち全員が大きく頷いていた。
「いやぁ、寝起きに指示されても忘れちゃうよね」
誤魔化すように笑うドーリウ。エルネスティーネたちに向き直ると杖を肩に当てた。流木のような不規則な形状の杖が肩を叩く。
「危ない危ない、やっちゃうとこだった」
強張った表情のエルネスティーネを見上げると薄く笑みを作った。
「という訳だからきみは丁重に捕獲するとしよう。そっちの男はさようなら、かな」
ドーリウが空いた手を下から掬い上げるように頭上に掲げた。すると、床から黒い影が実体を持って現れた。影は黒いローブを羽織った人影に見える。影は両腕をエルネスティーネとカイの方へ伸ばし、ゆらゆらと動かしている。
エルネスティーネの背筋に悪寒が走る。あれは危険なものだと身体が危険信号を上げていた。
ドーリウの背後の男たちの顔にも畏怖と恐怖があった。男たちが自然とドーリウから距離を取り、玄関から外へと後退していた。
「さぁ、行っておいで」
ドーリウの言葉と共に影が床を滑り、二人へ接近する。エルネスティーネは即座に炎の矢を放つ。矢は正確に影を貫いた。影は霧散したかと思われたが、次の瞬間には再生し何事もなかったかのように動いていた。
カイはエルネスティーネを支えていた手を離した。
「お嬢様、歩けますか?奥に逃げてください」
「無理よ。もう立つのが精一杯なの。あんたこそ逃げなさいよ。少なくともあたしは殺されないんだから」
「それはできません」
カイは欄干にエルネスティーネを残して階段へ向かった。一人であの影を相対するつもりだった。
「ちょっと、戻りなさいよ!」
今回ばかりは主人の命に従うわけにはいかなかった。ゆらゆらと揺れる影が階段を上がって来る。カイは剣と盾を構えると眼下の影に剣を振り下ろした。影は霧散するが直ぐに形を取り戻す。
カイは剣と盾を滅茶苦茶に振り回した。影が霧散と形成を繰り返す。
魔術師相手に勝とうなんて考えていない。少しでも時間を稼ぐ、その思いで体を動かす。
階下のドーリウはその様子を薄ら笑いを浮かべ傍観していた。
カイの額には汗が浮かぶ。何度も剣を振るっていたが、急に腕に力が入らなくなった。視線を手元にやると、いつの間にか影の下部から細い手が伸びておりカイの腕を触っていた。急激に握力が無くなり、手から剣がこぼれ落ちる。甲高い音を立てて剣が階下まで転がっていく。
カイは盾で影を払うと後ろに下がった。右腕が麻痺したように動かない。カイの顔には理解不能な事態故の恐怖と焦りがあった。
「それは触れた者の生命力や魔力を奪うんだよ。凄いだろ?あ、心配しないで。眠るように死ねるから。苦痛はないよ」
ドーリウの説明にエルネスティーネの顔が嫌悪で溢れる。
「他者の生命力や魔力を奪う魔術は禁忌指定されてるのに…」
「禁忌だろうが何だろうが有用なら使わないと損でしょ」
「審問官に捕まれゲス野郎」
「おっと、かわいい娘がそんな汚い言葉を使ったらダメだよ」
エルネスティーネは炎の矢をドーリウ目掛けて放った。矢は結界に阻まれて青い燐光となり消えた。結界の向こうでドーリウが涼しい顔をしている。
「酷いね、急に攻撃してくるなんて」
余裕で防御しておいてよく言う、とエルネスティーネは心中で毒づいた。
ドーリウは再び手を掲げた。彼の周囲の床から幾つもの影が盛り上がり、同じような人影となった。その数八体。
ゆらめく影たちはカイとエルネスティーネに向かって両手を伸ばし蠢く。
カイの眼前の影も呼応しているのか腕を伸ばしてゆらめいている。
「さぁ、どこまで頑張れるかな?」
命を奪う凶悪な影追い詰められた絶望的な状況に、カイとエルネスティーネはなす術がない。
ドーリウの影のような黒い目に見え隠れする冷酷な光が強まる。
生者に焦がれる亡者を体現した影が命を奪い去ろうとしていた。




