60、獣の本能
シャズは階段を降りながら階下にいる男を観察した。この国では珍しい双剣に多数の返り血。体躯は普通。しかし、身のこなしから手練である事が窺える。フードが邪魔で顔は見えない。この男が同族なのは感覚で分かる。さて、どの部位が獣なのか。
この男が娘の言っていた盾に間違いない。本当に娘を取り返しに来たか。
シャズは嬉しくて仕方なかった。これから始まる闘争に期待が膨らむ。
「お前、魔術師の娘を取り返しに来たんだろ」
ソルは答えない。シャズの動きを注意深く目で追っている。
「俺はここの警備筆頭だ。俺を倒さないと娘には会えねぇぞ」
階段を降り切ったシャズとソルが対峙する。そこへソルを追って来た男たちが合流した。気色ばんだ男たちがソルに斬りかかる前にシャズが一喝する。
「手を出すな!邪魔したら殺す!」
まさに獅子に睨まれたかのように男たちは萎縮した。さっきまでの威勢は一瞬で吹き飛んでいた。
男の一人がおずおずを口を開く
「で、でもシャズさん…」
「お前たちはもう一人の侵入者の方へ行け」
男の言葉を待たずにシャズは指示を出す。獅子の命令に背く者はいない。男たちはそそくさとエントランスから出た。
ソルはカイとエルネスティーネを案じた。あの二人であの人数を対処できるだろうか。
「おっと、向こうの心配をしてんのか?人間相手にお優しいこって」
シャズに内心を見透かされたソルは不愉快になる。双剣をシャズに向けて構えた。対するシャズは特に構える事なく立ったままだ。
「お前はまず自分の心配をした方がいい」
そう言い放ったシャズの体が前に揺れる。そう見えただけで、彼は恐るべき速さでソルとの距離を詰めていた。
外套から出た獣の腕がソルに向かって振り下ろされる。五指の先の長く鋭利な爪が首を狙う。
ソルは右の剣で爪を弾き返す。同時に左の剣で下方から来たもう片方の爪を受け止める。ソルは左腕を回転するように動かし爪をいなすと、シャズの胸を蹴って後方へ跳んだ。
シャズは追撃しない。双剣に弾き返された爪からの衝撃と痺れが腕から肩へと上がっていく。ソルの体躯に見合わない力の強さに歓喜の笑みを浮かべた。
ソルはシャズの速さに驚いていた。図体の大きさに気を取られていたが、速さまで兼ね備えているとは。 それにあの腕。エルネスティーネから聞いていたが、爪が凶悪過ぎる。自在に操れる十本の短剣を装備しているようなものだ。蹴った胸部もダメージを負った様子はない。
この国に来てから初めて出会う脅威となる人物に、ソルの頭が冷えていく。
シャズは外套を脱ぎ捨てた。肩まで鳶色の体毛で覆われた太い腕が露わになった。鍛えられた分厚い胸板は服越しでも分かる。
「久しぶりに楽しい思いができそうだ。お前もそうだろ?同胞」
「…お前と一緒にするな」
ソルは低い声で否定する。シャズは鼻で笑う。
「同じだぜ、獣憑き。闘争は俺たちの性。お前だって満月の夜は疼くだろ?」
「黙れ。お前と話している暇はない」
ソルの眉間には深い皺が刻まれる。それは苦悩の現れ。
「つれねぇな。数少ない同胞なのによ」
シャズはだらりと垂らされた指を動かす。爪同士が当たり甲高い音が鳴る。彼の言葉の内に仲間意識などない。あるのは強者に出会えた喜びのみ。同胞すら激しい闘争の糧とする貪欲な獣がそこにいた。
ソルは細く息を吐くと、一気にシャズとの間合いを詰めた。右の剣がソルより頭一つ大きいシャズの腹部を狙う。水平に振るった剣は五本の爪で防がれた。
左の剣を瞬時に逆手に握りかえ、ソルに突き出された反対の爪の一撃を横に弾く。
伸ばされた獣の腕を掻い潜って更に近づこうとするが、真横からシャズの蹴りが襲う。ソルは地に臥す勢いで体勢を低くし回避。丸太のような脚が唸りを上げて頭上を通過する。
ソルはその体勢のままシャズの斜め後方へ低空で抜けると反転し、広い背に向かって双剣を振り上げた。
しかし、刃は後ろ手に回された爪により防がれる。剛腕によって爪が双剣を押し返し、勢いをつけて体を反転させたシャズがもう片方の爪をソルに振り下ろす。
ソルは横に跳び爪を避けるが、振り下ろされた爪は軌道を変え追ってくる。双剣を交差させ爪を防ぐ。
重い金属音と共に、骨を軋ませる程の衝撃がソルを襲う。耐えきれずにソルは後方へ吹き飛んだ。
壁に激突する寸前で体を捻り回転させ、壁に垂直に着地した。衝撃でソルの両足が壁を破壊し放射状の亀裂が生じる。
ソルが顔を上げると目前にシャズが迫っていた。獲物を捉えた灰色の目は暴力的な衝動に満ちている。
肩を引いて腕を振りかぶり、五本の凶器が凄まじい速度でソルの頭部を狙う。
不安定な体勢での防御はシャズの剛腕の前では無意味。命の灯火が吹き消されようとしている時でも、ソルの目は冷静に活路を見出していた。
シャズの爪が頭部に届こうとした時、ソルは壁を全力で蹴り斜め下に跳んだ。轟音が鳴り、更に破砕された壁の破片が舞い散る。
爪の下を潜るように回避できたが、床までの距離が近い為体勢を整える事ができない。床に突っ込む形で衝突し、勢いのまま転がって行く。
攻撃を回避されたシャズの顔には愉悦。爪には血液が付着していた。
ソルは転がった終着点で即座に立ち上がり体勢を立て直す。床にぶつけた肩や脇腹が痛む。それと、下腿後面にも鋭い痛みを感じる。一瞬だけ視線を下げると左下腿後面に斜めに三本の裂傷ができていた。長靴を易々と貫通している。傷は深くはない。戦闘には問題ないはずだ。
シャズの攻撃を回避しきれず受傷してしまった。強引な回避行動だった為、この程度で済めばいい方だろう。
シャズは体を反転させると口の端を歪ませた。
「あの一瞬で判断して回避するか。さてはお前の獣は目だな」
ソルは黙して語らず。双剣を構え、シャズとの間合いを測る。
「感覚器が獣の奴らは俺らと違ってひ弱だと思っていたが、お前は違うな」
シャズは王者の歩みでソルとの距離を縮める。
「お前は今まで、俺が霞むくらいの数の人間を殺してきただろ。臭いで分かるぜ。殺しが好きなんだろ?」
「好きで殺しをしていた訳ではない。それが仕事だったからだ。好き嫌いで語るようなものではない」
ソルの冷淡な言葉にシャズは嘲るような笑みとなる。
「お〜流石に年から年中戦争している所のヘイタイサンは言う事が違うな」
シャズはソルの出自を見抜いていた。単純に装備と見た目でガルドラント出身だとは推測できるが、シャズは彼の一連の動きで戦争に従事していた兵士である事を察していた。
「それでも、嫌いじゃなかったんだろ。人殺しが嫌いならそこまでの数殺せねぇよ」
「俺はただ、命令に従っていただけだ。国を統一し争いを終わらせるという大義の為に」
シャズの顔に不愉快さが現れる。
「殺す理由に大義なんて大層なもんつけてんじゃねぇよ。どんなに高潔な理由を付け足しても俺とお前がやってる事は同じだ。大義は人殺しの免罪符にはならねぇぞ」
ソルは反論できなかった。自分は違う、と明確に言い切れない理由があった。
シャズは足を止め、爪でソルを指した。
「ここに来るまで何人斬った。その時、お前はどんな顔をしていた?フードの下で笑っていたんじゃねぇのか?」
「それはない」
「そうか?それなら二年前のデカい満月の夜はどうだ?」
ソルの脳裏に忌まわしい夜の出来事が蘇る。無意識に双剣を握る手に力が入る。
その時、自分はどんな顔をしていたのか。自分があの夜に何をしたか。悍ましい惨劇の中心にいたのは誰か。
シャズはソルの動揺を感じ取った。
「ハッ、その様子じゃお前もやらかしたみてぇだな。俺は停戦協議中の派閥の連中を皆殺しにしちまった。あん時は抑えが効かなかったんだ。連中を引き裂いている時が凄ぇ気持ち良くてよ。そうだろ?」
シャズは顎を上げ、両手を広げるとフードの奥を見下ろした。
ソルは答えられない。代わりに深呼吸を一つ。
今は忘れ去りたい過去と向き合っている場合ではない。この男の会話に付き合う必要はないのだ。惨劇の記憶を押し込める。すると湧いてきたのは最後に見たイーリスの顔。不安と寂しさを押し殺した表情が目の前に浮かぶ。
固かったソルの表情に変化が生じる。
「他者を蹂躙しバラバラに散らかすのが史上の快楽、とでも言えば満足か」
ソルの声音に動揺はない。シャズは片眉をはね上げる。
「お前と俺は根本は同じなのかもしれない。だが、生きるために闘争に身を置いた俺と、闘争の為に生きているお前とでは道が違う。何度も言うが、一緒にするな」
「ほぅ、言うじゃねぇか。でもな」
シャズが腰を落とし両手を体の前に構えた。漲る殺気がソルを捉える。
「獣の本性は誤魔化せねぇ!」
獅子の咆哮と共にシャズが超速で前進する。ソルも同じく前進した。一瞬で間合いが詰まり、爪と双剣がぶつかり合う。
左右の爪の連撃を左右の剣で防ぐ。衝撃でソルの体が後ろに押される。一撃の重さが増している。下手に受けると剣を弾き飛ばされそうだ。
連続して繰り出される爪の攻撃を紙一重で避ける。しかし、ソルの目でも攻撃の軌道から不意に外れて動く指を見切るのは難しかった。
回避しきれない攻撃で受ける傷が増えていく。致命傷には程遠い浅い傷だが、着実に血を体力を削られている。
ソルもやられてばかりではない。回避しつつ双剣を嵐のように振るい、急所や装甲の薄い腕を斬りつける。爪の攻撃を縫った正確無比な剣捌きは、全ての攻撃を
予知しているかのようだった。
五指の爪の狭い間を右の剣がすり抜けシャズの胸に突き刺さる。爪が右手に襲いかかるが剣の柄を離したソルには届かなかった。
シャズは刺さった剣に構う事なく左の爪をソルの顔面に突き出した。ソルは左の剣を顔近くに掲げ横に回避しつつ爪の軌道を逸らした。
そこへ右の爪が無防備なソルの側面を狙ってきた。真横からの強烈な一撃をソルは真上に跳び回避した。
高く跳んだソルは、天井から吊り下げてあるシャンデリアへ左の剣を投擲した。剣は天井とシャンデリアを固定している金の鎖の一つを切断した。斜めに落ちてきたシャンデリアの端を掴んで停止。シャンデリアもそれ以上は落ちて来なかった。空中に逃げた後の落下点を予測した攻撃を不可能とさせた。
ソルの右手には剣が戻っていた。上に跳んだ時に刺さった剣を回収していたのだ。
身体を振り子のように揺らし、その勢いでシャンデリアの上に着地する。天井に刺さっている剣を引き抜くと階段や周辺の物との位置関係を再確認した。
大きく揺れるシャンデリアを見上げるシャズの胸からは出血。彼の表情から察するに傷は浅い。
「残念だったな。肋骨にすら届いていないぞ」
「問題ない。直ぐに肺腑の奥まで刺し込んでやるさ」
両者身体の至る所が血に染まっていた。白い大理石に赤い斑点が散らばっている。
シャズは内心ソルの身体能力の高さに感嘆していた。獣憑きは生来身体能力は高いものだが、どういう訳かこの異国の剣士は頭一つ抜けている。シャズの獣の腕には及ばないが力も強い。今の跳躍も両脚が獣の獣憑きと遜色ない高さだ。それにあの剣捌き。爪とぶつかり合う度にいなすのが上手くなっている。こちらの攻撃への順応が早い。
今までにない強敵に武者震いする。
ソルは厄介な十本の爪の攻略法を考えていた。例え懐に入ったとしても、手首を返すだけで反撃が可能な爪が背後を狙って来る。強度が高く斬れ味も鋭い獅子の爪は簡単に身体を貫くだろう。爪を封じるか間合い外から攻撃をするか。答えは出ない。
「おい、いつまでそんな所にいるつもりだ?早くしねぇとあの娘は心身共にラルスの商品になっちまうぜ」
シャズの言葉にソルは舌打ちする。グズグズしている暇はない。
ソルは不安定な足場の上で剣を一閃した。天井からシャンデリアを固定している全ての鎖が切断される。胃が裏返るような浮遊感と共に大きなシャンデリアが落下する。
真下にいたシャズは直ぐに後退した。ソルは落下の途中でシャンデリアを蹴り、シャズと反対の方へ跳んだ。
美しい輝きを放つシャンデリアが凄まじい音を立てて床に衝突する。破砕された破片が周囲に礫となって飛び散った。




