57、演技
ソルとカイの正面の扉が開いた。ソルは身構えようとしていたが止めた。カイは何もできずに突っ立っている。
武装した男が一人部屋に入ってきた。
「あ、何だお前ら。見ねぇ顔だな」
男は訝しげな顔で二人を見回す。その目には警戒の色。
「今日雇われたばかりでな。屋敷が広過ぎて迷っていたところだ」
ソルは努めて安心したような声で話す。
「助かった。俺らのような雇われ者はどこに行けばいい?」
「迷子かよ。マヌケだな。屋敷に入る前に聞いたはずだろ」
男は警戒から一転して小馬鹿にした表情になる。
「景気づけに酒飲んで来たら記憶が曖昧でな」
「アホだな」
笑う男にソルはぎこちなくも笑みを作った。怪しまれていない。このままイーリスたちの情報を引き出したいところだ。
男の視線がソルの肩から突き出ている杖に注がれた。
「おい、それ保管庫の杖じゃねぇよな」
「違う。これはここに来る前にかっぱらった杖だ。金に換えたい」
「盗品を売りてぇならラルスの旦那に紹介してもらうしなねぇな。旦那は忙しいからシャズに言っときな」
咄嗟に出た言葉だったが、男は疑いもしない。完全に酒浸りの小悪党だと思われている。ソルを見る目も、自分より駄目な奴を見る目になっていた。
「とりあえず、裏の離れに行きな。警備と護衛の割り振りがあるからな。丁度二人抜けたから仕事は山程あるぜ」
「それはありがたい」
「離れはここを出て左に行きゃあ分かる。さっさと行きな」
男は親指で扉を指す。すると、唐突にカイが口を開いた。
「あの、ここに魔術師が捕らわれていると聞いたんですが本当ですか?」
あまりの直球な物言いにソルは男の顔を見た。また怪訝な顔をしている。これは怪しまれるのではないか。
「何だ、お前。それを聞いてどうするつもりだ」
「いや、さっきちょっと耳にして不安になったんです。魔術師を捕らえているなら審問会が関わってくるかもしれないので」
ソルには審問会が何かは分からなかった。だが、男はにやりと笑った。
「ははぁ、お前は審問官とやり合うのが怖いんだろ」
「はは、そのとうりです」
「デカい図体してるくせに子犬みたいな奴だな」
へらへらと笑うカイ。
「まぁ、審問官はおっかねぇけどここが嗅ぎつけられる事はねぇよ」
「本当ですか?」
「おうよ。何てったってこの街の騎士団はこっち側だからな」
これは良くない情報だ。治安維持の為の騎士団が付いているならば、こいつらに都合の悪い事実は全て揉み消される。
「その魔術師は離れの二階に監禁してあるが近づくなよ。お偉いさんが欲しがってるからな。傷一つでも付けたら殺されるぞ」
「分かりました」
ソルは内心安堵した。少なくとも今は無事である事が判明したからだ。カイも同じだろう。居場所も分かった。もうここには用はない。
二人は部屋を出るべく男の横を通り過ぎた。
「おい」
男に呼び止められ二人の間に緊張が走る。男はソルの腕を見ていた。袖に血が滲んでいる。
「お前、怪我してんのか」
「…酔いが醒めたらこうなっていた。たまにあるんだ」
男は鼻で笑うとソルの肩を叩いた。
「酒にだらしねぇ奴だな。離れの酒は俺のだから飲むなよ」
怪しまれたかと思ったが違った。ソルは軽く頷くと部屋を出た。続いてカイも出てくる。
上手く誤魔化せた。ソルは細く息を吐いた。カイは既にどっと疲れた表情をしていた。彼の機転で情報を引き出せた。この功績は大きい。
二人は男に言われた通り廊下を左に進む。右手には大きな窓が並んでいる。外は霧が薄れ庭園の植栽が見えた。灰色の空からは光が失われつつある。もう夕暮れ刻に近い。
美しく磨き上げられた大理石の通路では、侍女や警備と思われる男とすれ違うが特に怪しまれる様子はなかった。面識のない者が居ても特段気にされないのは、この屋敷の人の出入りが多いからだろう。こちらとしては好都合だ。精々、屋敷の警備を過信していて欲しいものだ。
周りに人がいない事を確認し、ソルはカイに小声で話しかける。
「さっきの審問会、とは何だ?」
「魔術師絡みの事件や犯罪のみを専門とする捜査機関です。裁判もしてますね。審問官の人ってとてもおっかないんですよ」
「騎士団とはまた別の組織なんだな」
「審問官は皆エリート魔術師ばかりですから一般の人間は太刀打ちできません。まぁ、真っ当に生きていれば関わる事はない人たちです」
カイが悪戯少年のように笑む。さっきの男との会話を思い出しているのだろう。あれは自然な演技だった。意外に演者なのかもしれない。
話している内に通路の突き当たりまで来た。正面には観音開きの扉があった。片側の扉を開けると、屋根付きの渡り廊下が屋敷の裏へと続いていた。
ひんやりとした空気が頬を撫でる。
二人は誰もいない廊下を進む。
「で、ここからどうするんですか?」
「一人が陽動、一人が救出、その後は全力で蹴散らして逃げる」
簡単だろと言わんばかりのソルにカイは苦い顔になる。
「もしかしなくても、陽動するのは僕ですよね」
「他に誰がいる」
きっぱりと言われカイは複雑な笑みを浮かべる。
短時間で二階への侵入、見張りが居たら排除し救出。カイにも自分には無理だとは理解していた。しかし、一番にエルネスティーネを救出するのは自分でありたいと思う気持ちが心の片隅にあった。
だが、我が儘を言える状況ではない。グッと気持ちを飲み込み前を見据える。
ソルは頭の中で、離れに居る警備の者たちの数や武装の程度を考察する。屋敷内で会った男たちの風体からするに、昨日今日やり合ったチンピラよりは圧倒的に力量がある。武器の使い込み具合や歩き方を見ると、恐らく正規に訓練を受けた経歴があるだろう。
個々で闘う分には何も問題ないが、狭い部屋や通路での乱戦になった場合は面倒だ。
また、イーリスが闘える状態か否かで難易度は格段に変わる。無傷ではあろうが、眠らされている可能性がある。その場合は、動けないイーリスを抱えて脱出しなければならない。
見える範囲で中庭を確認し、逃走経路に目星をつける。
幾つもの可能性を想定して、どう動くか考える内に離れの近くまで来ていた。
屋敷の裏手にある離れはやや古い造りをしていた。屋敷に隠れるように建っている。外壁には蔦が這っており、周囲は雑草が蔓延っていた。曇った窓には全て内側に鉄格子が付いているように見える。
玄関先には割れた植木鉢や木材の破片が転がっていた。
ソルは緊張してぎこちない様子のカイの後頭部を軽く叩いた。
「大丈夫か。行くぞ」
「は、はい」
カイは拳を握り自分の胸を叩いた。顔から緊張が抜ける。
ソルが玄関の扉を開ける。軋んだ音が扉の開閉に纏わりつく。
玄関ホールは意外に広く、奥には二階へと続く階段があった。階段の前では三人の武装した男たちが絵札が並べられたテーブルを囲み、賭博に興じていた。
男の一人が突然の訪問者に不審な目を向ける。
「誰だ、お前ら」
「俺たちは今日雇われたんだ。ここへ行けと言われてな」
「また新顔が来たのか」
「流石旦那。補充早いな」
ソルの言葉に男たちは怪しむ事なく賭博を継続している。
「仕事の事はシャズが来たら聞いてくれ。そっちで待ってろ」
賭博に夢中な男は追い払うように手を振り、左手の扉を指した。もう誰一人二人の事など見ていない。
扉の先には酒と薬の臭いが充満する部屋があった。二段になった寝台や食料の並んだテーブル、散乱した椅子が雑然と置いてある。
木造りの床には酒瓶を抱えた男が寝ていた。テーブルには食料を摘む男が二人、寝台には一人寝ており、この部屋には計四人居た。
干し肉を齧っていた男が気だるげに二人を見てきたが、ソルが新人だ、と言うと興味を無くし視線を戻した。
さて、これ以上人が増える前に何とかして二階に侵入した方がいいだろう。
ソルは顎を軽く上げてカイに合図をする。カイは軽く頷いた。
カイは不自然にならないように転がっている椅子の方へ歩を進めた。そして、足を椅子に引っ掛け、盛大に転倒した。近くにあったテーブルも巻き込んで大きな音が響いた。
食料を摘む男たちが驚いて振り返る。カイは頭を摩りながら体を起こすと、これまた大きな声を出した。
「あぁー!転んだ拍子におばあちゃんの形見がなくなってしまったー!」
床を這いながら何かを探す仕草をする。緊張しているのかやや口調が棒読みである。
「なんてこった、見つからない!誰か手伝ってください!見つけた人には金貨一枚あげますから!」
傍観していた男たちの目の色が変わる。
「おい、見つけたらマジで金貨くれんのか?」
「もちろんです!」
男たちは席を立つとカイの周りにしゃがみ込む。
「形見ってのはどんなやつだ」
「お、おばあちゃんが好きそうな貴金属です」
カイと男たちは床に手をつき周辺を舐め回すように見ている。ソルも何となしに探す素振りをする。
すると、扉が開き賭博をしていた男たちが入ってきた。
「おい、金貨って聞こえたんだが」
「この間抜けな坊主が無くした形見を見つけたら金貨一枚くれるってよ」
「何だそりゃ。俺も参加させろ」
金の臭いに集まってきた男たち。カイを含め六人の野郎共が床を這う奇妙な光景が出来上がった。
灯りをもっと点けろ、これか、床きったねえな、など金貨を求めてありもしない形見を探す男たちの会話が続く。
ソルは探す振りをしながら気配を消し部屋を出た。それに気づく者はカイを除くといない。
カイの作戦が功を奏している今の内に二階へ侵入する。階段の先の廊下は左右に伸びていた。床を見ると左側は埃が積もっているのに対し、右側は埃が踏み荒らされて散らばり幾つもの足跡が残っていた。
ソルは迷わず右側へ進んだ。足音を立てぬよう走り、角を左に曲がると奥に侍従の姿が視認できた。ソルは走りを歩みに変えると黒服に近づく。
黒服はソルに気づくと迷惑そうな顔になる。
「さっき、シャズさんに二人半殺しにされたの知らないのか?三人目になるつもりかよ」
侍従が小さく舌打ちをする。ソルはその間も距離を詰める。素手での間合いに入った。
「何を勘違いしているかは知らんが、俺はラルスからの伝言を伝えに来た」
「ん?処遇が変更になったのか?」
侍従の警戒が薄まった一瞬に、ソルは侍従の背後に回り込み腕で首を締め上げた。頸動脈を的確に圧迫している為、男は声も出せず数秒で失神した。
床に男を転がすと服のポケットをまさぐる。銀色の鍵を発見した。これでイーリスたちを救出する事ができる。
急いで侍従の近くの扉を開けた。濃い血臭が鼻を突く。ここで一体何があったのか。簡素な部屋の隅、鉄格子のついた窓の下に見慣れた紺色のローブがあった。こちらに背を向けて蹲っている。
「イーリス、大丈夫か」
再会できた安堵と動かない彼女への心配が混ざる。
近づくと、黒ではなく珊瑚色の頭が見えた。
「エルネスティーネなのか」
言いようのない不安感が胸に広がる。何故、彼女がイーリスのローブを着ているのか。部屋を見渡すが他には誰もいない。血痕の残るベッドと壁に走る放射状の亀裂が不安感を煽る。
ソルはエルネスティーネの肩を揺すった。
「起きろ。助けに来た」
エルネスティーネの頭がゆっくりと上がり、振り返る。その顔には疲労が色濃く残っていた。
「あ、あんたはイーリスの…」
「カイも来ているぞ。時間がない、ここから脱出する。立てるか?」
エルネスティーネは倦怠感の強い体を起こし、立ち上がろうとしたがふらついた。足元に橙色の石の破片と細長い針が落ちる。
歩行は困難と判断したソルは素早く彼女を両腕に抱えた。
エルネスティーネは目を丸くし硬直していた。だが、直ぐに平静を装い口を開いた。
「イーリスはここに居たけど、何処かへ連れて行かれたわ」
「…そうか」
思わず暗い声が溢れる。一足遅かった。しかし、エルネスティーネの保護という収穫がある。彼女からの情報を期待したい。
ソルは部屋を出て廊下を進みながら、これまでの話をエルネスティーネから聞いた。
イーリスが無事である事が分かり、ソルは少し安堵する。しかし、不穏な要素が多い。イーリスは準備があると言われ連れて行かれた。この違法な娼館で準備となると、嫌な予感しかしない。それにイーリスを連れて行った大男。
「両腕が獣だったわ。長い爪もあった…暴漢共が怯えてたわ。あれは獣憑きよ。初めて見たわ」
エルネスティーネの顔が青ざめる。
獣憑き、その言葉にソルの目に警戒の色が浮かぶ。まさかこんな所に同胞が存在するとは。
「獣憑きは王宮にしかいないはずなのに…他国から来たのかしら。あんなに恐ろしいものなのね」
彼女の呟きにソルは複雑な心境になる。
獣憑きは獣の部位によって見た目が大きく変わる。普通の人間と然程変わらないソルは少数派だ。その大男は肩から先が獣ならば、長い爪も相まって異様な様相に見えただろう。
また見た目もさる事ながら、あの部屋の惨劇の跡。いくら暴漢から助けられたと言っても恐怖は拭えまい。
そして、この国ではどう言うわけか王宮に集められているらしい。エリシスに入ってから獣憑きを見かけなかったのはその為か。保護か排斥かは分からないが、ガルドラントよりも良い境遇である事を願った。
エルネスティーネは無言で話を聞いているソルを見上げた。初めて会った時はフードで顔を隠した不審人物だったが、これ程間近だと隠された顔が見えた。
日に焼けた肌に精悍な顔立ち。赤銅色の髪の間に、前を見据える緑の双眸があった。異国を思わせる容貌に彼女は目を奪われていた。
視線を感じたソルがエルネスティーネを見ると、彼女は顔を赤くして目を伏せた。
ソルは彼女の変化に気づく事なく視線を前へ戻す。
目を伏せたエルネスティーネは急にソルの腕の熱を意識し始めてしまった。今、彼女の頭の中では距離の近さや、昨日から風呂どころか着替えていない事、ソルの胸板の硬さの事など、乙女な部分が暴走して混沌としていた。
一方のソルは目に気づかれたかと内心ひやりとしていた。しかし、彼女が怖がる様子がないので、気のせいとして流した。




