58、見張り
屋敷の一室、間抜けそうな二人の新人を見送った男は椅子に脚を組んで座っていた。
男の視線の先には白を基調とした室内には似つかわしくない重厚な鉄製の扉があった。地下に続く扉の先は商品女の居住区がある。
男は見張りだが、ここから商品が逃げ出したことは一度もない。厳重な扉に鍵が付いていれば簡単には逃げられない。正直、ここに見張りなんて必要かと思ってしまうが、楽な仕事なので何も言わない。
だが、たまに居住区に忍び込んでよろしくやろうとする輩が居るので気は抜けない。ここでは商品に手を出したら殺される。それを分かっても尚、忍び込もうとする阿呆は絶えない。そういう阿呆に限って自分の腕に変な自信を持っている。強いからバレても強行で逃げればいいとでも思っているのか。
それは無理だ。シャズに一捻りされて終わる。もう何人処分されただろうか。あの獰猛な獣憑きは恐ろしく強い。
大人しく指示に従うに尽きる。
重い鉄の扉が内から開く。中から侍従と同僚の男が出てきた。二人とも慌てた様子だった。
「侵入者だ!裏から入られている!」
「何!?」
座っていた男が立ち上がる。
「八番が誰かが来たと繰り返すから調べてみたらこれが」
侍従の手には切断された鉄鎖と南京錠が握られていた。裏の出入り口の存在は知っていたが、今まで使われたことはない。
「二人分の男の声がしたと言っていた。怪しい奴に会わなかったか」
侍従の言葉に、男の脳裏にはさっきの間抜けな新人たちの姿が浮かぶ。
「まさか、あいつらか!?」
舌打ちして駆け出す。
「そいつらは離れにいる!お前たちは旦那とシャズに報告しろ!」
男は部屋を飛び出して行った。残された男たちも慌ただしく部屋を出る。
事態は悪い方へと転がっていく。ソルたちに残された時間は少ない。
*****
また屋敷のどこかの一室。美しい衣装や鏡台が並ぶ中、二人の侍女が困り果てていた。
侍女の目の前には椅子に座ったイーリスがいる。テーブルには化粧品や装飾品、タオルから軽食まで置いてあった。
「きれいにして着替えをするだけですから、拒まないでいただけませんか」
年若い侍女がイーリスに協力を求めるも、彼女は目を閉じて無反応だった。
侍女同士目を合わせ肩を落とした。
これからの準備の為に来たはいいが、この少女は全てを拒否してしまいどうしようもなかった。顔の血痕を拭こうとしても顔を手で覆われ、着替えをしようとしても破れた服を握って抵抗される。空腹だろうと軽食を勧めても拒否。
二人がかりで無理矢理行うと暴れられる可能性があるので出来ない。それに、彼女に傷をつけてしまったら責任を問われてしまう。
今までここに来た少女たちは従順に協力してくれた。この様に拒絶されてしまうのは初めてのケースだ。
「埒があかねぇなら俺が押さえつけとくぜ」
頭を抱えた侍女に声をかけたのは見張りで来ていた男だった。
武装した屈強な男は、壁に預けていた背を浮かし歩み寄る。使い込まれた長剣を装備した軽装鎧の壮年の男だった。
「でも、もし傷付けてしまったら旦那様に叱られてしまいます」
侍女の顔には不安。この男なら華奢な少女など簡単に拘束できる。しかし、彼女が一切の準備を拒否している今は無傷では無理だろう。
「このままにしとく訳にもいかねぇだろ」
男がイーリスの前に立つ。
「それに、こいつ怪我してんだろ。痣の一つや二つ増えても分かりゃしねぇよ」
「そんな…」
男はまだ何か言いたげな侍女を一睨みして黙らせる。
「そういうこった。聞いてただろ?大人しく従うな今の内だぜ」
微動だにしないイーリスを見下ろし冷たくて言い放つ。
口を噤んでいたイーリスがようやく口唇を動かした。
「私に触らないでください」
出てきたのはやはり拒否の言葉。男の顔に苛立ちが浮かぶ。
男は無言でイーリスの腕を掴むと、床に引きずり落とした。イーリスの体がテーブルに当たり、花瓶や化粧品の瓶が倒れる。
床に倒れ伏したイーリスの腕を持った男は、握る手に力を入れた。彼女の体を持ち上げるように腕を上げる。軽いイーリスは簡単に宙に浮いた。つま先が床から離れ、腕一本で吊るされていた。
握られた腕と荷重のかかる肩の痛みに顔を顰めるイーリスを見て、男は冷ややかに笑った。
後ろでは侍女たちが青ざめている。
「反抗的な奴には躾が必要だな」
男の空いた手がイーリスの顔を掴み、自分の方へ向けさせた。イーリスの閉じられた瞼が開く。夜明けの空を閉じ込めたような瞳に恐怖や怯えは無かった。
その目が男を更に苛つかせる。
男は乱暴にイーリスを床に叩きつけた。床は絨毯で覆われているとはいえ、その衝撃は大きい。イーリスは衝撃と痛みで浅い呼吸を繰り返す。
「まだ反抗するか?」
男は下を向くイーリスの顎先に、硬い長靴のつま先を当て顔を無理矢理上げさせた。
イーリスの顔には苦悶の表情があるが、目には静かな闘志が存在していた。
唐突にイーリスの片手が伸び男の脚を掴んだ。まだ抵抗する彼女に対して、男の心に暴力的な感情が吹き荒れた。
男が腰の長剣に手をかけた。侍女たちから小さな悲鳴が上がる。
その時、部屋の扉が荒々しく開けられた。男の動きが止まる。
部屋には男の同僚が入って来た。その顔には焦り。
「侵入者だ!お前も来てくれ!」
男は脚を引きイーリスの手を振り払った。
「また、他所の派閥からの嫌がらせか?」
「それはまだ分からん。引っ掻き回される前に始末するぞ!」
興が削がれた男はイーリスには見向きもせず、同僚と部屋を出て行った。
イーリスは振り払われた手をゆっくり閉じて開くと、絨毯の上に置いた。浅かった呼吸が徐々に元に戻る。
侍女はオロオロとしているだけだったが、冷静さを取り戻した一人が部屋の端から長椅子を引きずってきた。もう一人も手伝う。イーリスの傍まで持ってくると声をかけ、長椅子に座らせた。流石にイーリスも抵抗しなかった。
「横になって休んでください」
侍女がそう言うとイーリスは長椅子に横たわった。側胸部に痛みを感じる。
侍女は衣装の中にあった白地に金刺繍が施されたローブをイーリスの体にかけた。
倒れた花瓶を片付けると、侍女の一人はラルスへ報告しに行った。もう一人は濡れた化粧品や装飾品を拭きながらイーリスを見守る。
イーリスはローブの下で縮こまるように丸まった。痛む腕を摩り静かに目を閉じる。頭の中では魔術の構成と構築を繰り返し、来たるべき時に備えていた。
もし、本当にソルが捕まっているのなら自分が絶対に助け出す。そう彼女は決めていた。例えどんな方法でも。
イーリスの手首に嵌る銀の腕輪の紋様が赤く光る。淡い光はローブの下で明滅していた。光は厚いローブに遮られ侍女が気づく事はなかった。
腕輪の声無き悲鳴は誰にも届かない。
彼女の中ではラルスや男たちへの怒りが育っていた。理不尽な暴力に晒され、物として扱われる。こんなに不愉快な事があろうか。
挙句ソルまで利用しようとしている。自分を従わせる為に他人を犠牲にする、その考えが許せなかった。
怒りや不安といった負の感情が煮詰まっていく。
少しずつ蓄積された闇がどの様な形で爆発するのか。その刻限はもう近い。




