59、闘いの始まり
エルネスティーネを抱えたソルは、一階へ続く階段の手前で止まった。
一階から見えない位置にエルネスティーネを降ろす。壁から半分だけ顔を出し一階の様子を窺う。
玄関ホールにはまだ誰もいない。開け放たれた扉の向こうでまだ存在しない形見探しをしているようだった。今の内にエルネスティーネを外に出し、カイと素知らぬ顔でここを出る。そして屋敷内の捜索をする、そう考えて顔を引っ込めた時、玄関の扉が勢いよく開いた。
再び顔を出すと、息を切らせた男がホールに飛び込んで来た。地下から出た時に会った男だった。
「侵入者だ!ここに怪しい奴が来ただろ!」
男の叫びが響き渡る。
不味い、勘づかれてしまった。
開け放たれた扉から男たちが出てくる。カイの姿はない。一様に皆怪訝な顔をしていた。
「侵入者ぁ?」
「デカいのと頭巾の奴!間抜けそうな二人組が来ただろ!?」
血相を抱えた男の言葉に、部屋から出てきた男たちは後ろを振り返った。
その時、盾と剣を構えたカイが部屋から全力突進してきた。突進の軌道にいた二人の男が吹き飛ばされ床に転がる。
「こいつだ!」
肩で息をする男がカイを指す。一斉に武器を抜き放ちカイを包囲した。
ソルが助けに行こうと足を踏み出した時、エルネスティーネに裾を掴まれた。振り返ると険しい表情の彼女が声を絞り出した。
「お願い、その杖を借して。それがあればあたしも闘える」
ソルは彼女の申し出に逡巡し、直ぐに返答ができなかった。これはイーリスが今最も必要としている物だ。しかし、彼女の魔術師としての戦力も欲しい。
エルネスティーネも彼の内心を読み取っていた。
「あたしとカイがここで奴らを引きつけるから屋敷に行って。早くあの子を見つけて。杖は必ず返すから」
彼女の瞳には強い決意があった。
ここでカイと足のおぼつかないエルネスティーネを護りながら脱出するのは現実的ではない。時間をかければかける程イーリス救出が困難となる。
冷静に決断したソルは鎖を解いて、背負った杖をエルネスティーネに渡した。
階下からは剣戟と盾にぶつかる重い音が聞こえてくる。カイの力では長くは持たない。
「任せたぞ」
ソルはエルネスティーネの肩を叩いた。彼女の顔が一瞬赤くなる。
ソルは踵を返すと階段横の欄干から飛び降りた。空中で双剣を抜くと、真下に居た男の首から背を斬り捨てる。
「てめぇ!」
着地点近くに居た男がソルに剣を振り下ろす。ソルは低い姿勢から双剣を振り上げ剣を弾き返す。振り上げた双剣をそのまま振り下ろし、男の片脚を切断した。
痛みに叫ぶ男の胸板を蹴り、後方でカイの盾に斧を叩きつけている男を巻き込んで吹き飛ばす。
ソルはカイの隣に行くと彼の背と背を合わせた。
「ここにイーリスはいない。俺は屋敷へ行く。二階にエルネスティーネが居るから護ってやれ」
「わ、分かりました!」
カイは剣を突き出しながら二階に視線を向ける。欄干の向こうに、厳しい顔をしてこちらを見下ろすエルネスティーネが立っていた。
カイの瞳にも闘志が湧き上がる。
ソルは正面の男の剣を右手の剣で受けると、左の剣で腹部を斬り裂いた。崩れ落ちる男の横をすり抜け、玄関に陣取っていた伝令の男の方へ向かう。
伝令の男は槍斧の鋭い突きをソルの胸元に向けて繰り出す。ソルは体を横に逸らし回避。避けられることを想定していた男は、腕を横に振るいソルを追尾する。水平の薙ぎをソルは地を這うようにして逃れる。重い刃がフードの頭頂を薄く削り取った。
ソルは男の懐に入るが背後に悪寒。横に跳躍すると同時に、今までいた所に槍斧の刃があった。懐に入られた男が強引に柄を引き戻したのだ。
この男はさっき斬った男たちより実力が頭一つ抜けているようだ。槍斧の扱いならヨルクより上だ。
男が槍斧を脇に挟み込むように保持し、間合いを詰めて来る。その顔には苦々しさがあった。間抜けだと思っていた奴が想像以上に強かったからだ。演技にしてやられたと奥歯を噛む。街のゴロツキ程度の装備に似つかわしくない速さと勘の良さ。明らかに闘い慣れている。
男が近づくとソルが滑るように前に出た。自ら槍斧の間合いに入っている。男が連続して突きを繰り出す。ソルはそれを正面から双剣で受ける。何度目かの突きを斜め上に弾き上げると、流れるように男に向かって足を踏み出す。
長柄の弱点である間合いの内側が狙われている事を理解している男は、即座に刃の軌道を変える。柄を引き内側に入られないようにする。
しかし、ソルは攻めてこなかった。踏み出した足の重心を変え、男が槍斧を持つ左側へ跳んだ。ガラ空きの左側面に向かって右の剣を投擲する。
刃の軌道修正をしていた男の反応が遅れるが、力任せに槍斧を振るい飛んでくる剣を弾いた。予想外のソルの動きにだったが、難を逃れた。そう思った時には遅かった。
剣を弾いた時にはソルが男との距離を詰めていた。速すぎる。男は来るであろう斬撃を後方へ跳ぶ事で回避しようとした。だが、何かに引っ張られるように動けなかった。
槍斧の柄がソルの右手に握られていた。男は思わずソルを振り払おうと、渾身に力を込めて槍斧を動かそうとしたがびくともしなかった。ありえない力の強さに男の背筋に氷塊が滑り落ちる。
男は槍斧を手放しソルから離れようとしたが、やはり判断が遅過ぎた。
剛腕に手繰り寄せられる槍斧と男。一瞬で肉薄したソルは左の剣を男の腹部に深々と突き刺した。勢いで刃が柄上まで埋まる。
男の顔は苦痛を残したまま絶命した。
ソルは素早く剣を引き抜くと血を払った。呼吸に乱れはない。その時、背後に轟音。煌々と燃える炎の矢が、カイを追い込んでいた男の足元に突き立っている。
エルネスティーネか欄干を支えにして炎の矢を打ち出していた。男たちがカイから離れる。
向こうは向こうで何とかなっているようだ。
ソルは玄関扉近くに落ちていた双剣の片割れを拾うと離れから出た。
駆け出すと背後の喧騒が直ぐに遠ざかる。
日が沈み薄暗くなった渡り廊下を進むと、前方から人の気配。廊下の角から二人の男が同じく走って来た。
男二人は、抜剣し返り血を浴びているソルを視認すると同時に戦闘態勢に切り替える。右側の男は片手剣と盾を、左側の男は長剣を構えた。
ソルは疾走を止める事なく二人の間に突っ込む。相手の間合いに入る前に地面を強く蹴り、片手剣の男の方に方向を変えた。
男が盾の陰から片手剣を振るう。ソルは上に跳んで回避する。一拍遅れて長剣の一撃がソルが今しがたいた場所を薙いだ。
宙のソルは、彼を追って上を向いた盾に着地すると盾を蹴り後方へ跳んだ。あまりの衝撃に盾ごと男が転がる。
長剣の男の背後に跳んだソルは落下しながら体を捻る。双剣を男の首筋に突き出す。
男は横に転がって突きを回避する。しかし、完全には回避しきれず首を大きく切り裂かれた。致命傷は避けられたが出血が多い。
男が体勢を立て直した時には、ソルが目の前にいた。流れるような双剣の斬撃をかろうじて長剣で受け止める。男の顔には焦り。次々と急所を狙った斬撃が襲ってくる。捌ききれない刃が男の体を刻んでいく。
男の口から呻きとも叫びともとれる声が漏れる。
この侵入者と闘う前は自分は強者側だと思っていた。それが思い上がりだった事に気付かされる。絶望が生まれ闘志を消す。
ソルが回転しながら両の双剣を振り下ろす。掲げられた長剣を双剣が半ばから折る。双剣は折られた剣を抜けて、軽装鎧ごと男の肩から胸を深々と斬り裂いた。二本の傷は骨を断ち切り肺や心臓に達していた。
血泡を吐きながら倒れた男の目は暗く、一点を見つめていた。光を失った目が見ていたのは強者の背中。
ソルは双剣を振り血を払うと、片手剣の男へ向かおうとしたが姿がなかった。顔を動かすと庭園の奥に逃げる男がいた。
勝てる見込みがないと判断し保身の為に逃走したか。手間が省けた。
再び駆け出すと廊下の角を曲がった。先には屋敷内へ続く扉が見える。
その扉が開かれ、数人の武装した男たちが出てくる。屋敷の奥からもこちらへ向かってくる男たちが確認できた。人数が多い。
ソルに気づいた男たちが向かって来る。ソルは急停止し、右側の屋敷の窓に飛び込んだ。激しい音を立てて窓硝子が割れる。一回転し着地したソルは止まる事なく走り、飛び込んだ部屋の扉を蹴り開けた。扉の向こうは白い大理石の廊下だった。左右に長く続く廊下がこの屋敷の広さを物語る。
さて、この広い屋敷内からどうやってイーリスを見つけたものか。迷っている時間はない。男たちの怒号も近い。
近くの部屋から衣類を大量に抱えた侍女が出てきた。積み上がった衣類が視界を隠している為、ソルには気づいていない。
よたよたと近づいて来る侍女にソルは声をかけた。
「おい、魔術師の娘がここにいるだろう。何処だ」
年若い侍女は立ち止まると衣類の山から顔を覗かせる。彼女の目に服やフードのあちこちに返り血を浴びた男の姿が映る。男の手に握られた双剣の刃に照明があたり鋭く光っていた。
侍女が怯えた様子で息を飲む。
「時間がない。さっさと答えろ」
ソルの冷たい声に侍女の顔から血の気が引く。強張った口を何とか開いた。
「あ、あの、離れに…」
「そっちじゃない。もう一人の方だ」
「え、あ…たぶん、二階の」
その後の言葉は男たちの罵声で掻き消された。左手から武器を持った集団が走って来る。
ソルは顔面蒼白になっている侍女の方を向いた。
「階段は何処だ!?」
侍女は走って来る男たちの方に視線を送った。ソルは振り返ると武装集団へと疾走する。
腰が抜けた侍女はその場に座り込んだ。
「殺っちまえ!」
「俺がやる!」
「いや俺だ!」
「吊るせ!」
血気盛んな男たちの声が、美しい屋敷内に響き渡る。
ソルは更に加速し、集団と激突する寸前で斜め上に跳んだ。男たちの武器が空を斬る音がした。
ソルは壁を蹴り反対側の壁まで跳んだ。蹴った壁には靴跡の形の凹みができていた。
壁から壁へと跳躍を繰り返し、男たちの頭上を越えて行く。あっという間に集団の最後尾に着地するとそのまま走り去る。
男たちが踵を返しソルを追う。しかし、ソルの速さには追いつけない。ソルの背に向かって短剣を投擲するが、簡単に避けられた。
大理石の廊下を抜けると広いエントランスに出た。中央に二方向に別れた階段がある。
階段へ向かう。が、二階から外套を纏った大男が悠然と姿を現した。獰猛な笑みを浮かべた大男からは隠すことの無い強い殺気が放たれている。鬣のような鳶色の髪に野生的な灰色の目。獅子を体現したかのような男だった。
ソルは足を止めた。感覚で分かる。この男が例の獣憑きだ。




